自死遺族支援者研修

8月のお盆勤めの前日10日に、三重県こころの健康センター主催の「自死遺族支援者研修」がありました。「自死遺族に寄り添うために~求められる遺族支援とは~」の講題で、リメンバー名古屋自死遺族の会の代表幹事の花井幸二氏のお話でした。講師の花井氏も自死遺族ですが、2003年にリメンバー名古屋自死遺族の会を立ち上げてから「自死遺族と支援者のためのワークショップ」・「自死遺族支援官民合同シンポジウム」の開催や、自死遺族の立場から愛知県自殺対策総合推進協議会委員、自殺対策総合計画ワーキンググループ委員などの活動をされています。花井氏は講演の冒頭で、自死遺族の支援者の前で自死遺族の立場としてお話しする機会はあまりないと仰いました。お話は、自死以外の死別と自死との遺族感情の違いや、自死遺族の心情の違いを生む要素、希死念慮者への予防に関する遺族の心情はとても複雑な思いのようです。自死遺族の会や分かち合いは自死遺族の安心につながる役割があることや、会の運営の課題や限界もお話されました。また、自死への質問で、自死遺族と希死念慮者への対応が反することの矛盾も指摘されました。
今でも希死念慮者への啓発の中に潜んでいる自死遺族への配慮が足らない点をお聞きすると、「死にたい気持ちを持った人」への対応から「苦しみを支えること」への対応に転換することの必要を提言されました。私達の中にある自死への偏見についても改めて省みる必要があります。最後に宗教と自死についての話の中でこれまでの宗教の中で自死への否定(抑止)が強くその為に、自死された方、自死遺族の方への差別があることは反省しなければいけません。それでも自死遺族の方からの宗教への期待もお話いただき、僧侶として自死遺族の方への支援について学びをいただきました。

自死遺族とひとくくりにすることもできないそれぞれの立場がある中での支援は考える以上に、大変なことと思ってしまいます。それでも相手のことを気遣いながら、今の自分にできることをしていくことしかないと感じました。
※中川個人の感想です。

寺報に見る住職の10年の歩み 平成28年

寺報に見る住職の10年の歩み 平成28年
【寺報35号平成28年12月発行】
『お寺は何を伝える
 4月に若い僧侶の法話会の会場としてご縁をいただきました。緊張の面持ちで多くの方の前でご法話をされるのは初めての方もあり、その後の反省会では伝えたいことが十分伝わらなかったと残念がられている方もいました。法話会の後にご聴聞していただいた方々と、主催者の若い僧侶達がグループになり、日頃住職に聞けないことや、その方の思いをお聞かせいただく時間では充実した色んな話題が出て、ご聴聞いただきました方々には長時間であったにも関わらず最後までおつきあいしていただきましたこと感謝申し上げます。後日、お聴きくださった方に感想をお聞きすると、とても好意的で、若い方のお話しが聞けて、ご自身のお話しを聞いてもらえて良かったとおっしゃっていただきました。妙華寺から、親鸞聖人の「み教え」が伝わっているかお同行の皆様にお聞かせいただければと思っています。』

昨年(平成28年)の12月に発行しました寺報の文章です。平成18年に法苑院妙華寺の住職を拝命して10年間の寺報に、私(住職)のその時の思いを綴らせていただいています。お寺の役割が社会の中でどのように変わっていくのか予測することは難しいのですが、これまでのようにお寺がお同行の皆様や地域の皆様にとって安心できる場でありたいという願いと、阿弥陀様の「あなた」を必ず救うとという誓いをこれまで以上に伝わる場になるように精進していきたいと思っています。
8月も7月と同じくお盆月です。この2ヶ月間は本当に暑さと向き合いながら身体の疲れを残さないように考えていますが年々疲れが取れないと思うのは年のせいでしょうか。

