27組の報恩講

27組の報恩講
今年も27組内の報恩講が始まりました。10月30日に戸木(へき)の満誓寺様からです。今回は本堂前にある梵鐘を拝見しました。満誓寺様の梵鐘も戦時中に金属供出されたようです。戦後戻ってきましたが三カ所に穴が空いていました。音には影響がないようですので良かったと思います。

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11月に入り、5日に桃園(ももぞの)の光蓮寺様です。昨年は所用でお伺いできませんでしたので2年ぶりでした。代務住職になり庫裡の一部がなくなり駐車場になっていました。お寺の日常の管理はお同行様がされています。行き届いた管理で境内もきれいで、報恩講の法中への接待もお同行様一丸となってされていました。お寺の本当の姿を見せていただいたように思いました。

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20日に戸木の西向寺様でした。例年にない暖かさでした。山門をくぐり本堂の正面にあたる場所に四季桜が満開でした。
ご住職様がお盆の後、右足の炎症で2ヶ月ほど入院されて足に負担がかからないように、法中の私たちも椅子でお勤めをさせていただきました。今後は高齢などで足への負担を考えての出仕方法も考えなければならない時のようです。

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23日は一転肌寒い勤労感謝の日、小戸木(こべき)の西林寺様の報恩講。妙華寺からおよそ400m南にあるお寺です。大間に置かれた大型のディスプレイに報恩講の差定が表示してありとても見やすく思いました。お同行様のことを大切に思われている心が伝わってきます。組内法中のお勤めの後、お同行様だけでお勤めもされることは時間をかけてお育ていただいたことと思います。

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11月最後の日曜日は小造(こつくり)の蓮性寺様でした。あいにくの雨でしたがその分落ち着いた風情でした。蓮性寺様も椅子でのお勤めでした。足が痛くなることから開放されます。内陣のお勤めでは、椅子と正座では目線が違うのでちょっと新鮮です。また鐘楼堂は山門の左に位置しています。蓮性寺様の梵鐘も戦時中に金属供出されたようです。戦後戻ってきたそうですが、鐘楼はとても良い状態と見受けられました。江戸後期から明治にかけて愛知県で造られた梵鐘だそうです。

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今年から12月の第1日曜日に妙華寺の報恩講をお勤めさせていただきました。例年より風もなく幔幕や旗が風に煽られることがありませんでしたし、銀杏の葉もまだまだきれいな黄色で彩られています。次の日に片付けていましたら、内陣の荘厳で灯籠を飾る灯心飾りを出すのを忘れていて反省することです。

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27組の最後の報恩講は、野村の浄徳寺様です。毎年、浄徳寺様では副住職様や衆徒様も出勤されますので、組内の法中も含め、賑々しいお勤めと感じています。報恩講が終わるとやっと年末年始のことをしっかり準備できる時間がとれます。

