前々住職のこと(誕生120年)

お寺の宝物を保管している場所があります。
今年は、前々住職の誕生120年でした。80歳で往生しましたので没40年目にもあたります。
私(住職)の記憶している前々住職は、子どもが4人姉妹であったので、長女の長男として生まれた私(初孫)を大変喜んだそうです。中学3年の夏休みに朝一緒に「阿弥陀経」を読む稽古が始まりました。イヤイヤだったかもわかりませんが一通り、拝読できるようになったと思います。二学期の始まる9月15日(敬老の日)に高田本山で得度をしました。その為の「阿弥陀経」の稽古と後で知ることになります。大学の頃、前々住職がそれまでしていた井戸山地区の報恩講や夏のお盆勤めを代わりにするようになり、学校の休みの時に葬儀があると、前々住職(当時の住職)・前住職(当時の衆徒)と私の3人がお同行様を見送る機会も何度か経験させていただきました。昭和54年の妙華寺創建300年の記念法会で、住職を後任に譲り翌年(昭和55年)に往生されました。囲碁が好きで時々知人と対戦していたり、毎朝決まった時間にお茶(抹茶)を楽しんだり、タバコも好きでパイプ姿も知っています。菊作りもしていたことも思い出し、本当にいろいろなことを楽しんでいたんだと思います。本山に勤めていたこともあり、たくさんの僧侶と親交がありお寺や本山で話し込んでいました。身内の私(住職)から見ても魅力のある姿でした。


今年2月の誕生月から前々住職に謂れがあるものを展示していました。大正時代の若き頃に書いた「私が経営する日曜学校の立場」の冊子・昭和48年に書院を建てられ、ご法主にご染筆していただいた額が掲げてある「漱月(せいげつ)書院」にちなみ「漱月(せいげつ)」と名づけた趣味の歌集。妙華寺の創建300年に歴代住職の行跡を書かれた冊子。本山勤務の時に出版した「高田の古徳」や「高田の寺々」は編者の一人でした。また、前々住職の祖母がお茶を教えたようで、お茶も好きで、茶室も造られました(平成22年に同じ材を使い立て替えた茶室には、前々住職の名前の「實」が居住すると言う意味で「居實」と命名しました)、自らの喜寿祝いとして茶碗を造ったり、干支の香合を楽しんでいました。
今年も後1ヶ月これらを片づけて来年は何を展示するか頭を悩ますことになります。