住職の10年間を寺報を通して毎月一度振り返っていました。当たり前ですが、11年目が近づいてきました。時が早く過ぎるように思うことですがお寺のあり方について、お同行の皆様や地域の皆様と共有できるものが少しでも増えることを念願しています。
またこの夏が終わると9月のお彼岸の準備や年末に発行する予定の寺報の原稿に頭悩ます日々がやってきます。

8月の日曜学校

8月の日曜学校は、広島に原子爆弾が投下された6日でした。72年前の今日広島市の光景を地獄のように例えます。私達は、私の中に「地獄」の心を持っていることを自覚しながら生きなければ繰り返し起こってしまう出来事であると思います。
奈良国立博物館で開催されています『源信』展を通して真宗での源信和尚を紹介しました。

(恵心僧都)源信は天台宗に属する僧で、横川の恵心院に住した。末代の凡夫のために、穢土(えど)を厭離(えんり)して阿弥陀佛の浄土を欣求(ごんぐ)すべきことを教え、それをまとめたのが、『往生要集』である。その中心思想をどう見るかで、諸説があるが、法然は、第18願の他力称名念仏を往生のためのもっとも重要な行業として説いたと解釈している。七高僧の一人として、源信の功績とされるのは、報土(ほうど)と化土(けど)の別を明らかにしたことである。すなわち、自力信心の人は化土に生まれ、他力の信心によって念仏一つを修する人は報土に生まれる。それゆえ、他力信心を得て真実報土に往生するよう願えと教えたのである。この化土は、仏教一般の化土でなく、報土中の化土で、辺地(へんじ)とか疑城胎宮(ぎじょうたいぐ)とかいわれる世界である。源信は、こうして浄土門における正行(信)と雑行(疑)の優劣と、専修(念仏一行)と雑修(諸行並修)の得失を判定した。
『親鸞読み解き事典』から

源信(942-1017)大和国当麻生まれ、44歳の時に『往生要集』3巻を著す。あらゆる衆生のために穢土を厭離(おんり)して阿弥陀仏の浄土を欣求(ごんぐ)すべきことを勧めた。

第91回仏教文化講座+

 

第91回仏教文化講座+
仏教文化講座が今年で91回を迎えました。これまでは仏教文化講座以前は、「夏安居(げあんご)」と呼ばれて、高田派の僧侶が対象で、御影堂で期間ももっと長く開催されていたと聞いた覚えがあります。仏教文化講座になってからも、今のような快適な空間での開催ではなかったことを思いますと、今は暑い時期ですが暑さを感じず拝聴できることが大変有難いことであると改めて感じています。

今年も5日間とも参加はできませんでしたが、参加させていただいた時のお話しをお聞きしての感想を記載します。

1日目は、ご法主殿のご親講で、昨年の「明恵上人とその時代」の続きとして「明恵上人の思想と信仰」のお話でした。
親鸞聖人の同時代の僧侶で当時では親鸞聖人より、高山寺の明恵上人の方が名が通っていたと思われます。明恵上人は神護寺の密教僧であり、華厳宗の復興を担う一人であり、専修念仏の批判者であり、独自の禅思想の実践者で、戒律復興の先駆者という多くの面をもっていることで中世の仏教の全体を見直す手かがりとして明恵上人に学ぶことは大切であると仰られました。また、一途でひたむきな性格のようで、柔的な面として、仏眼仏母信仰や自然詠歌として現れ、剛的な面として山中蟄居や『催邪輪』の如く激しく孤髙な一面もあるようです。
私(住職)は、「鳥獣戯画」で有名な高山寺の僧であることと『催邪輪』の著者であることしか知りませんでしたので、当時の時代の仏教をどのように見ていくかを知り得た時間となりました。

