親友婦人会総会とお寺の講演会

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親友婦人会総会 報告
今年も少し汗ばむような一日となりました。
今年は、13時30分より妙華寺会館で総会を行いました。その後、サプライズ企画として、会員様で大正琴を楽しんでいらっしゃいます方に演奏をしていただきました。
その後、婦人会会員でこの1年間でご往生されました、服部君子様、、栗田静子様の追弔会でお勤めをしました。
午後3時より本堂にて、「お寺の講演会」として、宇都宮市の浄土宗光琳寺の井上広法師に、16日には東京でまた19日は名古屋でご講演があるご多用の中また遠方よりお越し頂きましてご講演をいただきました。
前日にお越し頂きましたので、高田派のお茶をたしなんでいらっしゃる方と懇親しました。
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当日の午前中は、高田本山専修寺に伺い、未来の住職塾の卒業生で潮音寺の村上英俊師に高田本山をご案内していただきました。所属僧侶である私(住職)も気づいていない本山のこともお教えいただいたり、井上さんからは知恩院のことをお聞きできたりと時間があっという間に過ぎていきました。
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そして、講演会が始まりました。法然聖人は親鸞聖人のご師匠ですので、真宗では親鸞聖人が法然聖人に出遭われてからのことを聴くことは多いのですが、私(住職)は、法然聖人が山(比叡山)を降りられこれまでのお念仏から万人が救われるお念仏への立教開宗のお話しはこれまで余り聴くことがなく改めて浄土宗を開かれたお心を聴くことができて良かったです。また、これまでの時代の僧侶が地域でどのように慕われていた存在であったか、そして今の時代の僧侶がどのような存在であるかとても大きな問題を投げかけられたようなことも感じました。
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 先の早い話ですが平成30年の親友婦人会総会5月18日(金)は、親友婦人会の総会の後、真宗仏光寺派の本山仏光寺の北側に位置する大行寺の英月(えいげつ)さんにご講演をしていただきます。英月さんは、テレビやマスコミにも登場され、全国のお寺でご法話やご講演、カルチャーセンターでの講座も開かれご多用ではありますが、妙華寺の衆徒(しゅと)のご縁で来年お越しいただくことになりました。
来年も、「お寺の講演会」としてどなたにもお聴きいただく予定です。
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 また、親友婦人会も高齢化と若い方のご加入が少なく、婦人会活動の今後について改めて考えることが必要かと思われます。これからの婦人会の奉仕活動と会員相互の親睦などについてご意見を募集しながらできることを考えて行きたいと思います。

5月18日の講演会のご案内

5月18日の講演会のご案内
親友婦人会総会の5月18日に、婦人会総会の後、井上広法師をお迎えして「お寺の講演会」を開催させていただくことになりました。ご講師の井上広法師は、TVの「ぶっちゃけ寺」に出演されていました浄土宗 光琳寺の副住職様です。他にも東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げられたり、心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考に「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催して、様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中されています。そのような著名な井上広法師が、未来の住職塾の卒業生とのご縁で妙華寺でご講演をいただくことになりました。
どなたでもご聴講できますので5月18日15時に妙華寺本堂にお集まりください。
妙華寺の駐車場も限られていますので、公共交通機関のご利用をお願いします。
「お寺の講演会」の開催時間15時までは、妙華寺の親友婦人会の追弔会を本堂にてお勤めしています。
ご講演にお越しの皆様には、勝手を申しますが親友婦人会の追弔会が終了後、本堂へお上がりください。
15時からの講演には申込は不要です。
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生活の中の仏教のことば

声明(しょうみょう)
仏教儀式の際に、ほとけの徳を讃えて僧侶が、節をつけて唱えるものを「声明(しょうみょう」)といいます。一般には「せいめい」と読みます。自分の立場や考えを公にすることです。同じ熟語ですが、違った意味で使われています。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第7回】法然上人との出会いの意義
人生は出遇いです。いつ、どこで、どんなことで、誰に出遇うか。そのことがお互いの生涯を決めていきます。
親鸞聖人は、20年という長い比叡山での修行に行き詰まって、その解決を聖徳太子のご示現に仰ごうと、京都にある太子建立の六角堂に百日の参籠をされたのでした。
そして、太子の夢告に導かれて、東山吉水の草庵に法然上人を訪ねられました。草庵には、上人の教えを聞こうと毎日庶民が群参していました。聖人もその一人となって百日間も聴聞され、ようやく自分の救われる教えを思い出されたのでした。
聖人は、この出遇いを『教行証文類(総序)』に
「遇い難くして、遇うことができました。聞き難くして、真宗の教えを聞くことができました」と感佩されています。
また『浄土高僧和讃(源空讃第4首)』には「本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」
もし法然(源空)上人との出遇いがなかったら、せっかくこの世に人間として生まれてきても、救われることなく無駄な人生で終わってしまうところでした。と述懐しておられます。
聖人をして、ここまで表現された師法然上人との出遇の意義を私たちは、どう理解したらよいのでしょうか。それは、我が国(片州濁世)に、阿弥陀如来の他力念仏の教え =真宗= がついに開顕したからなのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成25年

