前坊守の満中陰を終えて

前坊守(母)の満中陰を終えて
前坊守の満中陰のお勤めが1月21日に終わりました。
通夜が12月6日・葬儀が翌日7日その日にお骨をお墓に埋葬し、続いて初七日を勤めて、中陰壇は本堂西余間に飾り17日に二七日、24日に三七日、31日(大晦日) に四七日、正月7日に五七日、14日に六七日そして21日に七七日でした。年末年始のご多用な時にかかわらずお勤めに駆けつけていただいた皆様には感謝をしています。
この間に、母の保険証・年金の返還(死亡)手続や、金融機関での手続、お世話になっていた老人保健施設での手続など多くの事もしなければならず、本当に悲しむ時間は取れませんのでした。中陰のお勤めは、グリーフケアの視点からすると悲しむ時間がとれないことの善し悪しはわかりませんが、お集まりいただいた親戚から自分の知らない母の思い出を聞いたり、日常の中で感じることはたくさんあり、毎週の中陰のお勤めすることが目的になってしまっている事が正しいことではありませんが、自分の中ではメンタルの支えになっていたとも感じました。中陰の最後(49日)のお勤めまでには、ご焼香を賜りました皆様に形式的な禮状と別に私自身の思いを綴った文面を考えたり、志を考えたりすることも私にはグリーフケアと捉えることができました。(逆にグリーフケアと捉えることが難しい方もいらっしゃることも承知しています)
昨年から続くコロナ禍の中での「集い」ですので、これまで通りのこともできませんが、往生した前坊守と縁がある方々が思いを一緒にお勤めする時間をとることができたことは貴重な時間であると心から思いました。
また、オンラインを通してお勤めにご参加いただきました方もいてくださり感謝しています。