お寺の掲示板

お寺の掲示板
悲しみは消えることがない、「慣れる」だけである

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「死別の悲しみは、残念ながら一生消えることはありません。現実を受け入れ、日常生活を取り戻していくことが一つのゴールになります」

どうすれば死別の悲しみを癒やされるかと聞かれることがありますが、残念ながら悲しみそのものは一生消えることはないようです。大切な人を亡くした後、遺された人が目指す一つのゴールを設定するならば、「日常を取り戻す」ということでしょう。これは、亡くなった人を忘れるという意味ではありません。むしろ、「亡くなった人と一緒に生きていく」ということになるのだと思います。
肉体を失ってしまったので、これまでのように触れたり、会話をしたりすることはできません。その変化を受け入れるには時間がかかるでしょう。ただ、頭の中や心の中には存在していますので、一緒に生きていくことができるのです。
大切な人の死を乗り越えるというのは、そんな関係性の変化に慣れて、日常を続けていくということです。

※話が少しそれますが、仏教では中陰(49日)と呼ばれる時間があります。中陰(ちゅういん)は中有(ちゅうゆう)「輪廻を繰り返す中で生命あるものが死んで次の生をうけるまでの時間」や故人が亡くなって49日間のことなどの説があります。真宗では命終わると往生しますので、追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、阿弥陀如来に等しく摂取される恩徳に報謝する時間とも言われます。私(住職)は、大切な方が亡くなられた時に受け入れがたい悲しみや苦しみを現実として受け入れる時間として49日があるのだと思っています。それは関係性の変化を受け入れる時間ではないでしょうか。

四季の花(5月)

四季の花 今年の5月の大型連休は天候が定まらず、爽やかな1日だったり、少し肌寒い日であったり寒暖差を感じていたのは私(住職)だけだったでしょうか。これまで5月は境内の花が1番咲き誇り目を楽しませていただいています。今年は少し早く花々が咲き出していますので4月から華やかな気持ちです。今はツツジやシャクヤクがきれいです。

お寺の変化⑤

お寺の変化⑤ コロナ対策
4月に、総代会と世話方会を開催しました。世話方会は昨年コロナ禍で開催できませんでしたが、今回は、マスク着用・手指の消毒・検温などのご協力をいただき、お寺も感染防止対策として仕切り板などを用意して、2年ぶりに開催させていただきました。

三重県内でも新型コロナウィルス感染症の感染者が増えています。県内の幾つかの市町にまん延防止等重点措置が適用されるようです(5月7日現在)

ワクチン接種もはじまりましたが、ただちに終息することは期待できません。できることは限られていますが、これまでと同じように1人1人が気をつけないといけないと思います。

お寺の新型コロナウィルス感染症感染防止対策については、
昨年4月に厚生労働省・三重県や本山のガイドラインを参考にお寺のガイドラインを作成しております。また、主催者になられます お同行の皆様のご意見も尊重し、葬儀会場・法要会場のなどのガイドラインなども含めて、住職の判断で法務(葬儀・年回・お寺の行事)を執り行っています。
また、住職・寺族が感染した場合は、すぐさま公表し、厚生労働省や保健所のガイドラインなどに沿った対策をいたします。その間の葬儀・年回・お寺の行事につきましては、 相導師寺などにご協力をいただき安心できる場所でお勤めをさせていただきます。
同時に、コロナ感染者や家族・関係者に対する差別や偏見をすることがない心豊かな社会であることに取り組みたいと考えています。
人々の目の前にある不安な心を安心・安全に思える心に変えることに、宗教の役割は、あると思います。

「飛行機の失敗」のその後

滋賀県長浜市の江戸時代の飛行機図の資料提供
長浜市役所から、長浜(市)には、国友村(長浜市国友町)と言う鍛冶(鉄砲)集団の村があり、今も続く一族の古文書から江戸時代の飛行機図(「阿鼻機流 大鳥秘術 詳細図」)が発見されたことのプレスリリース(資料提供)を送っていただきました。
江戸時代に空を飛ぶことを試みた方は日本にも何人かいたが飛行機図などは残っていないので貴重なものです。

