四季の花

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四季の花 桜が満開になって雨模様の日が続きました。やっと晴れたのですが少しずつ桜吹雪で地上に花びらが舞い降りだしました。芝桜・ドウダンツツジも少しずつ咲き出しました。またボタンも昨日(14日)は蕾でしたが今朝には咲いていました。本堂の後ろの山吹も咲き誇っています。華やかな気持ちになります。

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生活の中の仏教のことば

非時(ひじ)
仏教の戒律に「昼過ぎから翌朝までは食事をしない」とあり、この時間を「非時」と言っています。
会葬者に出す食事のことを「お非時」と使いますが、これは「非時食(ひじじき)」の意味で、食事時間以外の食事だからです。

 

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快慶展

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 先日、奈良国立博物館で開催されています「快慶」展に行きました。あいにくの雨でしたが、桜も満開に近く、鹿もたくさんの観光客に人気でした。「快慶」展も多くの人でした。私(住職)は快慶については、学校の日本史で習った程度の鎌倉時代の有数な仏師の一人としか知りませんでしたが快慶の作った代表的な多くの仏像を拝見できた喜びを感じました。また阿弥陀信仰者としての生き方も快慶の仏像を多くの方々が求めた一因になるようです。
 近年高田本山専修寺の如来堂のご本尊である阿弥陀如来立像も、調査により快慶が作った特徴が顕著に認められ、また光背や台座もきわめて入念な作技で素晴らしいものとあり、私(住職)には、より快慶に親しみがもてました。
 また、「快慶」展が終わると源信の1,000年忌特別展として「源信 地獄・極楽への扉」展が予定されているようです。源信(げんしん)は大和(奈良)出身で、天台教学を修め、比叡山横川(よかわ)の恵心院に住したので恵心僧都とも言われています。『往生要集』を著し、あらゆる衆生のため穢土を厭離して阿弥陀仏の浄土を欣求すべきことを勧めました。親鸞聖人は七高僧の一人として尊ばれた方です。展覧会では、源信の影響下で生まれた名品を紹介されるようです。こちらも拝見したいと思っています。
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ひとくち法話

 親鸞聖人のご生涯をとおして
【第4回】聖徳太子廟に詣でて
比叡山での血のにじむ修行と研鑚を続けられた親鸞聖人は、はや19歳になられました。その間、この身このままで仏になるには、濁りのない清らかな心、鏡のように澄み切った動かない心にならねば、悟りの境地には入れないと、法華経の教えを信じて行を重ね、学問にも心血を注がれましたが、どうしても清らかな心になれず、また、心を静めることもできませんでした。
聖人は、この上は「日本に仏教を広められた、観音の化身と仰がれている聖徳太子に、この悩みを聞いていただこう」と考えられ、魂の解決を求めて、河内国、磯長の叡福寺にある聖徳太子のお墓に詣でられました。そして御廟(ごびょう)の前に座り、一心不乱に今までの苦悩や、迷いの解決の道を聖徳太子に念じられたのです。
二日目の深夜でした。つい、うとうとと、まどろんだ聖人は恐ろしい夢をご覧になりました。
「わが弥陀と観音、勢至は、この塵にまみれた濁りの世を救うために懸命になっていられる。この日本は真実の宗教が栄える土地である。よく聞け、私の教えを。お前の命はあと十年余りである。そのいのち終われば、お前は速やかに浄らかな土へ入るであろう。だからお前は、今こそ菩薩を深く心から信じなければならぬ」と。
感受性高く、自己に厳しい聖人は、この聖徳太子のお告げをどんな思いで受けられたでしょうか。突然、自己の死との対決を迫られた、この夢告は以後の聖人の求道に決定的な影響を与えたと言えます。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
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寺報に見る住職の10年の歩み 平成24年

