ひとくち法話

証拠の如来(しょうこのにょらい)
如来堂(にょらいどう)のご本尊(ほんぞん)は、「証拠の如来」といわれています。
第10世真慧(しんね)上人の時代のこと、本願寺(ほんがんじ)の中興上人といわれている蓮如(れんにょ)さんが、教団を拡張する手段として「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」という名号を同行に配っていました。しかし、同行の中にはこの「無碍(さしさわりのない)」という意味をはきちがえて「この名号を称えておれば、どんな悪事を働いても、往生の障りにはならぬ」といって、集団で乱暴するものがでてきたのです。そして蓮如さんも押さえがきかなくなりました。そこで真慧上人が比叡山に登って無碍光如来の正しい意味を説明し、7日間に亘って真宗の正意を講ぜられましたところ、その博識(はくしき)、弁舌に加えて確かな正意安心(しょういあんじん)に全山の僧侶が感動し、親鸞聖人の再来ではないかとうわさされたといいます。そして、わが高田派こそ真宗の教えを正しく受け継ぐ教団であるといい、その証拠にと慈覚(じかく)大師一刀三礼の阿弥陀如来尊像を真慧上人に献じられました。このことが「証拠の如来」といわれる由縁です。
のちに上人は『顕正流義鈔(けんしょうりゅうぎしょう)』を著して、色々な邪義をくだいて一流の正義を明かされました。
親鸞聖人は「無碍というは、如来のおはたらきは衆生の煩悩や悪業に障えられることがない」からだと解説しておられます。
古来から、わが高田派は、真宗の法灯集団だといわれていますが、この証拠の如来にまつわる史実もまた、その証のひとつともいえます。『高田山証拠如来縁起』より
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

 

【写真は、妙華寺の阿弥陀如来立像】

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【僧侶・寺族対象の行事報告】自死についての学びの場

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【僧侶・寺族対象の行事報告】自死についての学びの場
雪が心配でしたが、高田派・曹洞宗・天台真盛宗のお寺の僧侶・寺族の方13名と行政機関の方5名の方々にお集まりいただきSottoの出前研修を開催させていただきました。
ご講師として京都自死・自殺相談センター様から金子様・小坂様にお越しいただき、「自死の苦悩を抱えた方に何ができるのか」をテーマとして、Sottoの活動から「死にたい気持ち」を相談することはとっても勇気のいることで、その時に相談者の心をシャットアウトしてしまうと関係性が閉じてしまうこと。相談者の「死にたい気持ち」の原因を取り除くことができても、その方に安心できる関係性を持っている方がいなかったら本当の問題解決にはならないこと。相談者の「死にたい気持ち」に私が本当に向き合っているのか、相談者の苦悩を(相談者と同じ苦悩経験していなくても)想像することの大切さや相談者と私の関係性の大切さに改めて気づくことができました。ワークショップでは、二人一組で愚痴を聴くことを体験し、モデルケースで相談者と面談者の会話を観察者の立場で聴くことを学びました。質問もあり終了時間が延びて受講されました皆様にご迷惑をおかけしました。
最後に、三重県こころの健康センター様から、三重県にも自殺予防・自死遺族電話相談を毎週月曜日、自死遺族の集い(わかち合いの会)の場も奇数月に一度あることも案内されました。
改めて、自死の苦悩を抱えた方に何ができるか考えることになりました。
※中川個人の感想です。
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終了時間が遅れてしまい、ご紹介することができなかった案内がありました。
「京都いのちの日」宗教者プロジェクト実行委員会が主催されます「LIFE WALK(ライフウォーク)」です。
LIFE WALKとは、3月1日(昨年制定されました京都府の)「京都いのちの日」に合わせ、宗教者も府民の一員として、自死・自殺の問題に対して積極的に関心をもち、苦悩を抱える方に寄り添う気持ちを育むことを目的とした、いのちを想う宗教者の行進です。宗教・宗派を超えた宗教者が、それぞれの信仰に基づく服装(衣体や祭服)を着用し、メッセージを掲げながら、真宗佛光寺派本山佛光寺から浄土宗総本山知恩院までの約3Kmをねり歩きます。
スケジュールとしては、3月1日14時45分 真宗佛光寺派本山佛光寺に集合
15時から開会・あいさつ・トークセッション・フォトアクション
16時から行進出発 16時50分行進到着・閉式(浄土宗総本山知恩院 和順会館大広間)
17時解散 ※解散後、懇親会を予定(希望者のみ)
参加表明・お問合せは、「京都いのちの日」宗教者プロジェクト実行委員会へ
【MAIL】lifewalk.kyotoinochinohi@gmail.com
※昨年のLIFE WALKは、西本願寺から京都駅(八条口)までの行進だったと思います。
いのちの日
京都府では、国、市町村及び府民等が一体となって自殺対策を推進して、悩み苦しんでいる方々が孤立することを防ぎ、全ての府民が地域社会の一員として共に生き、共に支え合う社会を実現することを目的として、都道府県で初めて「京都府自殺対策に関する条例」(平成27年京都府条例第20号)を制定されました。
京都府では、毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。
※行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれることが、全国に広がる先駆けになることを願っています。

