「お寺の講演会」ご講師の浦上哲也師から 5

今回、2019年5月18日の親友婦人会総会後の「お寺の講演会」のご講師をお願いしています横浜市の「なごみ庵」のご住職 浦上哲也(うらかみてつや)師に「お寺の講演会」の半年前の11月から月一度のペースでご寄稿をお願いし快く受けて頂きました。その5回目を掲載します。
浦上さんは、僧侶ですがお寺の本堂から飛び出して、多彩な活動をされています。
平成27年の親友婦人会総会の日には、希望者に「死の体験旅行」と言うワークショップを受講していただきました。私(住職)も受講して、死に向かっていく自分の感情や取捨選択を受講した者同士が共有しながら、今生きていることの不思議を感じたことでした。
「死の体験旅行」と言うワークショップを全国で開催されたり、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表や、「仏教死生観研究会」を立ち上げられたり、お坊さんが回答する「hasunoha」の回答僧のお一人であり、「まちのお寺の学校」の講師であったり、最近は「方丈社」マガジンに連載が始まりました。また妙華寺も賛同する「おてらおやつクラブ」に参加する寺院の住職でもあります。そのような多くの顔を持つ浦上さんの今感じることを月一度、妙華寺のHPにも掲載して5月18日の講演を楽しみに待ちたいと思っています。

浦上さんの掲載文で、何か感想などございましたら、お寺にお知らせください。

◇ 3.11から8年 ◇
 自分自身の生や死について深く考えるワークショップ(体験学習)「死の体験旅行」は、毎月池袋の真言宗 金剛院さまをお借りして開催させていただいています。その日程を決める時、3月はあえて11日にしました。そう、東日本大震災の日です。

 以前は死の話題は「縁起でもない」と避けられるものでした(ちなみに「縁起」本来の意味は、全ての事象には原因と条件があって結果が出る、というものです)。しかしあの大震災があって、死の話題をしようが避けようが、いつ突然にそれはやってくるのか分からない。ならば時には考えておかなくてはならない。日本人の多くがそう考えるようになったのだと思いますし、だからこそ「終活」という言葉も一般に広まりました。

 また、メディアでも「死」はよく取り上げられるようになりました。「死の体験旅行」もやはり3.11の影響か取材も多く、3月5日発売のサンデー毎日、3月11日放送のNHKひるまえほっと、3月16日発売のDIMEと続きました。

 仏教は最初の段階から、死から目を背けず見つめなさい、と説いてきました。なにしろお釈迦さまご自身の出家の動機のひとつは、葬列を目にしたことだと言われています。そして…
・明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかわ(親鸞聖人)
・まずは臨終のことを習うて、後に他事を習うべし(日蓮聖人)
・朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり(蓮如上人)
・生のみが我らにあらず、死もまた我らなり(清沢満之)
などなど、僧侶の死に関する言葉は数多くあります。いえ、仏教だけでなく、ありとあらゆる宗教・哲学で「死」を問題にしているのです。皆さんも「縁起でもない」と避けず、時にはじっくりと考えてみてはいかがでしょうか。