第91回仏教文化講座+

 

第91回仏教文化講座+
仏教文化講座が今年で91回を迎えました。これまでは仏教文化講座以前は、「夏安居(げあんご)」と呼ばれて、高田派の僧侶が対象で、御影堂で期間ももっと長く開催されていたと聞いた覚えがあります。仏教文化講座になってからも、今のような快適な空間での開催ではなかったことを思いますと、今は暑い時期ですが暑さを感じず拝聴できることが大変有難いことであると改めて感じています。

今年も5日間とも参加はできませんでしたが、参加させていただいた時のお話しをお聞きしての感想を記載します。

1日目は、ご法主殿のご親講で、昨年の「明恵上人とその時代」の続きとして「明恵上人の思想と信仰」のお話でした。
親鸞聖人の同時代の僧侶で当時では親鸞聖人より、高山寺の明恵上人の方が名が通っていたと思われます。明恵上人は神護寺の密教僧であり、華厳宗の復興を担う一人であり、専修念仏の批判者であり、独自の禅思想の実践者で、戒律復興の先駆者という多くの面をもっていることで中世の仏教の全体を見直す手かがりとして明恵上人に学ぶことは大切であると仰られました。また、一途でひたむきな性格のようで、柔的な面として、仏眼仏母信仰や自然詠歌として現れ、剛的な面として山中蟄居や『催邪輪』の如く激しく孤髙な一面もあるようです。
私(住職)は、「鳥獣戯画」で有名な高山寺の僧であることと『催邪輪』の著者であることしか知りませんでしたので、当時の時代の仏教をどのように見ていくかを知り得た時間となりました。

2日目は、小山聡子氏の「悩める親鸞 まじないの時代のなかで 」との講題でのお話でした。専門は、中世史学研究者で、親鸞聖人が生きた時代(平安時代後期から鎌倉時代)を改めて考察しながら、法然聖人・親鸞聖人の教えと、ご本人や門弟達の生活の中での信仰をお教えいただきました。当時の病気治療に焦点をあて、呪術について当時描かれた絵巻や絵画を用いて説明され、当時の人々が「もののけ」をどのようにとらえられていたかよくわかりました。また、法然聖人や親鸞聖人の教えが「易行」ととらえられている面と、そうではなく「難(なん=むつかしい)」ことであることの認識の違いが、聖人にも門弟にもあったのではないか。今、宗祖としての親鸞聖人のイメージをもう一度人間親鸞としてとらえることが大切ではないかと提言されました。

4日目は、ケイネス タナカ氏の「今後の真宗はどうあるべきか グローバル視点より」と題して今後の真宗寺院の方向をアメリカ仏教を俯瞰しながらのお話でした。
アメリカにおける仏教は、日本仏教だけでなく、東南アジアの仏教、チベット仏教が存在しているとのことです。アメリカの宗教人口では以前に比べて仏教徒が増加して人口の1パーセント強の350万人ほどいるようです。仏教徒と断言はできなせんが、ナイトスタンド・ブディストや仏教に強く影響された人々を含めるとアメリカの人口の10パーセントにもなると言われているそうです。この現状から日本の仏教(真宗)が学ぶ点を5つのグローバル視点から示されました。講師の親しみやすい話しぶりで和やかに時間が過ぎました。現代は、私達の生活も行動もグローバル化しています。その視点で真宗寺院の強みと、弱い点を確認でき、これからの寺院運営を考えるヒントになりそうです。

ちょうどこの日の夜、NHKテレビで「お寺が消えていく 困窮にあえぐ過疎地の僧侶たち」という番組が放送されました。私(住職)の所属する組でもお寺の合併・解散があります他人事ではありません。これからのお寺の未来をどのようにデザインしていけば良いのか、お同行の皆様と考えていきたいと改めて感じています。

宝物館では「夢記2」として、六角堂に参籠した時の夢の「親鸞夢記」、「親鸞聖人 三夢記」や、専修寺所蔵の慈円書状、関東へ向かわれる時の夢、「康元2歳丁巳、2月9日の夜、寅時夢告にいわく」の和讃など高田本山に伝わる「夢記」の特別展観がありました。

※中川個人の感想です。仏教文化講座のそれぞれの内容の概略は、主幹の栗原先生が、後日宗報に掲載されます。