東日本大震災から6年

東日本大震災から6年
平成23年にご往生されました方は、仏教では7回忌としてお勤めされます。7回忌のお同行様でのお勤めの時に東日本大震災のことが話題になります。私たちの地域は、被災地から離れているのでTVや新聞の報道されたことからの情報しか持ち合わせていなくて申し訳なく思うこともありますが個々の中で忘れることのできない出来事の1つであると思います。3月11日にご往生された方の7回忌をお勤めしました。松阪市にお住まいのご高齢の方ですが、その日の東日本大震災(地震)に驚かれご往生されたそうです。ご家族はそのことをとても気にされていました。どのように受けとめるかはそれぞれですが、ご往生されました方のご一生に「ありがとうございました」と手を合わさせていただくことから残された私たちのご聴聞の歩みが始まることを感じました。
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 昨年の6月に私(住職)は、東日本大震災で被災されました方のお話しをお聞きさせていだくご縁をいただきました。
既にお寺のHPでも掲載させていただきましたが改めて再掲させていただきます。
【お寺のHP掲載文】
グリーフケア公開講座6回は、東日本大震災で被災されました気仙沼のご遺族の菅原文子さんに、龍谷大学の鍋島直樹先生がお話しを聞く対談形式でした。菅原文子さんは家族で営んでいたお店で、ご主人とご主人のお父さんお母さんの3人を津波で一瞬に失われました。2階にいた文子さんが1階にいたご主人を迎えに行き、手を取り合った瞬間にすさましい勢いの波にのまれて文子さんの目の前から消えたそうです。そして翌朝、自宅の2階のベランダからヘリコプターに手を振り続けて文子さんは救助されました。「助けを求めていると言うより自分がここにいるよと誰かに知ってほしかった」と話されました。息子さんとも前日から連絡が取れなくなったようですが救助された日に再会でき、涙が出て、夫を亡くした悲しみがあふれてきたそうです。しかし、大きな震災でしたので、悲しみはあなただけではなく、みんなだから泣いてはいけないように思われたそうです。その年の夏に行方不明の夫はまだ発見されず悲しみが爆発しそうになった頃に震災直後から支援されていた方から、「手紙を書いてみたら、書くことで癒やされることもあるよ」と進められ、泣きながらあふれる想いを、夫への恋文として綴られた手紙が、京都市の柿本商事が企画された手紙コンクール「KYOTO KAKIMOTO 恋文大賞」に選ばれました。それがご縁で鍋島先生は、菅原さんご家族と交流が生まれたそうです。大震災から1年3ヶ月後にご主人が倒壊家屋の中から発見されたと文子さんから連絡があったそうです。文子さんのご家族には悲しいことに違いありませんが、ご主人と再会できたことは本当によかったことと思えたそうです。
ご主人の3回忌の法要で「無常は希望」と言うご法話をお聞きされ、ご子息様が「悲しみに向き合う」ことができ救われたお姿を見て、文子さん自身か救われたと感じられたそうです。また、自分の中にある悲しみが今の自分のバランスをとっていると感じられていることが私(住職)には印象的でした。大震災から5年が過ぎた今、町並みは変わりつつあり目に見えて復興しているように見えるけれど、被災された方々の目に見えない「こころ」は不安だらけであるようです。いまだ行方不明の方が220名いらっしゃるそのご家族のお気持ちにも寄り添える支援が今後も継続されるように感じました。
 私(住職)にとって、大震災のご遺族からお話しを直接お聞かせいただきましたことは、初めてで本当にお聞かせいただきありがとうございますとお礼を申すことしかありません。菅原様が体験されたことをその時のご自身の言葉で語ることはとても大変で勇気がいったと思いますが、書くことによって爆発しそうな「悲しみが」多くの方に伝わる中で変化していくことや、「悲しみ」と向き合うことになる色んなご縁に感謝するお姿に感じ入りました。「悲しみを生き抜く力」が私たちの中にあることに気づかされました。
※中川個人の感想です。