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報恩講をお勤めしました

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妙華寺の報恩講を組内の法中様とお勤めしました。今年から12月第1日曜日に変更になりました。例年ですが前日の午後からお非時の準備に婦人会の方がご奉仕されています。必要なものを覚えているつもりですが買い忘れたりするものもありご迷惑をおかけしています。今年は初めてご奉仕をしていただく方も少し増えて大変うれしく思うのと、大変ではありますが、これからも続けられる体制を調えたいと思っています。当日は雨も心配されましたがあまり寒くなく風も穏やかで11時からお非時を多くの方に召し上がって頂きました。報恩講のお非時がいつから続いているのかはっきりはしていませんが、母の話では、母(昭和6年生まれ)が物覚えがある頃からあったようで、母が小学校の時は、通っていた小学校の生徒がお非時をいただきにきたようです。(戦前は学校給食がなかったので楽しみであったようです)昭和20年前後(何年間かは今は思い出せないようです)はお非時をお出しする余裕はなかったそうですが婦人会の方々のお力添えで今まで続いていることに大変敬意を称しています。食材はその時のお同行様が作られた野菜を中心に用意されたと思われます。今のお非時の飛竜頭・麹味噌・ご飯は、高田本山のお非時もその形ですので、日本の昔のハレの食事の形だと思われます。それに大根とニンジンのなます(酢の物)や里芋の煮っ転がしや白菜の漬け物などお同行様が作られた食材を持ち寄っていただいています。お非時の場所は以前は庫裡の三間を使用していましたその頃は、報恩講の前に大掃除と称して庫裡の畳なども境内で叩いてきれいにしていました。現在の会場の妙華寺会館も今回からテーブル席になり足腰のご負担を少し軽減させていただけたと思います。
お勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の三段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。ご法話は、正太寺の大河戸悟道師に初めてお願いしました。私(住職)がお非時をいただいている時に総代様が昭和20年代に大河戸○○師(住職が聞き忘れました)のご法話をご聴聞されたそうで今回の布教使様と同じ名字ですがご関係はと尋ねられました。ご法話の後、控室で大河戸様にお尋ねしましたら正太寺の前々住職(祖父)とのことで布教使として全国を回られていたそうです。また大河戸様には「妙華寺」のハンコいただきました。お寺からの郵便物に使用したいと思います。ご聴聞されました総代様は、「今日のご講師は板書の使い方がとても良かった。お話しも懐かしい気持ちになりました」をおっしゃられお帰りになりました。
ご法話の後、ご聴聞された方々に、親鸞聖人像を内拝していただき、余間の絵伝も近くで見て頂きお帰りしていただきましたが、準備不足で、それぞれの場所で説明ができませんでしたので来年の課題になりました。
行事が終わり次の日にお供えを下げて、小分けしながらお手伝いしていただいた方々へお礼(後礼)とおすそ分けをさせていただいています。それが済み今年も報恩講を無事お勤めさせていただいたと喜んでいます。
また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々を頼りにしています。行事の30分前に梵鐘を鳴らして案内をしていただきます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。行事が終わりますと、仏旗や幔幕・案内看板・帳場の片付けなど手際よくしていただきます。報恩講では既に紹介しましたが婦人会の皆様のお力でお非時のご奉仕をしていただいています。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。
お寺の行事は毎年同じ形であります。果たして行事が同じ形で次の世代に伝わるのか私(住職)には想像がつきません。私が知り得る中でも終了した行事もありますし、復活した行事もあります。その時代の中でお寺とはどのような存在なのか、お同行様が何をお寺に求めているのか。お寺としてできることとできないこといろんなことを配慮しながら次の世代のことも考えますが、今できることをしていくしかないと思っています。
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恩徳讃

 今年最後の日曜学校は報恩講の朝でした。参加者のご都合を考慮しなくて申し訳なく来年は別の日曜日を考えたいと思います。
今回は、和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』 常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』 川瀬和敬著より紹介します。「正像末法和讃」の58首
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

