10月の聞法

10月の聞法

①お坊さんのためのアンガーマネジメント入門 寺院関係者の学びと交流の場 bラーニング  財津ユカ氏(一般社団法人日本アンガーマネジメント協会認定ファシリテーター アンガーマネジメントコンサルタント)
オンラインでの入門講座でした。
感情の1つの「怒り」が爆発して、他者や自分を傷つけることが問題になり始めた1970年代アメリカで、「怒り」をコントロールすることに注目し、アンガーマネジメントと言う領域が生まれたそうです。
「怒り」について「後悔しないこと」とは、自分が「怒って」後悔することも、「怒らなくて」後悔することも日常生活であります。その時の「怒り方」も関わっているのかもわかりません。
「怒り」と言う感情を無くすことはできないので、それに向き合い、生理的に身体の仕組みから、「怒り」がこみ上げてくるわずかな時間をやり過ごすトレーニングや、自分の中での「怒り」の領域の確認(どのような状態なら強い「怒り」になるか、それほどでもない「怒り」など)、他に現実的な対処法を可視化する方法などをお話されました。
「怒り」に向き合うことで、「怒り」について、初歩的な学びができました。
「怒り」をコントロールできれば、他者との関係性も少し変わるかもしれない。いや自分自身が変わることが一番素晴らしいことなんだとその時思いました。
これまで自分の中で「怒り」と向き合っていなかったのはどうしてなんだろう。「怒り」は自分自身の感情なのに、外部に原因があるからだと思い込んでいたからかもわからない。正しいのは自分で、悪いのは相手だなんて、単純で一方的な考え方をしているのかも。
私(住職)も時間をかけて自分の「怒り」に向き合ってみようと感じた時間でした。

※ただどうして「怒り」の感情をコントロールできればよいのか。対人関係を考えると感情のコントロールが自由にできることは望まれることと思いますが、自分の中の「喜び」や「悲しみ」のようにコントロールしなくても良い感情もあります。他者を傷つけることにあまり関係がないからだと考えますが、自分の中の感情を正直に表せることと、対人関係から感情をコントロールすることをどう見ていくかも考えさせられる学びでした。
感情を爆発(表現)させることからアートが生み出されたりすることもありそうです。

※中川個人の感想です

②「中世の三重の寺院と真宗の展開」~津周辺を起点として~三重県総合博物館太田光俊氏
コロナ禍で延期されていた、高田短期大学仏教教育研究センター主催の公開講座が、新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をとり開催されました。私(住職)にとりっては久しぶりの対面の講演会でした。
今現存する寺院の歴史は、そのお寺の縁起からもわかることがあります。しかし、この地で活動していた寺院が、歴史上、消滅することもあります。残された幾つかの史料をつなぎ合わせて窺えることもあり、津周辺の寺院の移り変わりの概説の発表でした。
これまで、時代と共に安濃津(津)の支配者は替わってきましたし、町の中心地も替わっています。今の安濃津(津)の姿は、江戸時代藤堂藩になってからの姿で、それ以前の安濃津(津)は、橋南地区が中心であったようです。
今は、津市の高田本山専修寺も、本来の地名で言うと「一身田(村)」に室町時代に、真慧上人が建立された「無量寿寺」から始まったことは高田派では知らない者はいませんが、安濃津(津)に同じ名前の「無量寿寺」があったことなんて私(住職)は知りませんでした。 いろいろな史料の中から安濃津の「無量寿寺」と称する禅と密教(鎌倉五山)の寺院が存在していましたが、忽然と消滅したことはそれぞれ時代の支配する大名(庇護者)が替わっていく中でのことかもわかりません。今有る寺院もお寺の歴史を遡って探っていくと当初は違う宗派であったり、いくつもの宗派の遍歴も知ることができたり、歴史トラベルの時間でありました。
長く寺院活動を続いている寺院、特に身近な地域の寺院の歴史(縁起)はとても複雑である故に、豊かな歴史を持っていると感じたお話でした。また、寺院と民衆との関係も時代と共に変化しています。日本に寺院が建立された時は、護国が大切な使命でしたが、時代が下がると共に庶民の心の安心を得ることが大切になり、寺院の僧侶と民衆との関係も史料(消息など)からわかってきます。
※中川個人の感想です。今回の講演を元にした論文が来年の「高田学報」に掲載されるそうです。

※また、高田本山での開催でしたが、お同行の方も参加いただきありがとうございました。