高田派の特長

・高田の特長
一番に思うことは、ご本尊のことです。【高田派宗制】三本尊及び影像に「わが宗派の本尊は、阿弥陀如来一仏である。本寺専修寺に限り、宗祖感得の一光三尊阿弥陀如来を本尊とする。(後略)」とあります。このことは、【高田派宗制】一宗史に「宗祖親鸞聖人は、嘉禄2年、下野国芳賀郡高田に一宇を建立されたとき、信濃国善光寺より一光三尊阿弥陀如来を感得して本尊となし、自行化他の根本道場とされた。これが本山専修寺の起源である。(後略)」に基づいています。

お寺のHPでも何度か一光三尊仏について書いたこともありましたが、親鸞聖人が善光寺聖として活動されたことにも想像を馳せながら、一光三尊仏も大切にされていることが高田派の特長ではないでしょうか。
【高田婦人要典】昭和46年3月15日発行にの中に、高田の特長として書かれた文章を、中川が一部省略したものを紹介文として掲げます。
①根本道場下野本寺と一光三尊佛
高田教団は下野高田の如来堂を中心に起こって、やがて、高田専修寺として、寺院の威容をととのえました。寛正6年(1465)第10代真慧上人が教線強化のため本山を伊勢国一身田に移されるに際し、下野の専修寺を本寺と呼んで本山と区別することになりました。下野の本寺は、聖人の御在世を伝える聖域として、古くから真宗の根本道場と言われ全真宗念仏門徒の故郷であります。
この本寺の如来堂に安置する御本尊は、聖人の夢にあらわれて善光寺から貰い受けたと伝えられる一光三尊佛であります。聖人みずから親しく御恭敬あさばれた尊像として現在唯一のものです。永く秘仏として扉を閉ざされていましたが、第17代圓猷上人の時代に初めて本山に出開帳され、以来17年毎に出開帳を仰ぐことになりました。

※次回、本寺の一光三尊仏の御開扉は、2030年(令和12年)です。後8年後を、早いと思うか、まだまだ先と思うかは、気持ち次第ですね。