生活の中の仏教のことば

檀那(だんな)
男子に対する尊称の言葉で、一般には、その家のあるじのことで「檀那さん」と使います。
「檀」には、ほどこす、施主という意味があるので、教団では、財物を布施する信者を「檀家」といい、檀家は自分の菩提寺を「檀那寺」と呼んでいます。

 

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生活の中の仏教のことば

領解(りょうげ)
一般には、「りょうかい」と読み「了解」と書くのが普通です。仏教では「りょうげ」と読みます。
ほとけの教えを知識として理解するだけでなく、心から『その通り』と納得するさまが領解(りょうげ)です。
真宗では「信心」と同意語として用いられています。

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生活の中の仏教のことば

出世(しゅっせ)
ほとけさまがこの世に出られたことを出世といいます。また我々が世間を捨てて仏道にはいることにも使います。
現代では金銭的に裕福になるとか、地位をのぼることを出世といいますが、欲得を離れた本来の意味からいえば寂しい限りですね。

 

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生活の中の仏教のことば

布施(ふせ)
ほどこし。信者(しんじゃ)は僧(そう)に財物をめぐみ、僧は信者に法を説く。ともに布施ですが、現在では僧へのめぐみを「お布施」と使います。代表的な仏教語です。
自力宗(じりきしゅう)では、仏へ近づくための修行に六波羅密(ろっぱらみつ)という6種の行(ぎょう)〔布施・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)〕があり、そのひとつが布施です。

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生活の中の仏教のことば

我慢(がまん)
じっとこらえて、辛抱(しんぼう)することを「我慢強い(がまんづよい)」などといって、人間の修養(しゅうよう)には大切な心構えのようにいわれています。
しかし、もとは仏教語で「自慢」の意味で使われています。自分の才能をたのんで、他人に押しつけたり、我執(がしゅう)によって自分をおごることです。
この心は、ほとけの教えに逆らうので「念仏を信ずることかたし」といましめられています。

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生活の中の仏教のことば

億劫(おっこう)
普通は「億劫(おっくう)」と読んで「気乗りのしないこと」をいいます。
この言葉のもとは、仏教からで「おっこう」と読みます。劫(こう)は、極めて長い時間のことで、それを億倍したものが億劫(おっこう)ですから「無限」「永遠」という意味で用いられています。
親鸞聖人が、「真実の浄信、億劫(おっこう)にも獲(え)がたし」とのべられたのは有名です。

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生活の中の仏教のことば

尊重(そんじゅう)
一般には「尊重(そんちょう)」と読み「人権尊重」などと使います。「尊重(そんちょう)」は人間同士がお互いに相手を大切にする意味です。「尊重(そんじゅう)すべきは世尊(せそん)なり。」この文は、私たちが親しんでいる和讃の一行です。「尊重(そんじゅう)」は、仏さまを尊み敬うこころをいい、信心と同義に用いられています。

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生活の中の仏教のことば

安心(あんじん)
一般には「安心(あんしん)」です。心の迷いや悩みが晴れた状態をいいます。
仏教では、ほとけの教えにハイとうなずく心を「安心(あんじん)」といい、「信心(しんじん)」と同じ意味で使います。だから安心という二字は同じでも意味に違いがあることを知って聴聞(ちょうもん)しましょう。

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生活の中の仏教のことば

礼拝(らいはい)
教会の結婚式に出席したら牧師さんが礼拝(れいはい)と言いました。礼状、礼儀など「れい」と使うのでマスコミも礼拝(れいはい)といっています。
しかし、仏教では昔から合掌(がっしょう)・礼拝(らいはい)と「らいはい」と読むのが慣わしです。読み方が違うので気を付けましょう。

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生活の中の仏教のことば

念珠(ねんじゅ)
真宗では一般に「数珠(じゅず)」のことを「念珠」といいます。もとは念仏の数を数える道具だったのです。
念珠のひとつひとつの珠は私たちです。それが一つのひもで輪になってつながっているのは、お念仏という仏さまの心で、みんな仲良く輪(和)になっているということです。だから、手を合わせるにふさわしい道具ともいえます。

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