仏教文化講座に参加して

第90回仏教文化講座
仏教文化講座が今年で90回を迎えました。今でこそ「仏教文化」と聞いても当たり前のように思いますが、90年前に「安居(あんご)」から「仏教文化講座」に名称が変わったときに、その当時の人びとはどのように感じられたでしょうか。今年も5日間とも参加はできませんでしたが、参加させていただいた時のお話しをお聞きしての感想を記載します。
1日目は、ご法主殿のご親講で「明恵上人とその時代」でした。高山寺の明恵上人は、親鸞聖人と同世代で華厳経を学ばれていました。明恵上人は、夢記(むき)とか夢告(むこく)と呼ばれる私たちが見る夢の内容をたくさん記録されていて、それが珍しく今にも多く残っていることに驚きます。今はそれほど大事にされない夢の話ですが、少し時代をさかのぼれば大切にされていたことを教えていただきました。私も夢をみたことは何度もありますが目をさませばほとんど忘れてしまっています。切実に思うことが無かったからかも知れません。ずっと思うことがあったり、反対に何も思うことがなくても夢を大切に扱っていくことも私の中にある何かと向き合うことになるように感じました。
親鸞聖人にも「夢記」があります。六角堂に参籠した時の夢は、「親鸞夢記」と伝えられています。関東へ向かわれる時の夢、「康元2歳丁巳、2月9日の夜、寅時夢告にいわく」の和讃など、今回の仏教文化講座期間中、宝物館で特別展観されています。他にも専修寺蔵の慈円(慈鎮和尚)の夢のことが記載された書状、親鸞聖人伝絵の熊野霊告の段も夢にまつわる展示されていました。
3日目の一楽真師は、「念仏もうす生活」のお話しでした。お念仏申す機会が減ったと感じる私が、お念仏を申しているのか。改めて省みる機会でした。自分の物差しがいかに邪見であることかが分からない自分に本当のあるべき見方に気づかせていただくのが阿弥陀様の働きです。今を生きていても生きる意味を求めなければ、その時その時の量りで物事をみればいいのですが、その量りでどうすることもできなると気づいていた時に、無量のものさしが、私のあり方を照らし、歩む道を示していただくと感じました。
「恵蛄春秋を知らず」の譬えは、何度聞いても自分の生きる意味への問いかけのように思えます。今お念仏を申す生活をしているのか? 問われますと中々うなずくことができない自分がいます。
5日目の安藤章仁師は「描かれた真宗世界」として、親鸞聖人の教えに聞思する中で、親鸞聖人が自ら造形された、「名号本尊」、「御影像」、「光明本尊」をどのように聞思していくか興味深いお話しでした。聖人の著述を通して聞思することの大切さは言うまでもありませんが、造形されたものにも、著述と同じ思いが描かれていて、著述が文章伝道であれば、造形されたものは、視聴覚伝道として著述と同様に大切なものであることをわかりやすくお話しいただきました。
※中川個人の感想です。仏教文化講座のそれぞれの内容の概略は、主幹の栗原先生が、後日宗報に掲載されます。

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