およそ100年前

過去帳 葬儀した往生人の人数(子どもの人数)
大正3年 35(15)
大正4年 47(15)
大正5年 41(17)
大正6年 46(15)
大正7年 67(21)
大正8年 45(8)
大正9年 43(13)
大正10年 42(21)
大正11年 45(15)
大正12年 42(16)
大正13年 47(20)
大正14年 62(20)
今から102年前の大正7年(1918)にスペイン風邪が流行したと知り妙華寺の過去帳を調べてみました。今回の新型コロナウィルスのように世界中に感染が拡大するには今回より時間がかかったと思います。日本でどれくらい感染者がいたのかも調べていませんので確かなことは分かりませんが、お寺の過去帳の大正7年の往生人は前後の年より特出しています。大正7年の過去帳の部分に記された備忘録には、「前年(大正6年)の9月中は、日本は全国的に暴風大雨で、東京や大阪など多くで浸水被害などあり秋の作物が実らず食糧不足であったとか、冬はとても寒い」とありました(スペイン風邪についての記載は、大正7年以降もお寺の過去帳にはありません)。往生人が多いことは事実ですが、スペイン風邪が原因か、前年の食糧不足などが主たる原因かどうなんでしょう。
※大正6年12月には東京の国技館が全焼したとの記載もあります。

また、当時(大正年間)の往生人の数ですが、妙華寺は明治中期に檀信徒が246軒との資料(明治29年示寂の8代住職の頃)もあり、時代は下がりますが、大正時代の往生人の数は今の長寿時代での檀信徒の軒数の割合からすると多いようにも感じます。また当時は、火葬ではなく、ご遺体を棺に入れ埋葬する形でしたので今と同じお寺の墓地区域に埋葬されたと思いますが現在の整然とした区画に埋葬する方法では無かったと思います。(境内墓地は、昭和30年代から40年頃にかけて今の区画に整理しました)
また、昭和20年代までは、子どもの死亡が多いのは当時の医療水準によるものだと考えられます。