11月の聞法

仏教教育研究センター公開講座の「仏教の慈悲 真宗の慈悲」~仏教徒の福祉活動を通して考える~がありました。講師は金信昌樹師でした。私だけかもわかりませんが、仏教の慈悲を考える時、真宗の慈悲を考えてしまう? 真宗の僧侶は、教義で、自力聖道門の教えと他力浄土門の教えを分別しているからでしょうか。
日本の仏教保育の祖とされる奈良時代の「法均尼」の戦災孤児の収養・連座者の助命減刑の嘆願活動や鎌倉時代の叡尊・忍性の社会救済活動と時代は下りますが九条武子の社会福祉活動を通して、仏教の慈悲と真宗の慈悲のお話でした。現代も、僧侶として福祉活動・ボランティア活動などの社会活動をされている僧侶はたくさんいらっしゃいます。
その時、活動する前から自力聖道門の慈悲だからとか、他力浄土門の慈悲は衆生にはできないなど理由づけすることではなく、自分が社会活動を実践する中で、「仏教の慈悲 真宗の慈悲」を感じるものではないかと最後に仰った言葉に感じるものがありました。
私の(住職)の数少ない災害時の支援活動を振り返っても、毎年のように日本全国で起こる自然災害に支援ができるかと言うと、私(住職)と被災者に何かの関係性を見いだせないと難しいことが現実です。
私(住職)との関係性の濃淡で支援をするというのも大変申し訳ないことですが、それが現状です。
会場が高田本山の鐘楼堂の近くでしたので夕時のお勤めの合図の鐘が聞こえる中の講座でした。前回に引き続きお同行の方にも参加していただきありがとうございました。
※中川個人の感想です。

 

【オンライン視聴】善西寺の報恩講 法話
うれしいことに最近は多くの寺院の法要や法話などがオンラインで視聴できます。しかし、しっかり聞法(その場に参加して聞法)しているかと言うと中々難しいです。自分の空いている時間に視聴(聞法)するのですが、聞法の姿勢はその場で聞法している緊張感がわかないことのほうが多いような気もします。今回は、桑名の善西寺様のlive配信でご法話をお聴かせいただくことができました。布教使は、本願寺派布教使の竹本了悟師で「阿弥陀さまの温かなはたらき」のご法話でした。讃題に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけてたてまつる」【弥陀経意 第1首】をいただき、これまでの布教使ご自身を振り返りながら、仏教や真宗の教えから離れた生活をしていたことから、少しずつ真宗の「み教え」をお聴かせいただく中で、この世界はアミダさんのはたらきで満ち満ちていることに出遇ったことにうなづかれたことをお聴かせいただきました。
私(住職)は自分のこれまでの生活の中で、この世界は「苦」に満ち満ちていると感じていることがあります。竹本師のように、自分自身のこと、この世界のことを真剣に見つめていく先に、「苦」に満ち満ちている世界が、「アミダ様のはたらき」に満ち満ちている世界であったかという転換が、私のままでいいことにうなずくことになるように感じます。仏教の教えに出遇うことで、私のままでよかったんだと人生を歩んでいければこれほどよろこばしいことはないでしょう。
※中川個人の感想です。

※竹本了悟師は、11月9日龍谷大学顕真館公開講座で「仏教を理念とする社会実践~自死・気候危機への対応~」と題した講演で、仏教の視点が社会実践にも大切であることをお話されています。YouTubeのryukoku-shukyobu(龍谷大学宗教部)のチャンネルで視聴できます。