2日目は、小山聡子氏の「悩める親鸞 まじないの時代のなかで 」との講題でのお話でした。専門は、中世史学研究者で、親鸞聖人が生きた時代(平安時代後期から鎌倉時代)を改めて考察しながら、法然聖人・親鸞聖人の教えと、ご本人や門弟達の生活の中での信仰をお教えいただきました。当時の病気治療に焦点をあて、呪術について当時描かれた絵巻や絵画を用いて説明され、当時の人々が「もののけ」をどのようにとらえられていたかよくわかりました。また、法然聖人や親鸞聖人の教えが「易行」ととらえられている面と、そうではなく「難(なん=むつかしい)」ことであることの認識の違いが、聖人にも門弟にもあったのではないか。今、宗祖としての親鸞聖人のイメージをもう一度人間親鸞としてとらえることが大切ではないかと提言されました。

4日目は、ケイネス タナカ氏の「今後の真宗はどうあるべきか グローバル視点より」と題して今後の真宗寺院の方向をアメリカ仏教を俯瞰しながらのお話でした。
アメリカにおける仏教は、日本仏教だけでなく、東南アジアの仏教、チベット仏教が存在しているとのことです。アメリカの宗教人口では以前に比べて仏教徒が増加して人口の1パーセント強の350万人ほどいるようです。仏教徒と断言はできなせんが、ナイトスタンド・ブディストや仏教に強く影響された人々を含めるとアメリカの人口の10パーセントにもなると言われているそうです。この現状から日本の仏教(真宗)が学ぶ点を5つのグローバル視点から示されました。講師の親しみやすい話しぶりで和やかに時間が過ぎました。現代は、私達の生活も行動もグローバル化しています。その視点で真宗寺院の強みと、弱い点を確認でき、これからの寺院運営を考えるヒントになりそうです。

ちょうどこの日の夜、NHKテレビで「お寺が消えていく 困窮にあえぐ過疎地の僧侶たち」という番組が放送されました。私(住職)の所属する組でもお寺の合併・解散があります他人事ではありません。これからのお寺の未来をどのようにデザインしていけば良いのか、お同行の皆様と考えていきたいと改めて感じています。

宝物館では「夢記2」として、六角堂に参籠した時の夢の「親鸞夢記」、「親鸞聖人 三夢記」や、専修寺所蔵の慈円書状、関東へ向かわれる時の夢、「康元2歳丁巳、2月9日の夜、寅時夢告にいわく」の和讃など高田本山に伝わる「夢記」の特別展観がありました。

※中川個人の感想です。仏教文化講座のそれぞれの内容の概略は、主幹の栗原先生が、後日宗報に掲載されます。

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第15回】続・非僧非俗のくらし
聖人の越後での流罪人としてのくらしは、現代人の私たちにとっては想像を絶するものであったと思われます。
恵信尼さまというよき伴侶があったとはいえ、4人の子たちを養育せねばなりません。そのためには、流罪の身でありながら、普通の家庭と同じように、それなりの生計を立てねばなりません。食事の用意をしなくてはなりません。衣類もその時その時に応じて、必要だったでしょうし、また、住まいの環境も整えなくてはなりませんでした。
時がたつにつれて監視の目も緩やかになり、国府の草庵にとどまってばかりおらず、近辺の普通の人たちとの交際もあったようです。これらの人の中には、天災や飢饉で飢える人も多かったでしょう。村から追い出されたり逃げ出したものもいたでしょう。あるいは、加持祈祷をすることが宗教であると思いこんでいる人も多くいたことでしょう。
このような普通の人と同じ視座で、人間とは何か、世間とは何か、苦とは何か、そして救いとは何かという事を語り合われたのです。
聖人がおのれを愚禿と言い、非僧非俗と言われた意味が、わかります。僧でもない俗人でもないということは、俗人でもあり、僧でもあるという意味なのです。念仏の教えがいよいよ真実(まこと)の教であると領解し、あらねばならぬという信心が固まっていった流罪の時代でありました。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

Processed with MOLDIV

8月の日曜学校は8月6日です

8月の日曜学校は8月6日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
子ども達は夏休みの暑い中ですが、一緒にお勤めをしませんか。

Processed with MOLDIV