7月のお盆

今年の7月のお盆勤めが終わりました。妙華寺では地区を分けて7月と8月にお盆勤めをしています。当たり前のように7月にお盆勤めをしていますが、三重県内で7月にお盆勤めをしているのは、津市の中心部と妙華寺のあります旧久居町地区のようです。いつから7月にお盆勤めをするようになったのかは定かでありませんが明治時代に暦が変わってからのことだと思います。7月のお盆勤めは、3名の僧侶にお手伝いをいただきながら、毎年同じ日にお勤めさせていただいています。今年もそれぞれのお同行様のお仏壇の前でお勤めし限られた時間ですが、お顔を拝見し何気ないお話ができることがとても有難いことであると感じることです。2年3年前と同じお姿でありますが、私(住職)もそうですが1年1年歳を取っています。これまでできたことが難しくなったり、時間がかかるようになったりする中で、今年もお会いできたことをうれしく思います。

8月のお盆の地区のお同行様にもお会いできることを楽しみにしています。
ご遠方の方やお盆勤めの日程にご都合がつかない方には、お墓でもお勤めをさせていだいていますので、お寺までご連絡ください。

今年は三重県中勢地域は雨が少ないようです。しかし全国では、7月に入り、梅雨前線の活発な活動で九州でこれまでにない豪雨で大きな災害が発生していす。また東海地方でも集中豪雨の被害が発生したことをテレビで知りました。お見舞い申し上げます。
暦のことを言えば、高田本山の報恩講も今の暦になって1月に厳修されるようになっと思います。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第13回】越後への流罪
「承元の法難」に会われた親鸞聖人は越後(えちご)へ流罪と決まりました。当時の規則では流罪は死罪につぐ重罪でした。聖人は輿に乗せられ、追立役人に警護されて、京都から逢坂の関、船で琵琶湖を北上、山路を越前越中、それから船で越後国分寺に程近い、居多ヶ浜(こたがはま)に上陸されました。
しかし、流罪という不条理な刑罰を被ったことについて、聖人は後年『教行証文類(きょうぎょうしょうもんるい)』の後序に
「主上臣下、法に背き義に違し、忿をなし怨みを結ぶ。・・・中略・・・罪科を考えず、あるいは僧儀を改め姓名をたもうて遠流に処す。予はその一なり」
と述べられています。しかしまた、従容として刑に服された師法然を見るとき、聖人は「都から遠い越後という未開の地では、人々は生死に迷っているだろう。師法然が流刑になられたからこそ、越後の人々に仏の慈悲を説く機会がこの自分に訪れたのである。これも師から教えを受けたからこそだと感謝し、潔く配所へ赴こう」と師へのお陰と受け取っていかれました。
越後では、最初の一年は役人の監視下にあり社会から隔離されたままで、食は一日米一升、塩一勺だけで、翌年春になって種子籾をもらい、以後は自活の外に生きる道はありませんでした。自給自足に備えた、荒れ地の開墾も、流人の聖人が耕作できる土地は河原くらいだったのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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忘れ物にご注意

忘れ物にご注意
いつもお寺にお参りいただきありがとうございます。
お寺にお参りいただきました時に、時折、忘れ物がございます。念珠やハンカチ、帽子、衣服、中には、カバンもございます。貴重品が入ってるカバンや財布などは、お寺から最寄りの交番へ届けさせていただいています。念珠やハンカチ、帽子などは、お寺でお預かりしています。お忘れ物に気付かれた場合、お寺にお申し出ください。

また最近は、有難いことに、境内でお同行様のお持ちのカバンやサイフなど貴重品の盗難の被害は少なくなりましたが、今後もこれまでと同様に各自でご注意をお願いします。

 

寺報に見る住職の10年の歩み 平成27年

寺報に見る住職の10年の歩み 平成27年
【寺報34号平成27,年12月発行】
『お寺のお宝
 平成27年は、妙華寺に取りまして初めてのことが続けてありました。ご本尊の修復が2月末に完了し、当初のお姿になりました。3月21日から5月10日まで三重県総合博物館で開催されました「親鸞 高田本山専修寺の至宝」展に、県内の一光三尊仏の一つとして、妙華寺の三尊さんも展示されました。5月31日に東海TVの「スタイル+」の番組の中の「お宝照英」で登録文化財の本堂が紹介されました。ご本尊・一光三尊仏・本堂どれをとっても法苑院妙華寺のお宝ではありますが、これらのお宝が、この久居の地でお寺を大切な拠り所として寺院活動が出来るのは、多くの先達や今のお同行の皆様のお力添えがあってのことで、法苑院妙華寺の本当のお宝は、それぞれの時代にこのお寺を大事にされてきましたお同行皆様一人一人であります。私も今このお寺を預かる一人として次ぎに託すまで精一杯汗を流していくつもりです。』

平成27年も初めて経験することがいくつかありました。毎日目覚めることが命をいただいていることであり有難いことであったと気づくことでもあります。9月には念願のお寺のホームページを開設できたことも望外の出来事でした。

7月はお寺のお盆月になり、梅雨の終わり頃に重なりますので、雨の心配をしながらお盆つとめの日を迎えます。お同行様のお家のお仏壇の前でお勤めすることだけ考えています。ただこれからもこれまで通り、同じ期間でお盆のお勤めができるのか少し考えていかないと難しい時期に来ていると思うこともあります。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。