阿弥陀仏が大悲心をもって我等を救い給う恩徳は、わが身を粉にしても報じ奉らねばならぬ。我等を弥陀の本願まで導き給う祖師の恩徳も、わが骨を砕いても謝しまつらねばならぬ。
※「くだきても」の「も」は、事の重大甚大なことを示す。「までも」「さえも」というに近く、言外にそれでもまだ足りぬ気持ちを表す。「恩徳も」の「も」は、列挙する意。
※師主は、釈尊を始めとして七高僧を指す。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 この一首は、「恩徳を讃えた和讃」ということで、「恩徳讃」と呼ばれております。ある意味では、和讃の代表とあがめられております。これによって、真宗教団というものが、教主並びに教法につかえまつる奉仕の教団たるべく、真宗教団設立の根源をなす一首として仰がれております。58首のなかで、3首だけ、聖人の和讃としては異色であってわれわれのうける感じがちがうその1つです。それは、第35首、第36首、「無明長夜の燈炬なり」「願力無窮にましませば」この2首を拝読しますときに詳しく述べたのでありますが、この2首と只今の1首が異色です。長い間、真宗の教えが苦悩する民衆のなかに、大きな力をもって人びとの心に訴えてまいりましたのは、真宗のお説教でありますが、その説教の讃題として今のも加えて多く用いられたのであります。この3首は、聖人の兄弟子であられる聖覚法印の言葉、殆どそのままなのです。聖人の1つの特色というものは、伝統を重んずるということです。善導から法然へ、法然からわが身へと。かりそめにも自発的にこういうことを思いついたということは語られない。みな善導の言葉、法然の言葉をもって、自己の信心を語っていかれる。だから非常に高鳴っている感情を、自分の身体から吹き出すような気持ちでも、自分の言葉でなく、あるいは先輩の聖覚法印の言葉を用いられる。こういうところが厳しく守られている。と同時に伝統といいますと人のいった言葉にだけついていくように聞こえますが、そうではない。先輩の言葉をいただきながら、その内容は先輩よりもっと充実している。こういうところが、聖人の伝統を重んずると同時に新しい創造性のあるところです。法然上人寂後の法要の際の「聖覚法印表白」(専修寺に聖人の書写本を蔵する)に只今の恩徳讃のところがでてきます。
「つらつら教授の恩沢を思うに、まことに弥陀悲願と等しきものか。骨を粉にしてこれを報ずべし。身を砕きてもこれを謝すべし。」
これを聖人は、京都へお帰りになってご覧になったものと思われます。「骨を粉にしてこれを報ずべし。身を砕きてこれを謝すべし。」「骨」と「身」が逆になっておりますが、大体そのままおうたいになっております。この言葉にはもう一つもとがあるのです。そのもとを2つとり上げて申します。善導大師の『法事讃』を拝見いたしますと「砕身慚謝(さいしんざんしや)」、「身を砕いて、釈迦の恩を慚謝する」。「慚謝」というのは、恩をいただきながらその恩を充分生かしていないとあやまる。「身を砕く」というのは、その尊いお心をいただきますと、私のつまらない心のあり方、あさましい私の我執というものが砕けてまいります。「慚」というのは、はずかしい。「謝」というのは、頭が下がることです。更に同じく善導の『観念法門』のなかに、「粉骨砕身・報謝仏恩」と出ております。この一首の和讃が詠いだされますについては、善導にそのもとがあり、直接には聖覚法印の表白文があるわけです。これだけの背景があるのですから、われわれに重味が感ぜられるのは当然なわけです。
以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】
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11月のおてらおやつクラブ

