お寺の変化12

お寺の変化12 災害時
10月7日の夜、関東地方で地震があり、都内で震度5強の強い揺れを感じる地震は10年前の東北大震災以来とも聞きました。私(住職)は、TVなどで知りましたが、知人の横浜のお寺のSNSに本尊が倒れたとのことも聞き、東京や神奈川にお住みのお寺のお同行様へもメールやハガキで、「お見舞い」を申し上げています。
8日現在でメールでご報告いただいた方々も、お住まいの場所によっては大きなゆれを感じたり、ボード上の置物が倒れたりと連絡いただきましたが、怪我などなく無事とのことをお聞きしています。今後の余震のことも心配です。
これまでも地震発生時の対応について、行政からの冊子やチラシなどで知識として知っていますし、防災訓練などでどのような行動をとるのが良いのか覚えているのですが、その時の状況で最善の行動がとれなくなる場合もあったり、発生時間が深夜近くになれば、日中とは違い避難場所が開放されない場合もあったり、試行錯誤は続きます。
9月のブログのお寺の変化の「災害時のお寺の空間の活用」でも記載しましたが、災害が起きたとき、妙華寺も、災害時においてお寺の境内を避難スペースとして活用できるように考えています。災害は、ないにこしたことはありませんが、あることを前提にその時の私の状況を考えていきたいと思います。

お寺の変化

お寺の社会貢献
おてらおやつクラブ
妙華寺は2015(平成27)年2月から毎月、当初は一人親家族様、現在は支援団体様へおすそ分けさせていただいています。そのご縁で、支援団体様に報恩講のお非時(ひじ)のご奉仕などしていただいています。

「おてらおやつクラブ」とは
おてらおやつクラブは、子どもの貧困問題を解決する、 おそなえ・おさがり・おすそわけの活動です。日本国内において子どもの7人に1人が貧困状態にあります。(厚生労働省 2019年国民生活基礎調査より)
「おてらおやつクラブ」は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、子どもをサポートする支援団体の協力の下、経済的に困難な状況にあるご家庭へ「おすそわけ」する活動です。
活動趣旨に賛同する全国のお寺と、子どもやひとり親家庭などを支援する各地域の団体をつなげ、お菓子や果物、食品や日用品をお届けしています。全国のお寺と支援団体、そして檀信徒および地域住民が協力し、慈悲の実践活動を通じて貧困問題の解決を目指し、地域での見守りを作っていきます。
1,673寺院  541団体  子ども21,000人*2021年09月現在の賛同寺院数、登録団体数、月間子ども支援数(のべ人数)

「おてらおやつクラブ」にとって、いちばん大切なものは何か?改めて実感していることがあります。今も昔も変わることなく、お寺が担ってきた役割です。人々が仏さまへの「おそなえ」をこれからもしてくれる場所であり続けるよう、お寺という場所を守っていくということ。昔からお寺という場所で行われてきた仏の慈悲の実践活動、仏さまへの信仰の心を相続していくことが、「おてらおやつクラブ」にとって大切なものであり、それが貧困問題解決のための一助となると信じています。特定非営利活動法人おてらおやつクラブ代表理事 松島靖朗 (まつしませいろう)」
((https://otera-oyatsu.club/about/ 参照 2021年8月21日))

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これまでも、妙華寺では地域の皆様や他市町の方々から「おてらおやつクラブ」へのおすそ分けをお送りいただいたりしています。多くの方々の暖かい気持ちと一緒にお供えをおすそ分けさせていただいています。

四季の花

四季の花
10月に入り、朝晩も過ごしやすくなってきました。9月から咲いている酔芙蓉・秋明菊・コスモスもきれいです。金木犀の香も漂いはじめました。四季桜にも少し花がつきだしています。

「刺繍絵画」

刺繍絵画をご存知でしょうか
お寺のお同行様から寄進していただいたものは、これまで仏具を始め数多くあります。
以前に、東京のお同行様が、亡くなられたご両親の住まいの整理をされている時、居間に飾られていた「刺繍絵画」をお寺に寄進していただきました。その後、寄進されました方が「刺繍絵画」についていろいろ調べていただくなかで、明治から昭和初期の日本の美術工芸品で海外へ輸出していたことを教えていただきました。また現在では、「刺繍絵画」の「刺繍」の技術が継承されていないことも知りました。お寺の「刺繍絵画」を調査いただきました松原史氏がこれまでの研究調査されたことを書籍にまとめ「刺繍(ぬい)の近代」(思文閣出版)と題して刊行されています。お同行様からお寺へも献本していただきました。

高島屋百貨店で、「刺繍絵画」の「特別展示」もされているようです。

お寺の宝物

お寺の宝物 聖徳太子
本堂の向かって右側の余間に荘厳されています。
今年は、聖徳太子1400年遠忌の年でもあり、展覧会も複数開催されています。

聖徳太子(574-622)厩戸(うまやど)皇子、上宮(じょうぐう)太子とも言われ、父は用明天皇です。高句麗の慧慈(えじ)に仏教を学び、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立しました。『法華経義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』を制作したと伝えられ仏教の興隆に尽力しました。政治の世界では推古天皇を助け冠位12階や憲法17条を制定し、遣隋使を派遣しました。
聖徳太子は、仏教興隆の祖として鎌倉時代に信仰が広まり、親鸞聖人は、観世音菩薩の化身してい崇め「和国の教主」とも讃仰されました。「正像末法和讃」の中に皇太子聖徳奉讃11首、皇太子聖徳奉讃75首、大日本国栗散王聖徳太子奉讃114首を和讃された。
真宗では一般に16歳孝養(きょうよう)太子像を余間に安置しています。美豆良(みずら)を結い、右手は胸前で柄香炉を執り、左手は右手の下で布をつかむ。聖徳太子が16歳の時に、父用明天皇の病気平癒を祈願したという伝説に基づく姿です。