和讃

 和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃29首
たとひ大千世界に みてらむ火おも過ぎ行きて
佛のみ名を聞く人は ながく不退にかなふなり
 たとえこの宇宙を猛火が包もうとも、その満ち満ちている火の中をも突き進んで、弥陀の名号を聞き求める人は、永遠に正定聚の位を退かない地位を約束されているのだ
※大千世界は三千大世界の略。この世界の全体を言う。
※みてらむ火は「満つ」という動詞に、完了助動詞「り」と、予想の助動詞「む」が添った形。直訳すれば「満ちていよう火」となる。
※不退は不退転の略。仏道から後退しない意であるが、聖人においては、正定聚の地位をしりぞかないこと。
※かなうは 適合する意。あてはまる。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 「東方偈」には「たとい大火が世界を一なめにすることがおこってきても、そこで必ずなすべきことは、その火を過ぎ超えて、法を聞くべく急がなければならない。そこにおいて必ず仏道をなしとげて、広く生死流転の激流をわたりきることができるのである」と説かれ、これに動かされた『讃偈』には「たとい大千世界に満ちみつる火であろうとも、それを直ちにのりこえて仏名を聞くべきである。阿弥陀の名を聞くならばもはや退転するということはない。このゆえに至心に稽首し礼したてまつれ」と唱和され、更に『往生礼賛』には感銘を斉うし「たとい大千に満つる火なりとも、直ちにそれを過ぎて仏名を聞け、名を聞いて歓喜し讃仰する者は、皆もろともにかの仏国に往生することができるのである」と伝承されています。
小千世界・中千世界・大千世界を総称して三千大世界といいます。われをおく世界を悉く尽くしているのです。たとい火が満ちようとも、と言ってありますが、さまざまの業火が燃えあがるのが世界の様相です。願わないけれどもわきおこる障害を火で代表します。火が迫ることがなければ、仏名を聞かんとおもいたつ時節が到来しません。火をのりこえて向こうから聞こえてくるものが仏名です。火を過ぎて仏名を聞けよ、聞くことのできたひとは、不退位にかなってながく退転しないというのです。『讃偈』の「また退かず」を自身の最も愛好される不退として受けとめられたのです。「不退にかなう」とは、不退転に住する道の閉じられたものに、聞名一つによって今や不退の位に住するに等しいとて、称賛されるめでたさです。
水火二河の譬喩というのがあります。善導の信心体験の実録です。行者が白道を一歩一歩踏みしめてゆくのに、決して無事平穏ではありません。青黒い荒波に足もとをすくわれ、一方からは猛火がふきつけます。この水火は貪瞋煩悩のことなのです。これを徹底して言い尽くされた一節が『一念多念文意』にあらわれます。「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり」と。この大いなる見通しに遇えば、煩悩とのたたかいのはての克服というような妄想は、ふっとびます。地獄の猛火、化して清涼の風となる力によらなければ、火は燃え続けます。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
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