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11月のおてらおやつクラブ 今月もおすそ分けさせていただきました。12月の報恩講にと玄米30kgをお寺にお供えいただきました施主様とお話しをしておてらおやつクラブの支援団体様にもおすそ分けさせていただきました。支援団体様は12月23日にクリスマス会を予定されています。12月には、お菓子がお届けできればと思います。
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先日11月20日の「Mr.サンデー」(フジテレビ系)でおてらおやつクラブの活動が紹介されました。私(住職)も代表の松島ご住職のおてらおやつクラブの設立に至るまでの経緯を知ることができて良かったです。また、一人親家族の環境が大変であることが見えにくいことも再認識いたしました。これまで以上に多くの方々が関心を示していただくことができれば有難いです。
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またこの度、おてらおやつクラブの活動の趣旨に賛同していただければと思い、募金箱を本堂に設置させていただきます。
おてらおやつクラブの事務局からの依頼としては、現在おてらおやつクラブでは、日々拡充する活動の資金を確保することに加え、当活動とその背景にある貧困問題についての周知を強化するため「おてらおやつクラブ募金箱」の設置をお願いしています。
活動開始からおよそ3年、おかげさまで全国各地に広がっている当活動ですが、貧困問題については、日本のどこにでもあるということがまだまだ認知されていない、あるいは「見て見ぬふりをされている」という現状があります。
問題が知られなければ対策をすすめることも容易ではなく、支援団体や当事者の多くの方が問題周知について悩みを抱えていらっしゃいます。
そこで、おてらおやつクラブに参加していただいてる皆さまに、その事実周知の一翼を担っていただきたく、その方法の一つとして募金箱の設置を提案させていただいております。ぜひ設置にご協力いただけませんでしょうか。
一つひとつのお寺が貧困問題を考える場となり、「おてらおやつクラブ」がその解決のための実践活動であることを多くの方に認知してもらい、募金という形で応援頂けたならばこれ以上の喜びはありません。
お母さん・お父さん・お子さまの声は「おてらおやつクラブFacebook」
でお知らせいたしますので、ぜひご覧くださいね。
https://www.facebook.com/oteraoyatsu
これまでも、お同行の皆様には、おてらおやつクラブの活動にお供えというお気持ちをおすそ分けしていただいていますが、募金という形でもお願いすることになりました。重ねての依頼ですので、心苦しい一面もございますが、ご趣意にご賛同いただけましたらよろしくお願い申し上げます。
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引き続き、一人親家族の支援団体への寄付となる「古本勧進」もやっています。
次回の発送は来年1月の末です。
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
11月も10月に続いてお同行様から不要な本をご持参いただきありがとうございます。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。
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11月の日曜学校

【四諦】(したい)とは、「苦」の原因を探り、さとりを手に入れるための真理です。
「諦」とは、真理のこと。人間には、四苦八苦と呼ばれるさまざまな苦しみがあります。それらの「苦」から自由になるための道筋を、ブッダは4つに分けて説明します。
①苦諦 「一切は苦である」という真理。人間は四苦(生老病死)など、逃れることのできない苦を背負っています。人生とは思い通りにならないもので、これを理解することが仏教の大前提となります。
②集諦(じったい) 「苦の原因は煩悩(ぼんのう)にある」という真理。そもそも「私」や「私のもの」には実体がないにも関わらず、人はそれらにこだわり、執着します。そのため、煩悩が生じて、「苦」が生まれるのです。
③滅諦(めったい)「煩悩を滅すれば安らぎが得られる」という真理。「『苦』の原因は煩悩である」ということは、すなわち、「煩悩を乗り越えれば『苦』から自由になることができる」ということであります。
④道諦(どうたい) 「苦を滅する方法がある」という真理。正しい修行をすれば「苦」の輪廻(りんね)から解き放たれ、解脱(げだつ)の状態に至ることができます。その実践法を語るのが、「八正道」です。
【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】
※諦(たい)は梵語サティアの意訳で真実、真理の意。釈尊の最初の説法の内容とされ、仏教の根本教理に数えられる。苦諦と集諦は迷いの世界の結果と原因、滅諦と道諦は悟りの世界の結果と原因を示したものである。
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秋の千部会

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 秋の千部会は、久居祭り(ひさいハロウィンパレード)の前日であり、今年は曇り空でしたが多くの皆様にご焼香・ご聴聞していただきありがとうございました。
 ご法話は明通寺の佐波真教師より「いのち」についてお話しされました。私の「いのち」について私の大切な方から「今お聴きすることが出来る時にお聴きしなさい」と諭されている気がします。妙華寺でのご法話は年5回の行事の時だけでございます。この私がご聴聞できる時間は自らが作らないと中々ご聴聞できません。お時間に都合がつきましたらどうぞお友達をお連れして一緒にご聴聞いたしましょう。
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10月の日曜学校