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成25年
【寺報32号平成25年12月発行】
『柔らかい顔
 お彼岸・お盆になると大阪の千里より、今年で98歳なられた方が、お一人でバス・電車を乗り継いで、お墓参りに見える。お寺の近くの方で毎日お墓参りに見える何人の方もいらっしゃる。遠方の為、お墓参りができず、佛様にお供えをお送りいただく方もいる。境内の清掃を知らないうちにしていただく方もいらっしゃる。それぞれの思いで、お墓にお参りされ、本堂に手を合わされいる姿を拝見しながら、そこには、優しいと言うより、柔らかいお顔があります。
 以前読んだ本で、自分の怒った顔のことの話がありました。他人の怒った顔は見ることがあっても、自分の怒った顔を見たことがある人はいるのでしょうか。もし自分が怒っている時、鏡を向けると怒っていた顔が普段の顔に戻るそうです。実際自分が怒っている時は、鏡を向けるなどという冷静な判断はできませんが、自分が見たことのある他人の怒った顔と同じなのでしょう。
 怒りながら食事をした。怒りながら仕事をしたと聞くことはありますが、佛様に手を合わせる時、お墓参りをしている時は、誰も怒った顔でされたとは聞いたことがありませんし、見たこともありません。また、赤ちゃんを見るときも柔らかい顔になります。 自分が生まれてきたときの記憶はありませんが、生まれた時は何一つできない自分でした。お腹がへっても、お尻が汚れても泣くことしかできない私を、「ごめんね。お腹がへつていたのね」「ごめんね。お尻が汚れていたのね」と叱るのでなく、謝りながらお世話をしていただく方がいたのに、今では一人で大きくなったような顔をしている自分がいます。そして誰かを怒ってしまう自分がいます。
 お寺にお参りに見える柔らかいお顔を拝見しながら、改めて気づかせていただいています。』
今年(平成29年)から4年前のことですが、お寺の行事にご遠方にいらっしゃる、大変ご高齢のお同行の方がお一人で妙華寺までお越しいただいていました。「押し車を押しながらで、乗り継ぎなど大変でしょう」とお聞きしましたら、「皆さんが親切にしてくださってここまで来ることができます」とおっしゃっいます。片道3時間をかけてお寺に足を運んでくださるお姿に感謝するだけであります。現在は一人住まいも難しくなり、嫁がれた娘様のお近くの施設に入居して元気にしているとお知らせくださいます。
 またこの年(平成25年)の5月14日(前住職の祥月命日)に平松令三先生がご往生されました。私(住職)はお内仏で前住職の祥月命日のお勤めをしていました時に連絡をいただきお昼過ぎにお悔やみに行きました。高田本山で月一度の「古文書を読む会」に参加させていただきご指導をしていただいていました。史学や真宗学を学んでいない私をお誘いいただいたので私自身は、なかなか学びについていくことができませんてしたが、続けさせていただけたのは平松先生がその場で多くの学びをお聞かせいただくことが楽しく、次回も参加をしたいと思う学びの場でした。(参加するだけで私には多くの事が身に入らなかったのですが、私にとってとても贅沢な時間でした)
 この年に、「未来の住職塾」 という超宗派の勉強会に参加しました。これまで宗派を超えて多くの僧侶の方々と一緒に学ぶという経験がなかったのですが、参加者はこれからのお寺を担う若い方々が中心で私(住職)のような年齢の方は少なく、また1回の講座が7時間ほどの講義とワークは久しぶりのことでした。これからのお寺を真剣に考えている若い僧侶達に刺激をいただいたのが一番の収穫でした。またこのご縁で今に至る妙華寺の寺院活動にも変化がでてきたことは確かなことと思います。今年も六期生が学びを始めています。
毎年5月は、親友婦人会の総会があります。婦人会の幹部様にはお手数をおかけしますが何日も前から準備をしていただいています。親友婦人会も会員の高齢化と新しい会員の加入減で組織としての活動もこれまでどおり行うことが困難になってきている現状ですが、会員の皆様の英知で婦人会活動を継続していただきたいと念願しています。
★今月(5月)18日の婦人会総会後の「お寺の講演会」でお招きすることができました井上広法師も、未来の住職塾を受講してのご縁です。
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 1月下旬から、本堂の空調並びに境内墓地の通路整備を行っています。お同行の皆様には、大変心苦しいことですが、年末までに御志としてご寄付をお願いすることになりました。よろしくお願い申し上げます。また、工事中お墓参りでご迷惑をおかけする場合がございます。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。

