四季の花(菊)

四季の花(菊)
今年は、地域の文化祭が、新型コロナウィルス感染症の感染防止で中止となり、毎年文化祭に丹精込めて育てた菊を展示されている近所の愛好家が、1人でも多くの方々に菊をみていただきたいとのことで、お寺の本堂前にお持ちいただきました。花に詳しくない私(住職)ですが、今が盛りのようにきれいに咲いている姿は優雅で心を落ち着かせていただくように感じます。庫裡の玄関前にも2鉢置かれていますので、お寺にお越しの時、菊を愛でていただければと思います。

また、お寺に毎月花をお届けいただく方もいらっしゃり、この場をお借りしてお礼申し上げます。

本堂(内陣)床下の補強工事

本堂(内陣)床下の補強工事
住職がいつもお勤めする場所(内陣)の床下部分が傷んでいました。
平成22年の本堂の修理の時は、大間の部分は床下も修理しましたが、内陣・余間・東楽の間は、そこに荘厳されている仏具や置物がそのままの状態でしたので、床下の改修までできませんでした。今年の1月から2月にかけての東楽の間の修理の時、内陣と余間の床下の調査をしました。少し傷んでいる部分があり、11月に入り補強工事を実施しました。
これまで内陣を歩いていると、ギーギーと音がしていましたがそれがなくなり床下がしっかりしたと実感できます。
内陣や余間の床下も、これまでも何度が補修工事が行われていた形跡がありますが、どうしても床や畳をあげての本格的な修理が難しかったようでその場しのぎであったようです。今回も、床をめくっての本格的な補強工事ではありませんが、これまでよりしっかりできたように思います。

四季の花(11月)

四季の花
11月に入り寒さを感じています。例年、ストーブの用意は11月中旬ですが、今年は直ぐにでもストーブを用意したいと思っています。花で秋の代表は、菊・ツワブキでしょうか。また今年は、早咲きの椿も咲き出しました。ホトトギスや酔芙蓉もまだまだ目を楽しませてくらます。朝の日差しのせいかわかりませんが、境内のイチョウが黄葉し始めたようです。お寺の裏の街路樹のイチョウも黄色い葉が目立ち出しました。マユミの実・サンシュウの実もきれいです。ほったらかしのレモンも少し色づいてきたような・・

お気に入り

お気に入り
自分の中で大切にしているものは何か? 考え方や行動・趣味・健康・人間関係など様々ことでお気に入りがあるので、数えてみると切りがない。今日は文化の日ですので、私(住職)の趣味の1つの茶道を取り上げます。お茶は日本の総合文化と言われるようにいろいろな切り口があります。茶会でいただく、お菓子・お茶(抹茶)そしてその点前(お茶を点てる作法)に目がいきますが、茶室の床の間にかかる書や絵画、季節の花と花入や香合、お茶道具のなどの工芸品、茶室の建造物としての佇まい、露地と言われる茶庭のつくり、茶事になると、もてなしの1つである懐石料理・炭手前で気付く香や音など私たちの生活の中にある文化が、お茶を通して表現されている。それらはそれぞれが関係しているが、すべてがそろわないと茶道と言うことができないとことでなく、極端なことを言えば、何もなくてもお茶の心があれば茶道と言う文化は続いていくことのように感じる。
以前、私の先生からも聞いた話で、お茶では「型(かた)」と「形(かたち)」は「ち」に注目することが大切と聞かせいただいていた。
私にはわかりやすい譬えとして、稽古で「型」を習い、そこに「心」をいれて「形」にする。「心」という見えないものを、見える「形」として、「心」を差し上げるのがお茶のおもてなし。ハートの形のクッキーを作るのに、ハート型の枠の中にクッキーの生地をいれて、焼き上げて、枠を取ってハートの形のクッキーをいただく。
そして、お茶の心は「和敬清寂」で表している。私は、「和敬」はお互いの関係性を大切に思いやること「清寂」は時間と空間との関係性を大切に重んじることと感じる。
そんなことよりとにかく、お茶で今の時期は、「織部茶碗」と「くりきんとん」がお気に入りだ。
※写真の「織部茶碗」は、茶友の水野雅之造り(陽山窯)

例年文化の日の頃は、地域の文化祭が公民館で開催されます。書・絵画・工芸・舞踊・盆栽・華・茶など日頃研鑽されている文化協会やグループが年1度、市民に披露させていただいている晴の日です。今年から新しい市民ホール(久居アルスホール)での開催を楽しみにしていましたが、新型コロナウィルス感染症の感染防止の為中止となりました。多くの方々が集まることが感染の原因になる為、春から多くの文化行事(祭りや花火大会)が中止されている一環です。
所属する茶道団体でも、2月から行事や茶会も中止となっていますが、総本部からガイドラインが示され、来年からガイドラインにそった新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をとり開催できるよう考えています。これまでと同じにはなりませんが、新しい生活様式に沿いながらこれまで以上にお茶が楽しい行事として続いていけばと思います。

