文化時報創刊100周年記念報道写真展

文化時報創刊100周年記念報道写真展
宗教専門紙の創刊100周年の報道写真展に伺いました。100年前というと大正12年 関東大震災のあった年です。一つのメディアを通して宗教界のこれまでを振り返ることは意義があることだと思います。また、写真についても不勉強ですが報道写真が伝える熱量を感じられるか確かめたかったです。

文化時報社の代表の挨拶では、本願寺派の僧侶が刊行されたようで、当初から宗教界全体の情報を発信していたようです。また当初は、週刊紙で始まり、隔日紙になり日刊紙に発行形態が変化していったようです。社会に、宗教界の情報のニーズがあったからだといえます。
また、関東大震災や昭和の初めの室戸台風の被災地での宗教者の活動も新聞記事から読み取れます。阪神大震災や東日本大震災の宗教者の被災地での活動も、以前からの宗教者の社会への取り組みが続いているのがわかりました。もう少し視野を広げると仏教が日本に伝来した時からの宗教者(僧侶)の社会への活動は続いているのだと思います。
記念として大正13年発行の複製した新聞紙を1部いただきました。明治時代の教科書のような「カタカナ」の記事と思っていましたが「ひらがな」での記事で私(住職)にも読めます。

報道写真はテーマごとに展示してあり、キャプションもあり伝えたいことがわかります。見ている私(住職)の感性がどのようなものかも問われているようでした。

6日は、「宗教と社会活動を考える」をテーマに、東日本大震災の時から始まった「カフェデモンク」の活動のこれまでを金田諦應師がお話されました。

社会とつながる宗教者の活動は広範囲にわたりますが、できることを続けることが大切であり、生活者はそれに期待していると改めて感じています。

焼香

焼香
「焼香」と聞くと何を思い浮かべますか。
一般的には、仏式の葬儀式でお別れする時の作法を思います。葬儀の時の「焼香」は、「導師焼香」のアナウンスの後、僧侶が「焼香」し、その後、喪主の方から「焼香」が続いていきます。葬儀以外でも年忌法要で僧侶がお勤めしている時に、本(尊)前で「焼香」する時は、亡くなられた方のことを偲びながらの作法とも感じます。

岩波の国語辞典では、【焼香】「香をたくこと。特に、仏前・霊前で香をたいて拝むこと」とあるので、仏式のお参りの作法として「焼香(香をたく)」されているのでしょう。

僧侶である私は、「焼香」と聞くと、仏様を荘厳する作法として本堂やお仏壇でお勤めする最初に「香」を薫じて合掌礼拝をして、お勤めを始めます。

これは、『浄土真宗辞典』に「香を焚いて荘厳すること。『無量寿経』には「華を散じ香を焼きて、これをもって回向して(散華焼香以此回向)」と説かれている。恭敬礼拝の意味で行う」とあるように仏様への恭敬礼拝の作法として、献華・献灯の後の献香の意味の「焼香」ではないでしょうか。

私(住職)は香に満たされた空間は、心地よいと感じますが、香りに敏感な方の中にはその人に合わない香りの場合もありますので、これからは無香性の香も考えなければいけないかもわかりませんね。

科学から見た宗教

科学から見た宗教
『科学的とはどういう意味か』森博嗣著 幻冬舎新書
科学が苦手な私(住職)は、「科学的」と示されると、何も考えずそのまま信じてしまうのですが、本では「言葉(数字も含む)」の大切さや「感情」の捉え方、「生活」への心構えなど、「科学的」の意味は、生活の中の情報をもう少し自分で考えることが大切なんだと感じました。
「科学的」な見方とは、「科学」は「方法」であり「他者により再現できる」ことを条件として組み上げていくシステム。個人ではなく、みんなで築いていく方法が科学としています。
その観点からは、宗教は非科学であると思います。「あとがき」に述べられているように、信じる信じないは個々の自由に委ねられているので、布教(宗教・非科学)活動は、本当に正しいもの(あるいは魅力あるもの)であれば、自然に信者は集まる。尋ねてきた人には親切に教える、あるいは書物やウェブサイトで公開し、興味がある人には読めるようにする。といったレベルを超えてはいけない。勢力を拡大する活動として外部の一般の人を巻き込む行為や人の家にまで無闇に訪ねる宗教活動は逆に「信じられない」ものと宣伝しているものと考えていくべきかも知れない。
宗教が科学と違うのは、「他者により再現できる」ものでは無いからだが、それは教えが個人が救われる前提であるからだろう。魅力ある教えには自然にひかれる人は集まるだろうし、集団も生まれる。その教えを他者にも伝えたいと思うこともごく自然ではないだろうか。ただ教えを他者に伝えたい部分に他の目的が生じてしまうと宗教ではなくなってしまう。これまでもこれからもその点はよくよく慎重にならなければいけないと考えています。
※中川個人の感想です。

【案内】日曜学校は2月5日午前7時30分から

新しい年を迎えて1ヶ月が終わりました。新型コロナウィルス感染症のことも4年目に入りますが、まだまだ心配であります。それでも少しづつ各自がするべき対策は学習してきたと感じています。日常の中で心と身体を整える時間にご興味のある方はお越し下さい。
また、今年は高田本山で親鸞聖人御生誕850年他を奉讃する行事が5月に予定されています。今1度、親鸞聖人や高田派のことをより知りたいと思われる方はご参加いただきたいと思っています。
2月の日曜学校は、2月5日の朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
※新型コロナウィルスの感染拡大防止の件について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。

風邪の症状や熱のある方はご遠慮願います。
マスクの着用をお願いします。(お持ちでない場合お寺にお申し出下さい)
本堂入口に手指の消毒を行っていただき、うがいや手洗い場所も用意しています。
手が触れる出入り口のアルコール消毒もこまめにしています。
本堂内の換気・間(ま)の確保などして対策を講じます。
とはいえ、決して不安や不満を抱えながら参加する催しでもありません。
どうかご無理ない範囲で判断をしていただきますよう、よろしくお願いいたします