寺報に見る住職の10年の歩み 平成22年

寺報に見る住職の10年の歩み 平成22年
【寺報29号平成22年12月発行】
『勧進(かんじん)
勧進には、「寺社仏像などの建立・修復のため寄付をあつめる」意味があります。古くは、勧進聖として全国を遊行し、寺社仏像の建立・修復のため多くの民衆より寄付をあつめたことも文献で残っています。親鸞聖人が越後へ流罪され、赦免されてから関東へ行かれた説で有力なのが善光寺勧進聖の一員として関東へ行かれた説です。栃木県の高田にあります本寺には、善光寺式の一光三尊仏が本尊(秘仏)としてあり、一身田の本山にも17年に一度御開扉されていることもこの説を身近に思うことの一つです。昨年4月から5月にかけて、お世話方の皆さんと一緒に、本堂の改修の寄付のお願いに参りました。お世話方の皆様の周到な準備に頭が下がる思いで住職はついて歩くだけでした。同時に、お同行の皆様にも快くご寄付に賛同していただきましたこと改めて感謝申し上げる次第です。本堂の改修工事も順調に終わり、お世話方様・婦人会幹部の皆様に清掃のご奉仕をしていただき、本堂のご本尊をご復座いたしました。改修した本堂を皆様と共に未来に引き継いでいきたいと思います。親鸞聖人の関東でのご教化と勧進は、何もないところからのことですので大変なご苦労があったことは想像以上のものがあります。』

平成22年は、およそ10ヶ月間の本堂の改修工事が、お同行の皆様のご寄付により無事終わりましたことがなによりでした。ご寄付をお願いする時は、本当の意味をお伝えできなければできないことだとお教えいただいたことでした。

新しい本堂を楽しみにしていました前住職が(平成22年)5月14日に往生されました。ちょうど高田本山の御影堂の落成慶讃法会の初日でした。ご多用の中ご法主殿にお悔やみ、お念仏いただきしたことは、もったいないことでありました。前住職には、仮本堂での葬儀式で大変申し訳なく感じています。この年は6月に祖母の33回忌があり、親戚寺院のご住職のご葬儀、母の妹の葬儀と続きました。また私(住職)は7月の初盆火入れの前日(6日)に入院手術し、7日の朝6時に一旦退院して初盆火入れのお勤めをして次の日検査し正式退院になりました。自分の中の悲しみと向き合うこともせず、目の前にあるしなければならないことを行うことで精一杯であった時期でした。
2月はお寺としての行事が無く、少しゆっくりできます。中旬を過ぎれると中庭の白梅が咲き始めます。前々住職はこの花を見て歌を詠んだりお茶を楽しんでいました。前住職は梅の実を梅酒として楽しんでいました。下旬に入りますと、春彼岸の案内の用意に取りかかります。
先月下旬から、本堂の空調並びに境内墓地の通路整備を行っています。お同行の皆様には、大変心苦しいことですが、年末までに御志としてご寄付をお願いすることになりました。よろしくお願い申し上げます。また、工事中お墓参りでご迷惑をおかけする場合がございます。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。

 