どうして、お寺に送っていただいたかと言うと、江戸時代の久居藩のことが記載されている『藤影記(とうえいき)』に妙華寺の本堂の屋根から飛行した人物がいると言う伝承から連絡をいただきました。この方の名は「国友貢(みつぐ)」さん。
「国友」の名前からの想像ですが、津藩の藤堂高虎が、滋賀県の高島市から三重県(伊勢の国)の伊賀上野そして安濃津に入ったことから考えると鍛冶集団の何人かが藤堂高虎について来た可能性もあるような。

「2016年2月の日曜学校今月は、妙華寺の本堂から飛行した人の顛末をお話しました。『藤影記』(梅原三千著)にある「飛行機の失敗」と言うお話しです。国友貢(みつぐ)は、鳶鼻の異相を有し、天狗の如く空を飛んでみたいと考え、鴨を一羽手に入れて両翼と尾を秤(はか)り、体の重さも精密に秤量し、その割合を算出して、その比準で自分の体重に適当する大きな羽根を造った。早速、法苑院へそれを持ち込み、実験するということで、本堂の屋根から、羽ばたきたくましく飛んだが失敗して 蓮池の真ん中に墜ちた。国友はこの時挫折したのかその後空を飛ぶことを計った噂はなかった。今「久居城下町案内人の会」でこの話を紙芝居の一つとして紹介されています。
ここからは住職の想像です。①本堂の屋根から飛ぼうとした時期は?江戸時代のいつであるか定かでないのですが、妙華寺の本堂は、文政4年(1821)3月の久居の大火にて焼失しています。再建された今の本堂は、安政4年(1857)12月に棟上げされました。推測できることは、棟上げされて本堂が再建する過程で、屋根に瓦を載せる前の状態の時ではないかと考えています。②蓮池はどこに?妙華寺にはかつてお寺の境内の東南に弁天池と言われる池ありました。現在は、樹木の元でのお墓と駐車場になっています。また本堂の西側に蓮池と言われる池が今もあります。現在は、以前より池の範囲が小さくなり蓮も咲いていません。本堂の屋根の形状が寄棟ですので飛ぶ方向としてはこちらが有力と考えています。人類で最初にライト兄弟が空を飛ぶことに成功しましたが、世界中で空を飛ぶことを夢見た人はたくさんいたのでしょうね。」((https://myoke-ji.com/2016/02/ 参照 2021年4月22日))

お寺の宝物

お寺の宝物の1つに歴代ご法主の書かれた額や掛物があります。

常磐井 堯猷(雪山)筆 「法喜」額 仏間の額

高田本山第22世 明治5年~昭和26年(1872-1951)81歳
近衞忠房の3男 少年期にドイツ留学 青年期にイギリス留学、ドイツ再留学
梵語学者として著名

その他、掛軸「正道大慈悲」・「三宝」(サンスクリット)

 

春千部会 お勤めしました

春千部会
昨年の春千部会は住職と法中(ほっちゅう=僧侶)でお勤め・布教使様の法話を録画して、自由参詣として本堂に留まることがないように開催しました。 昨年秋彼岸会から感染防止対策をとりながらお寺の行事をしています。
今日は、あいにくの雨で足もとの悪い中でしたが、ご参詣いただきありがとうございました。法話は義明寺の高藤英光師で、釈迦・弥陀の二尊からの呼びかけ「気づけよ」・「まかせよ」を通して、千部会を勤める恭敬(くぎょう)のお心をお話されました。
ご聴聞いただきました方から早速メールで感想をいただき、それぞれが、法話を味わっていただいていることをうれしく思っています。

引き続き、お世話方様にはマスク着用・手指の消毒・検温にご協力いただきながら、妙華寺会館も感染防止対策としてテーブルに仕切り板を設置し、2年ぶりに世話方会も開催させていただきました。
集うことを通して、これからのお寺についてお世話方様から直接お声をきくことができることはありがたいことで、「もっとお寺からの発信をしてください」「寄付のあり方についてのお寺側の考え方は」など意見交換ができることは貴重な場であります。