摂取不捨

摂取不捨(せっしゅふしゃ)

お経に「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とあります。

摂取(せっしゅ)とは、摂(おさ)め取ること、仏や菩薩の衆生救済のはたらきをあらわす語として用いられます。
「浄土和讃」に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづたてまつる」とあり「国宝本」左訓には「めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎えとる」とあります。
(浄土真宗辞典)
「正信偈」 に「摂取心光常照護」「摂取の心光、つねに照護したまふ」 阿弥陀さまが一切の人を救いとって捨てないぞという誓い、その慈悲の心が光となり私に届き 照らして、護ってくださっています。

阿弥陀さまの本願は、「私を必ず救う」とこれまでもこれからも願ってくださっていらっしゃることです。そして、私はそのはたらきに出遇うことで、「必ず救われる」ことです。

人生の苦しい時、悲しい時、自分の存在を消してしまいたいほど辛い時にこそ「摂取不捨」と言う言葉を思い出してほしいです。阿弥陀さまに遇ってほしいです。

四季の花(1月)

四季の花

師走から花を愛でる余裕も無く新しい年になりました。

今年はロウバイと冬の花の椿も花が少なく少し残念です。

先月から咲いている水仙が寒さの中で咲き誇る姿が凜としています。

高田本山の報恩講(お七夜)

高田本山の報恩講(お七夜)
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。
昨年に引き続き、新型コロナウィルス感染症対策を講じながらの報恩講です。
新たな新株の拡大でご心配・ご不安もありますのでご無理は申しませんがお参り下さい。

 

※最新情報は、高田本山のHPでご確認を

井戸山の報恩講

井戸山の報恩講
毎年1月4日に、井戸山地区のお同行様のお仏壇で報恩講をお勤めしています。いつからかはじめたかは定かではありませんが、以前は、主になる宿の仏間に大正時代の親鸞聖人650御遠忌の記念の親鸞聖人の絵伝の掛軸と井戸山で報恩講がはじまった由来が書かれた掛軸を掛けていたことがわかっていますので100年以上続いている行事と思います。
ただこれまでの時代のように報恩講としてお勤めしている意識が薄くなり、年始のお勤めのように感じられている家も見受けられ、今回は、報恩講の冊子をお配りしてました。もう少し報恩講を感じていただくように工夫をしたいと思います。

【報告】修正会お勤めしました

【報告】今年も修正会をお勤めできました。朝5時30分と言う、少し早い時間からのお勤めにご参加いただきました皆様と共にお念仏申し上げることができること感謝申し上げます。1つの場で会うことができることは、共に健康であることでいつかお会い出来なくなることを考えますと一期一会であります。
思えば、前々住職・前住職の時から45年間修正会でお勤めができたこと、そして後何年お勤めができるのかわかりませんが、縁あるかぎり共にお勤めさせていただきたいと思います。
例年では、お屠蘇やお仏飯のおさがりを用意するのですが、昨年と同様今年も控えさせていただきました。

お勤めは、鎮国文・重誓偈・正信偈・現世利益和讃(15首)・繙御書で、平素高田派のお勤めで和讃は五首ですが、修正会では15首拝読するのが独特です。
修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。


ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。毎年拝読しながら、昨年1年を振り返りますと、過ぎ行く時間は早く、世務に明け暮れて、仏法に遇うことが難しいと反省ばかりです。

向かって左側の余間は、正月荘として、妙華寺の初代から11代の位牌や像・絵像を敬置します。