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2月の日曜学校

2月の日曜学校
高田派では平素のお勤めで和讃は、『浄土高僧和讃』を5首ずつ拝読しますが、妙華寺の修正会での和讃は、『浄土和讃』の中の「現世利益和讃」15首を拝読しています。今年の修正会で、「現世利益和讃」の15首を印刷してお配りし一緒にお勤めしようとしました。11首目からお配りした「現世利益和讃」と勤行本の11首目が違っていて参詣された皆様にご迷惑をおかけしました。印刷した「現世利益和讃」は、高田聖典によるもので、国宝本の「現世利益和讃」を印刷していました。平素お勤めに使う勤行本では、一般に「文明本」と呼ばれる配列で記載されています。その配列の方が、内容の連なりとして自然であると言われています。
三帖和讃
親鸞聖人が著した『浄土和讃』『浄土高僧和讃』『正像末法和讃』の総称。浄土真宗の法義を余すところなく讃嘆されていることから「和語の教行信証」ともいわれる。このうち『浄土和讃』と『浄土高僧和讃』は、宝治2年(1248)、親鸞聖人76歳の時に成立し、その後も補訂が続けられた。また『正像末法和讃』は正嘉2年(1258)親鸞聖人86歳の時に一応成立し、その後もかなりの補訂が行われている。親鸞聖人と真仏上人の筆による高田派専修寺蔵国宝本が現存するほか、古写本には高田派専修寺蔵正応3,年顕智書写本(『高僧和讃』は現存せず)などがある。最も流布したのは、蓮如(本願寺派)が文明5年(1473)に「正信偈」とともに出版した「三帖和讃」(「文明本」)
これらの諸本の間には、和讃の本文や配列順序、左訓の有無など異同も多い。
【以上浄土真宗辞典 本願寺出版社】
『解説 三帖和讃』 平松 令三著
第一章 真宗教団の中での和讃の位置
親鸞聖人と和讃
仏教寺院で歌われる仏教歌謡の一種に「和讃」がある。語源を調べると、漢文で綴られた漢讃に対して、和文で仏法を讃嘆する歌謡だったので和讃と呼ばれた。その成立は、大陸との政治的文化的交流が打ち切られた平安時代の半ばころ、文化の和様化が進んだ時期であった。折からの浄土信仰の隆(たか)まりと軌を一にしていて、浄土教系の法会の中で詠唱されることが多かった。恵心僧都源信や空也上人などが和讃を作って、奨めたというが、「これがその和讃だ」と確認するだけの史料は伝わっていない。
和讃の形式もいろいろだったらしいが、やがて七五調の和讃が主流を占めるようになり、鎌倉時代に入って最盛期を迎えることになる。そこへ登場したのが親鸞聖人であって、聖人ほど数多くの和讃を制作した人はいない。聖人の和讃はすべて七五調で、四句を一首とするが、その制作数はいまわかっているだけでも優に500首を越える。しかもそれらの多くは優雅で格調高く、文学作品として優れているだけでなく、高度な思想内容を持っている点で他に比類がない。和讃史上、質量ともに抜群の存在として評価されている。その代表作が『浄土和讃』『浄土高僧和讃』『正像末法和讃』のいわゆる『三帖和讃』である。
【以上 解説 三帖和讃 平松 令三著】
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Sotto出前研修 たんぽぽのこと