【お釈迦様の教え】
仏教とは、ひとが幸せになるための教えのこと。
ただ、教典を読んだり、知識として理解したりするだけではありません。
日々の生活で活かすことができる、実践的な教えです。
①縁起(えんぎ)という考え
すべてのものごとは、独立して起こるのでなく、互いに深く関連しあいながら、生じたり、滅したりするという考えのこと。世の中のあらゆるものごとは、互いにかかわりあい、原因と結果の関係でつながっている。仏教の教えの基本となる思想です。
②中道(ちゅうどう)という考え
快楽と苦行、どちらにも傾かない生き方・考え方を中道といいます。「中途半端」という意味ではありません。両極端なものの見方を離れて、バランスの取れた姿をみることが大切なのです。八正道に沿った生活を実践すれば、中道を歩むことができます。
③四諦(したい)という考え
この世の真理には、苦しみが生じてから、それをなくすまでの4つの局面があります。生きることには苦しみがあるということ(苦諦)、その苦しみには必ず原因があるということ(集諦)、その苦しみを乗り越えるところに安らぎがあるということ(滅諦)、その安らぎに至るためには正しい道を歩まなければならないということ(道諦)です。
④三宝印(さんぽういん)という考え
仏教が最も大切にしている3つの真理のこと。
第1に「全てのものはうつり変わる」(諸行無常)
第2に「全てのものには永遠の実体はない」(諸法無我)
第3に「さとりの世界はやすらぎである」(涅槃寂静)
※諸行無常は、因縁によってつくられたものは常に変化してとどまることがない。
※諸法無我は、すべてのものは、永遠不滅の実体ではない。
※涅槃寂静は、煩悩の火が吹き消された状態は究極の安穏の世界である。
※一切皆苦は、あらゆる存在はすべて苦しみである。
※一切皆苦を含めて四宝印と呼びます。
【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】
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秋彼岸会 お勤めしました

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台風一過の秋晴れとはいかず、あいにくの天気の中、秋の彼岸会のお勤めとご法話をご聴聞していただきありがとうございました。ご法話は、真楽寺の鷲山了悟師でした。昨年までは春の彼岸会でご法話をお願いしていましたが、妙華寺の都合で今年は秋の彼岸会にお願いしました。いつも元気なお声でご法話をしていただいています。その源をお尋ねいたしましたら、若い頃、歌を歌っていた時に大きな声で歌えとアドバイスを得たことがあったようです。ご法話をするようになり、最初にご聴聞されている方々から、声が大きいことを褒められたことも大切にされていることの1つだそうです。
今回、ご法話をいただくに当たって、厚かましくご法話への思いをお寺のHPに掲載してよろしいかと伺いましたらご丁寧に用紙にお書きいただきました。
「私の思い 鷲山了悟
いつもお世話になっております。妙好人の因幡の源佐さんの「決して美しい説教をしなさんなよ。親様のお手伝いだけをしてきなさんせよ」の言葉を抱いてお説教に臨んでいます。今日は、高田派で最もなじみの深い、「不退のくらいすみやかに えんとおもわんひとはみな 恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」のご和讃をいただき、「恭敬」・「名号」・「不退のくらい」についてご相談させていただきます。私(布教使)も話しながら聞くようにして臨み、阿弥陀様を讃えさせていただきます」とありました。
いつも、鷲山様のわかりやすく語りかけていただくご法話を、ご聴聞されている皆様は楽しみにしていただいています。
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また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