お盆が近づいてまいりました

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歓喜会(かんぎえ)
 お盆が近づいてまいりました。
日本では昔から正月と盆は年間行事として遠く離れた人も故郷に帰り、お墓やお寺に参る習慣があります。これは亡き人への追慕が佛縁を通して深められたものです。
お盆というと、亡くなった方が還ってくるとか、他宗では施餓鬼(せがき)という法会を勤めますが、正しくは、盂蘭盆(うらぼん)と言う梵語(ぼんご)のウランバナが原語で救倒懸(きゅうとうげん)と訳します。倒懸とは逆さ吊りのことで、大変な苦しみでありすが、その苦しみから救われるというのがお盆です。
『佛説盂蘭盆経』には、目蓮尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦さまのお弟子が神通力で亡き母を尋ねたところ、餓鬼道に墜ちていました。何とか助けようと努力しますが、どうしても救い出すことができず、お釈迦さまに助けを求めました。お釈迦さまは、安吾(夏期研修)終了の7月16日の休養日に僧侶を招き、懇ろにお経をあげてもらいなさいとお諭しをされ、目蓮尊者の母が餓鬼道から救われたとあります。
これらの話から、逆さ吊りの苦は、自己中心の世渡り、自らの苦を増大しているたとえであり、目蓮尊者については、我が子可愛いさのあまり、母親が貪欲にはしったのは、自分に原因があるとの慚愧(ざんぎ)の思いからであると味わいたいものです。

真宗でお盆の法会を歓喜会というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだと思います。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。

妙華寺のお盆の勤めは、7月12日から15日と8月11日から15日に、地区別にお同行の皆様のお仏壇の前でお勤めさせていただいています。ご遠方の方やお盆勤めの日程にご都合がつかない方には、お墓でもお勤めをさせていだきますのでご連絡ください。

 ※今年は、知り合いのお寺様が作られた「おぼんのおはなし」と題する冊子を本堂に用意いたしました。子どもさんにも分かるようにマンガです。お堂にお詣りの時にご自由にお持ち下さい。

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第12回】承元の法難(じょうげんのほうなん)
奈良の興福寺が、朝廷に念仏禁止を訴えている時、念仏教団にとって大変困ったことがおきてしまいました。
それは、住蓮・安楽という法然上人の弟子が、念仏の集会を催したところ、後鳥羽上皇に仕えていた女官数名が、その集会に参加し、念仏こそ私たちが救われていく教えであると確信し、髪をおろしてしまったのです。これを聞いた上皇は激怒しました。そして興福寺の訴えを受け入れ、ついに承元元年(1207)に風紀を乱すものとして念仏教団を解散させてしまったのです。
そして、住蓮・安楽ら4名を死罪に、法然上人をはじめ七名を流罪にしました。親鸞聖人もその一人で、越後、今の新潟県の国府に配流となりました。これが世にいう「承元の法難」で仏教史上、類をみない弾圧事件でした。
ときに法然上人は75歳、親鸞聖人は35歳でした。親鸞聖人は、師・法然上人とのお別れに際し
会者定離 ありとはかねて聞きしかど きのう 今日とは思はざりしを
と、詠われました。そして、法然上人は
別れゆくみちははるかにへだつとも こころは同じ 花のうてなぞ
と、詠まれたと伝えられています。これがおふたりの今生の別れとなりましたが、次はお浄土で会えるという喜びの詩でもあるのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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7月の日曜学校

7月の日曜学校では、お寺に祀られている仏像の紹介です。

真宗では、阿弥陀如来立像が本尊として敬置されています。 他の如来像や菩薩像は本堂に敬置していませんので、子どもの頃、観光で行った京都や奈良の寺院での如来像や菩薩像、明王や天の像に驚いたことでした。

①如来 如来とは「さとりの世界より来たる者」を指し、「釈迦如来」はブッダをモデルとしています。その後、「薬師如来」「大日如来」「阿弥陀如来」など多くの如来像が誕生しました。
※一枚の布を体に巻いている。髪の毛は小さく巻かれ、頭頂が盛り上がっている。手でさまざまな印を結ぶ。
②菩薩 本来菩薩像のモデルは出家前のブッダ。あえて仏にならず、修行者としてとどまり、さまざまな姿で人々を教えに導きます。「観音菩薩」「弥勒菩薩」「文殊菩薩」などがあります。
※宝冠や仏面をつけている。首飾りやイヤリングなど宝飾品をつけていることが多い。スカートのような衣服を着けている。
③明王 如来の教えを世の中に広めるため、憤怒(ふんぬ)の形相で人々を仏道に目覚めさせます。主に密教で重要視され、「不動明王」「愛染明王」「五大明王」などがあります。
※牙がむきだしになっている。火炎などを背負う。
④天 バラモン教やヒンズー教などインドの古来の神々を仏教に取り込んだのが天。守護神として仏教を守ります。「梵天」「帝釈天」「弁財天」などがあります。
※人間に近い個性豊かな姿。性別がはっきりしている。

『とつてもやさしい はじめての仏教』から

※また今日から本堂に設置しましたエアコンを使用しました。

 

 

四季の花

四季の花 6月から7月へ 紫陽花もまだまだ楽しむことができますが、芙蓉の花が咲き始めました。アガパンサスが増えています。昨年は6月に蓮が咲いていましたが今年はまだです。養分が不足しているのか細い茎、小さな葉で心配です。