5月の日曜学校

五月の日曜学校は、仏教から伝わった伝統や文化の紹介です。
①茶道 「さどう」・「ちゃどう」どちらも読んでいます。
臨済宗の栄西(ようさい・以前はえいさいと読んでいました)が中国から喫茶(きっさ)の習慣を日本へ持ち込んだのが茶道の起源。その後臨済宗の寺院では「茶礼」(ちゃれい)が確立されるなど、禅宗と茶道は深く関わりながら、喫茶の習慣は展開していく。茶道は仏教と関わる中で、「侘び」(わび)・「寂び」(さび)という日本独自の美意識を確立。静寂な空間で一心に茶を点てることでこころを落ち着かせ、自分自身を見つめ直し、精神を高めることをめざします。
※高田本山には、宗旦古流と言うお茶の流派が伝わっています。

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②華道 本堂の荘厳で、香と灯明と華が用いられています。
奈良時代から瓶に挿した花を仏さまに供える「供華」(くげ)の習慣があった。
その後、室町時代に室内装飾のひとつとして、仏壇飾りの「供華」から着想を得て花瓶に挿した花が飾られるようになり、生け花が「華道」として進化したのは、室町時代中期、花の名手として活躍していた京都・頂法寺(ちょうほうじ)池坊(いけのぼう)の僧、池坊専応(いけのぼうせんのう)がより美しい生け方を追求し、初めて理論的に生け花を大成しました。
※高田派では、平素はご本尊前の花瓶に松1本で荘厳することで、「高田の1本松」とも呼ばれています。

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6月の日曜学校は、第1日曜日が高田本山派婦人連合大会につき第二日曜日の6月11日に開催させていただきます。勝手を申しますがよろしくお願いします。

 

四季の花

四季の花

初夏の楓の新緑がまぶしいです。
暑くなく、寒くなく境内に咲く花々をお寺参りの時にお楽しみください。
ツツジもきれいです。シャクヤクも蕾が膨らみ早いのは咲き出しました。

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ひとくち法話

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親鸞聖人のご生涯をとおして
【第6回】六角堂での夢告(むこく)
修業者だけでなく、誰でもが救われる道はないものかと苦しみ悩まれた「範宴(得度時の親鸞聖人の名)」さんは遂に比叡の山を下り、京都の六角堂に籠もられました。
六角堂は慈悲の象徴である観音さまをまつってあるお寺で、その化身である聖徳太子が建てたといわれています。ここで100日間、日夜命をかけて、ただひたすらに誰でもが救われる道を求め続けたのでした。ところが100日間の参籠(さんろう)の終わり頃の95日目に、疲れ果ててうとうとと意識のもうろうとしていたときに、枕元に不思議なことに観音さまが聖徳太子となって現れたのです。
聖徳太子は「あなたの悩むことはよくわかるぞ、その道を解決するには、ここから東の方、数里のところ、東山のふもとの吉水に『法然(ほうねん)』という人がいる。そこに赴いてその法を聞け」という夢のお告げがあり、さっと姿を消されたのでした。
「範宴」さんはその足でそのまま、五条の大橋を渡り吉水に馳せ参じられました。これで完全に比叡のお山と決別しました。それ以後はひたすらに「法然」さまの所に通い続けられたようです。
修業者だけでなく百姓も町人も武士も商人も含めて、あらゆる人のたすかる浄土の教えに、やっと会うことができたのでした。得度以来約20年間のご苦労もようやく実を結び、「法然」さまから「綽空(しゃっくう)」という名も頂き、更なる浄土の教えの研鑚に努められたのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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五月の日曜学校は七日です

5月の日曜学校は5月7日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(重誓偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
6月の日曜学校は、第1日曜日が高田本山派婦人連合大会につき第二日曜日の6月11日に開催させていただきます。勝手を申しますがよろしくお願いします。

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春千部会お勤めいたしました

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春千部会は、ゴールデンウィークの初日で暖かい日でした。ご法話の最中に急に強い風が吹き出し、唐戸が動いた大きな音に驚きました。ご参詣いただきました皆様には、ご焼香・ご聴聞いただきありがとうございました。春の千部会のご法話は義明寺の高藤英光師です。今回は『大経』の五眼(ごげん)を通して阿弥陀様のはたらきをお話していただきました。
お勤めが終わり次第、住職(私)もご聴聞されている皆様と一緒にご法話を聴聞できるように心がけていますが、出勤されましたご法中(ほっちゅう)様への挨拶などで最初から最後までお聞かせいただく時間をとるのが難しいのが現実です。ご法話をどうして聴聞したいのかは、やはり自分のことを改めて見つめる時間となると思うからです。阿弥陀のはたらきでしか、私が迷いの中にいることがうなづくことができないからです。また同じようなご法話と感じる時も、今聞くことは、私の人生の中で今(一度)だけですのでこの機会を逃すことはとても残念に感じます。
妙華寺でご法話を聴聞できるのは、年5回の行事の時だけです。仕事におわれる時代ですが、お時間を創っていただき、ご一緒にご聴聞いたしましょう。
また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々でなりたっています。お勤めが始まる合図として梵鐘をついていただきます。それによって住職や出勤法中(ほっちゅう)は、衣体(えたい)を着替えます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

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