9月の日曜学校

9月10日から12日に第14世堯秀上人350年忌法会 第16世堯円上人300年忌法会が高田本山でお勤めされます。
両上人について振り返ってみます。
堯秀上人在世の時代は、天正8年(1580)に焼失し天正16年(1588)に落慶した一身田の御堂が再び正保2年(1645)1月に炎上しました。堯秀上人の法嗣の堯朝上人の代でありましたが、堯朝上人が江戸に滞在中の事であり、翌年再び堯朝上人が江戸の幕府へ行かれて5月に自害されました。再び堯秀上人が住持職として、左大臣花山院定好の第4子を迎えられ法嗣として教育されました。津藩の藤堂高次が土地を寄進(現境内地の西三分の二にあたる)して今の境内地の規模になり、万治2年(1659)に御堂の再建に着手し、寛文6年(1666)に現在の御影堂が完成しました。また、承応元年(1652)堯朝上人の7回忌に際し、内室の高松院の発願で洪鐘が鋳られ、その後鐘楼が造立されました。
第14世堯秀上人 寛文6年(1666)12月19日(陽暦1月13日)85歳
「つらつら世間の転変を観ずれば、哀傷の涙 袖にあまり」と仰せられた上人は、御内室にも早く先立たれ、両堂の焼失、堯朝上人のご逝去、「かなしみ肝に銘ず」とは実感のお言葉と拝する。今日まで門末は、この御書を拝誦して、無常を感じ、大悲の恩徳を喜ばせて頂いているが、65歳の後老境をもって、法嗣の育成、山内の復興、年譜のごとく、言語を絶するご苦労をされた。御影堂再建という、現代ではもうできない文化財をお残しくだされ、「他力の御廻向によりて、往生決定する」幸せを感謝せよと、改悔文に仰せられて、門末を教導せられたことを忘れてはならない。
第16世堯円上人 享保元年(1716)7月27日(陽暦9月12日)76歳
堯朝上人のご逝去によって、翌々年、堯秀上人は花山院から8歳の上人を迎え、とくに教育に留意せられたようである。『興御書抄』(恵雲著)に「寛文第3暦5月21日 御子達御披露恵雲」とあるのもその一例と拝察する。東都に遊学した普門も帰り『教行信証師資発覆抄』250巻の大著をなし、恵雲は『教行信証抄』を刊行した。東西にも本典講録の刊本なき時代であるだけに、諸学匠はたいへん参考したという。安居の制を定められ、学事は大いに盛んとなった。歴代御廟の建設、山門建立、野州高田山本堂再建などされ、宝永7年(1710)職を円猶上人に譲られた。
【高田本山の法義と歴史より】
 改悔文(がいけもん)
他力の御回向によりて、雑行雑修疑心自力をすてて、阿弥陀如来後生御たすけ候えと、たのみたてまつる最初の一念に、我らが往生は決定と領解いたし候。このうえには命終わるまでの念仏は御恩報謝とこころえ申し候。かように聴聞申しわけ候ことは、御開山聖人、次第御相承、今日御出世の善知識の御恩と、ありがたく存じ候。今よりのち、善知識より定め示さるおもむき、そむき申さぬように、たしなみ申すべく候。御恩ありがたや。 南無阿弥陀仏
※改悔(かいけ) あやまちを悔い改めることまた、自力を悔い改め他力にまかせること
 妙華寺では、自宅での年忌法会の後、「改悔文(がいけもん)」を拝読しています。
  寺勤めでは、「御書」を拝読しています。
年忌 故人の毎年の祥月命日のこと。故人を縁として仏法に遭い、阿弥陀仏の恩徳に報謝する思いでお勤めされます。
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8月の初盆総回向

8月の初盆のお勤めが終わりました。前々住職の時代は、翌日に初盆の灯籠を境内で焚いていました。前住職の頃になりますと外で物を燃やすことができなくなり、それぞれの灯籠を小さく片付けて処理をしていました。今は大きな飾りの灯籠が少なくなり片付けに関しては楽になりました。また、お勤めの後、平素のお仏壇のお給仕の仕方のビデオを見ていただいています。改めて拝見していますと何気なくしていた仕方が間違っていたことにも気づくこともあります。以前ほどお仏壇の前でお勤めする時間はとれなくなっている時代ですが、私たちの心の安心や落ち着く場所としてお仏壇のある空間を見直していきたいと思います。
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※毎月(正月を除く)第1日曜日午前7時30分からの日曜学校では、平素のお勤めを参加者の皆様と一緒にしています。知らないうちに作法についても学べますし疑問などにもお答えしています。ご都合がつきましたらご参加ください。ひ