最後の願い

「ラストエンジェル」 死が迫った方の最後の願いを聞いてかなえていく物語をTVで見ていました。
私たちは、生きてる中で願いを持っています。願いの全てがかなうことはないけれど、かなえばうれしくもなるし、他者に感謝や優しくなれます。願いがかなわない場合は、悲しいし、やけっぱちになる時もあります。私(住職)の場合は、そのような時、他者に優しい気持ちにはなかなかなれないように感じます。

自分に死が迫った時、私は何を考え、願うのだろう。自分一人ででできることはたかが知れていると思えるし、他者の力を借りてできる願いがあるとすればどうするだろう。
また、願いを叶えたい気持ちと、かなえたいけど他者に知られたくない気持ちなど、常に私の気持ちは揺れ動いています。

生から死を見る視点と死から生を見る視点で「願い」はどうなんだろう。考えさせられる物語でした。

日本文化で「余白」であったり「未完成」の状態に心が引かれることがあります。
生きている中で自分の人生(命)が良かったと思うことで、命終えることは有難いことでありますが、そうでない場合も有難いこととして受け入れていくことに「余白」とか「未完成」が関係しているように私(住職)は感じることがあります。

生から死を捉えて、自分の中で満足し死を迎える場合、死から生を捉えると、生の中で満足して死を迎える(完結している)ので、死後についてはどう感じていくのだろう。
生から死を見て、満足できるような気持ちでなく死を迎える場合、死から生を見ると生の中で満足できずに死を迎えることは、良い悪いの意味でなくその続きがあるようにも感じる自分がいます。
※中川個人の感想です。