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成24年
【寺報31号平成24年12月発行】
『御遠忌法会を終えて
 妙華寺では平成23年11月に、高田本山では今年の4月に賑々しくお勤めをいたしました。檀信徒の皆様にはご参詣を賜り大変ありがとうございました。改めて親鸞聖人のご遺徳を振り返る勝縁でしたが、御遠忌法会を終えても聖人の「み教え」を深めていきたいと思います。それには自分自身のあり方をもう一度省みることにつきます。私自身がどれ程自己中心の生活をしているのか。このような私にかけられている仏の願いに気づいているのか。そしてこの仏の願いを生涯をかけて尋ねていくことであり、仏縁に遇うことのできた喜びをかみしめ人生を歩んでいきたいと思います。』
 50年に一度の大きな法会を終えた高揚感とこれからの自分の歩みを確かなものとして歩みたい希望を綴りました。
 この年(平成24年)の12月17日に、私(住職)に高田本山の事務方としてのあるべき姿をお教えいただいた岩田光正師がご往生されました。岩田師は前住職が親しくしていただいていた関係もあり、また高田本山専修寺御影堂平成大修理事務局での局長で、私(住職)の上司として多くの事をお教えいただいたことに感謝しています。その岩田様のお寺を嗣がれる(住職拝命されました)お孫さんに今年の本山のお七夜でお会いすることができました。(お孫様の得度の時の岩田師の笑顔がとても素敵だったこと覚えています)
毎年4月に入りますと境内の桜もきれいに咲きますが、今年は開花が遅かったにもかかわらず、暖かく2、3日で満開になりました。メリシャカ(花祭り)はあいにくの雨模様でした。土曜日には、お同行様もお花をお持ちいただきお供えさせていただきました。
1月下旬から、本堂の空調並びに境内墓地の通路整備を行っています。お同行の皆様には、大変心苦しいことですが、年末までに御志としてご寄付をお願いすることになりました。よろしくお願い申し上げます。また、工事中お墓参りでご迷惑をおかけする場合がございます。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。
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四季の花

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四季の花 今年は境内の桜が中々咲かないです。3日が暖かく一気に開花する樹木もありました。近くの小学校の桜も3日に桜が咲き出しやっと春が来た感じです。5日には妙華寺会館の南側の桜が五分咲きになり、山門の左側に今年植樹した桜にも花がちらほら咲き山門の右側の桜はまだ開花したばかりです。6日の午後から10日まで雨の予報で咲き誇る桜を見ることができるか少し心配です。
他にも、境内のモクレン・ユキヤナギ、利休梅・うぐいすかぐらも咲き出したようで外に出るのも楽しくなります。
※今年は遅れて3月の彼岸会の後、やっと蓮の植え替えができました。

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4月7日8日はメリシャカ(花祭り)

2017-04-02日曜学校資料 花祭り

 

今月の日曜学校は、お釈迦様の誕生のお話しをしました。日本の多くのお寺では、お釈迦様の誕生と涅槃を行事としてお勤めしますが、誕生仏は像体、涅槃は絵画で現されていることが多いようです。でも考えると寝釈迦像があるお寺様もありますね。
妙華寺では、4月7日8日に花御堂を本堂の前にお出しします。誕生佛に甘茶をおかけください。皆様のお家のお花がございましたら花御堂にお供えください。また、隣寺の花祭りでスタンプをいただきましたら妙華寺にて記念の品をお渡しします。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第3回】比叡山での血のにじむ修行と研鑽
9歳の春、京都の青蓮院で得度・出家された親鸞聖人は、修行のため比叡山に登っていかれました。
比叡山は、天台宗の開祖である伝教大師が開かれた修行の道場です。山上の自然、殊に冬の寒さは格別で、幼い聖人にとっては耐え難い日々であったにちがいありません。
天台宗の教えは『法華経(ほけきょう)』に説かれている「この身このままで、この世でほとけになること」が目標です。それには「こころの動きを止めて、真理をみつめる」修行に徹することでした。
ほとけになるためには、何よりもまず、わが心が濁りのない清らかなこころに変わらなければなりません。純粋な聖人は、そのために忠実に教えに従って脇目もふらず、修行と学問に努力されましたが、修行すればするほど、わがこころの醜さ、弱さが見えてきてどうにもならなかったのです。
その頃の聖人の苦悩を『歎徳文(たんどくもん)』には「例えていえば、静かな水面をじっと見つめて精神統一をはかっても、こころの中のざわめきを押さえることが出来ません。一天の曇りもない清澄な月光を思い浮かべて、濁りのないこころになろうと願っても、迷いの雲がこころを覆ってしまう」と述べられています。
こうした苦悩や疑問をかかえての長い修行を通して、自力の修行によっては、ほとけになることができない自分であることを自覚された聖人は、自分のような者でもほとけになる道はないものかと、聖徳太子ゆかりの地を訪ねる旅に出られたのでした。山に登られてから十年の歳月が経っていました。

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