四季の花 桜が満開になって雨模様の日が続きました。やっと晴れたのですが少しずつ桜吹雪で地上に花びらが舞い降りだしました。芝桜・ドウダンツツジも少しずつ咲き出しました。またボタンも昨日(14日)は蕾でしたが今朝には咲いていました。本堂の後ろの山吹も咲き誇っています。華やかな気持ちになります。
四季の花 桜が満開になって雨模様の日が続きました。やっと晴れたのですが少しずつ桜吹雪で地上に花びらが舞い降りだしました。芝桜・ドウダンツツジも少しずつ咲き出しました。またボタンも昨日(14日)は蕾でしたが今朝には咲いていました。本堂の後ろの山吹も咲き誇っています。華やかな気持ちになります。
四季の花 今年は境内の桜が中々咲かないです。3日が暖かく一気に開花する樹木もありました。近くの小学校の桜も3日に桜が咲き出しやっと春が来た感じです。5日には妙華寺会館の南側の桜が五分咲きになり、山門の左側に今年植樹した桜にも花がちらほら咲き山門の右側の桜はまだ開花したばかりです。6日の午後から10日まで雨の予報で咲き誇る桜を見ることができるか少し心配です。
他にも、境内のモクレン・ユキヤナギ、利休梅・うぐいすかぐらも咲き出したようで外に出るのも楽しくなります。
※今年は遅れて3月の彼岸会の後、やっと蓮の植え替えができました。
親鸞聖人のご生涯をとおして
【第3回】比叡山での血のにじむ修行と研鑽
9歳の春、京都の青蓮院で得度・出家された親鸞聖人は、修行のため比叡山に登っていかれました。
比叡山は、天台宗の開祖である伝教大師が開かれた修行の道場です。山上の自然、殊に冬の寒さは格別で、幼い聖人にとっては耐え難い日々であったにちがいありません。
天台宗の教えは『法華経(ほけきょう)』に説かれている「この身このままで、この世でほとけになること」が目標です。それには「こころの動きを止めて、真理をみつめる」修行に徹することでした。
ほとけになるためには、何よりもまず、わが心が濁りのない清らかなこころに変わらなければなりません。純粋な聖人は、そのために忠実に教えに従って脇目もふらず、修行と学問に努力されましたが、修行すればするほど、わがこころの醜さ、弱さが見えてきてどうにもならなかったのです。
その頃の聖人の苦悩を『歎徳文(たんどくもん)』には「例えていえば、静かな水面をじっと見つめて精神統一をはかっても、こころの中のざわめきを押さえることが出来ません。一天の曇りもない清澄な月光を思い浮かべて、濁りのないこころになろうと願っても、迷いの雲がこころを覆ってしまう」と述べられています。
こうした苦悩や疑問をかかえての長い修行を通して、自力の修行によっては、ほとけになることができない自分であることを自覚された聖人は、自分のような者でもほとけになる道はないものかと、聖徳太子ゆかりの地を訪ねる旅に出られたのでした。山に登られてから十年の歳月が経っていました。