10月の聞法

10月の聞法

①お坊さんのためのアンガーマネジメント入門 寺院関係者の学びと交流の場 bラーニング  財津ユカ氏(一般社団法人日本アンガーマネジメント協会認定ファシリテーター アンガーマネジメントコンサルタント)
オンラインでの入門講座でした。
感情の1つの「怒り」が爆発して、他者や自分を傷つけることが問題になり始めた1970年代アメリカで、「怒り」をコントロールすることに注目し、アンガーマネジメントと言う領域が生まれたそうです。
「怒り」について「後悔しないこと」とは、自分が「怒って」後悔することも、「怒らなくて」後悔することも日常生活であります。その時の「怒り方」も関わっているのかもわかりません。
「怒り」と言う感情を無くすことはできないので、それに向き合い、生理的に身体の仕組みから、「怒り」がこみ上げてくるわずかな時間をやり過ごすトレーニングや、自分の中での「怒り」の領域の確認(どのような状態なら強い「怒り」になるか、それほどでもない「怒り」など)、他に現実的な対処法を可視化する方法などをお話されました。
「怒り」に向き合うことで、「怒り」について、初歩的な学びができました。
「怒り」をコントロールできれば、他者との関係性も少し変わるかもしれない。いや自分自身が変わることが一番素晴らしいことなんだとその時思いました。
これまで自分の中で「怒り」と向き合っていなかったのはどうしてなんだろう。「怒り」は自分自身の感情なのに、外部に原因があるからだと思い込んでいたからかもわからない。正しいのは自分で、悪いのは相手だなんて、単純で一方的な考え方をしているのかも。
私(住職)も時間をかけて自分の「怒り」に向き合ってみようと感じた時間でした。

※ただどうして「怒り」の感情をコントロールできればよいのか。対人関係を考えると感情のコントロールが自由にできることは望まれることと思いますが、自分の中の「喜び」や「悲しみ」のようにコントロールしなくても良い感情もあります。他者を傷つけることにあまり関係がないからだと考えますが、自分の中の感情を正直に表せることと、対人関係から感情をコントロールすることをどう見ていくかも考えさせられる学びでした。
感情を爆発(表現)させることからアートが生み出されたりすることもありそうです。

※中川個人の感想です

②「中世の三重の寺院と真宗の展開」~津周辺を起点として~三重県総合博物館太田光俊氏
コロナ禍で延期されていた、高田短期大学仏教教育研究センター主催の公開講座が、新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をとり開催されました。私(住職)にとりっては久しぶりの対面の講演会でした。
今現存する寺院の歴史は、そのお寺の縁起からもわかることがあります。しかし、この地で活動していた寺院が、歴史上、消滅することもあります。残された幾つかの史料をつなぎ合わせて窺えることもあり、津周辺の寺院の移り変わりの概説の発表でした。
これまで、時代と共に安濃津(津)の支配者は替わってきましたし、町の中心地も替わっています。今の安濃津(津)の姿は、江戸時代藤堂藩になってからの姿で、それ以前の安濃津(津)は、橋南地区が中心であったようです。
今は、津市の高田本山専修寺も、本来の地名で言うと「一身田(村)」に室町時代に、真慧上人が建立された「無量寿寺」から始まったことは高田派では知らない者はいませんが、安濃津(津)に同じ名前の「無量寿寺」があったことなんて私(住職)は知りませんでした。 いろいろな史料の中から安濃津の「無量寿寺」と称する禅と密教(鎌倉五山)の寺院が存在していましたが、忽然と消滅したことはそれぞれ時代の支配する大名(庇護者)が替わっていく中でのことかもわかりません。今有る寺院もお寺の歴史を遡って探っていくと当初は違う宗派であったり、いくつもの宗派の遍歴も知ることができたり、歴史トラベルの時間でありました。
長く寺院活動を続いている寺院、特に身近な地域の寺院の歴史(縁起)はとても複雑である故に、豊かな歴史を持っていると感じたお話でした。また、寺院と民衆との関係も時代と共に変化しています。日本に寺院が建立された時は、護国が大切な使命でしたが、時代が下がると共に庶民の心の安心を得ることが大切になり、寺院の僧侶と民衆との関係も史料(消息など)からわかってきます。
※中川個人の感想です。今回の講演を元にした論文が来年の「高田学報」に掲載されるそうです。

※また、高田本山での開催でしたが、お同行の方も参加いただきありがとうございました。