Sotto出前研修 たんぽぽのこと
ご縁をいただき、2月10日に妙華寺会館で開催する「自死についての学びの場」は、京都自死・視察相談センター様の事業の1つであります出前研修によるものです。これまでも全国で出前研修を開催されていますことを知りお願いしました。
Sottoの冊子には、出前研修の目的は、
『Sottoは「死にたい」「大切な人を自死で亡くした」といった自死の苦悩を抱えた方の心の居場所づくりを目的として活動しています。わたしたちが居場所作りにおいて最も重要だと考えているのが、そこに居る<ひと>です。 ですから、心の居場所にふさわしい<ひと>を育成するボランティア養成講座を毎年開催し、活動するボランティアには定期的な研修の場を提供しています。これまでに様々な講座を開講してきた結果として、電話相談、メール相談、語り合う会、おでんの会など、多様な窓口を開催することができ、また、それぞれの窓口の利用者も増えていることは、<ひと>が育ってきている1つの証左と言えます。
わたしたちのボランティア養成の経験は、だれかの支えになりたいと思っている多くの方々に、何らかの有意義な気づきを提供できるのではないかと考えています。
そこで<Sotto出前研修>を提案することにしました。具体的には、対人支援の方法論や実際の相談経験などをスピーチする<講演型>と、Sottoの研修カリキュラムを応用して依頼団体の目的と目標に添う研修カリキュラムをデザインする<オーダーメイド型>の2通り研修を提供することができます。
<Sotto出前研修>を通して、より多くの人に対人援助の具体的な方法論を知っていただくことにより、自死の苦悩を抱えた方と適切な関わり方ができる<ひと>が増え、一人でも多くの自死の苦悩を抱えた人々の苦悩が少しでも和らぐことにつながるのではないかと期待しています。そして、自死の苦悩はもちろん、どのような苦悩を抱えていたとしても、誰もが安心して歩むことができる社会の実現に貢献していければと思っています。』と記載されています。
また、名称の「たんぽぽの由来」には、
『1つ1つの講演や研修会が、たんぽぽの花となり、受講されたみなさん1人1人がたんぽぽの綿毛として、それぞれのフィールドでまた新たな花を咲かせることを願って名付けました。』とあります。
 当日は、京都自死・自殺相談センター様からお二人の講師をお迎えして、「自死の苦悩を抱えた方に何ができるのか」をテーマとして、「研修会の前半には、死にたい気持ちを抱えた方や、大切な方を自死・自殺で亡くされた方の気持ちについて、そのような方との関りについて僧侶へ期待すること、という内容で座学をいたします。
休憩を挟んで、後半ではワークショップを通して、対話の練習および、よりよい関わり方などを模索できるようなきっかけにつながればと思っております」
※時間は13時30分から16時頃までです。
まだ少し席に余裕がございます。
行事案内「自死についての学びの場」
日時 平成29年2月10日(金)午後1時30分から午後4時頃
【先行案内が午後3時までとなっていましたが研修の充実で午後4時に変更になりました】
会場 妙華寺会館 三重県津市久居二ノ町1743番地 法苑院妙華寺内
対象 僧侶及び寺族  会場の都合で20名まで
会費 2,000円(領収書をお出しします)当日徴収させていただきます。
申込先 HP(myoke-ji.com)のお問い合わせ(メール)に、 ご参加されます方のお名前
宗派・所属寺院名・ ご連絡先を記載されお申し込みください。
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2017-02-10
自死についての学びの場
雪が心配でしたが、高田派・曹洞宗・天台真盛宗のお寺の僧侶・寺族の方13名と行政機関の方5名の方々にお集まりいただきSottoの出前研修を開催させていただきました。
ご講師として京都自死・自殺相談センター様から金子様・小坂様にお越しいただき、「自死の苦悩を抱えた方に何ができるのか」をテーマとして、Sottoの活動から「死にたい気持ち」を相談することはとっても勇気のいることで、その時に相談者の心をシャットアウトしてしまうと関係性が閉じてしまうこと。「死にたい気持ち」の原因を取り除くことができても、その方と安心できる関係性を持っている方がいなかったら本当の問題解決にはならないこと。「死にたい気持ち」の相談者に本当にその方の悩みに向き合っているのか、相手の苦悩を想像することの大切さや相手と私の関係性の大切さに改めて気づくことができました。ワークショップでは、愚痴を聴くことを体験し、モデルケースで相談者と面談者の会話を観察者の立場で聴くことを学びました。質問もあり終了時間が延びてご迷惑をおかけしました。最後に、三重県こころの健康センター様から、自殺予防・自死遺族電話相談を毎週月曜日、自死遺族の集い(わかち合いの会)の場も奇数月に一度あることも案内されました。
改めて、自死の苦悩を抱えた方に何ができるか考えることになりました。
※先月(1月中旬)の夕刻に若い学生が庫裡を訪れ、温かい飲み物を求められ、温かい紅茶を用意していました。その間、坊守がお話しを聴いていましたら、朝母親とけんかをして家を飛び出し、図書館にいたけれど閉館時間となり暗い中、街を歩いてこのお寺にきたようです。温かい飲み物とおにぎりをお出ししてもう一度お話しを聞きながら、目の前にいる学生さんのお母さんのことを思いました。けんかの原因ははっきりは分かりませんが、親御さんが子どもを心配するあまり、怒ることもあることを、私(住職)の子どもの時のことを思い出しながら、また一人の子どももっている親としてお話ししました。
学生の方には、その時帰りにくい家だと思いましたが、心配をしている親御さんのことを思わずにはいられませんでした。翌日、昨夜の学生の方が手紙を書かれて持参されました。そこには、昨日、悩んでどうすることもできなかった気持ちが、親の気持ちも考える機会になりよかったことが書かれていました。
手紙をいただいたことはうれしく思うことでしたが、、学生の方と話をしている時にそれほど(死にたいと思うほど)悩んでいると気づけなかった自分が恥ずかしくもありました。
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ひとくち法話

野仏と野袈裟(のぶつとのげさ)
中興上人(ちゅうこうしょうにん)と仰がれている真慧上人(しんねしょうにん)(第10世)は伊勢の地を精力的にご巡教(じゅんきょう)されて、沢山の寺院や念仏道場を作られました。そして布教の重要な手だてとして「野仏」と「野袈裟」という葬儀式の要具を下付けされました。
「野仏」は今でも「野仏さん」と敬称されている阿弥陀如来のお軸で、死者の枕元にかけ、葬列のときには箱に入れて棺の前を歩く習わしになっていました。このことは、阿弥陀如来のお導きでお浄土に往生するということのお示しです。
また「野袈裟」が使われる以前は死骸を村境の墓地に置いてくるだけで、せいぜい土をかぶせる程度だったので、腐乱した死体を鳥獣がつつく光景が人々に地獄を実感させました。真慧上人はこれでは、死者に申し訳ないことと、真宗の教えから「野袈裟」を遺骸の上にかけ、やすらかな死後の往生を念じられたのです。
当時の「野袈裟」は縦1メートル20センチ、幅40センチの絹3枚を横につないだ大きさで、その中央に「南無阿弥陀仏」、その周囲に経文を記したものでした。
このように「野仏」も「野袈裟」も阿弥陀如来さまは、亡くなった方に、どこどこまでもついて離れず、お浄土までお導き下さるということを形をもってお示し下さっているのです。この伝統は高田派だけに遺されているもので、念仏者の願いを如実に具現化してくださった真慧上人のご功績であります。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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日曜学校は2月5日です

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今年最初の日曜学校は2月5日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
立春もすぐですがまだまだ寒さが続いています。お身体大切になさってください。

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