恩徳讃

 今年最後の日曜学校は報恩講の朝でした。参加者のご都合を考慮しなくて申し訳なく来年は別の日曜日を考えたいと思います。
今回は、和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』 常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』 川瀬和敬著より紹介します。「正像末法和讃」の58首
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

阿弥陀仏が大悲心をもって我等を救い給う恩徳は、わが身を粉にしても報じ奉らねばならぬ。我等を弥陀の本願まで導き給う祖師の恩徳も、わが骨を砕いても謝しまつらねばならぬ。
※「くだきても」の「も」は、事の重大甚大なことを示す。「までも」「さえも」というに近く、言外にそれでもまだ足りぬ気持ちを表す。「恩徳も」の「も」は、列挙する意。
※師主は、釈尊を始めとして七高僧を指す。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 この一首は、「恩徳を讃えた和讃」ということで、「恩徳讃」と呼ばれております。ある意味では、和讃の代表とあがめられております。これによって、真宗教団というものが、教主並びに教法につかえまつる奉仕の教団たるべく、真宗教団設立の根源をなす一首として仰がれております。58首のなかで、3首だけ、聖人の和讃としては異色であってわれわれのうける感じがちがうその1つです。それは、第35首、第36首、「無明長夜の燈炬なり」「願力無窮にましませば」この2首を拝読しますときに詳しく述べたのでありますが、この2首と只今の1首が異色です。長い間、真宗の教えが苦悩する民衆のなかに、大きな力をもって人びとの心に訴えてまいりましたのは、真宗のお説教でありますが、その説教の讃題として今のも加えて多く用いられたのであります。この3首は、聖人の兄弟子であられる聖覚法印の言葉、殆どそのままなのです。聖人の1つの特色というものは、伝統を重んずるということです。善導から法然へ、法然からわが身へと。かりそめにも自発的にこういうことを思いついたということは語られない。みな善導の言葉、法然の言葉をもって、自己の信心を語っていかれる。だから非常に高鳴っている感情を、自分の身体から吹き出すような気持ちでも、自分の言葉でなく、あるいは先輩の聖覚法印の言葉を用いられる。こういうところが厳しく守られている。と同時に伝統といいますと人のいった言葉にだけついていくように聞こえますが、そうではない。先輩の言葉をいただきながら、その内容は先輩よりもっと充実している。こういうところが、聖人の伝統を重んずると同時に新しい創造性のあるところです。法然上人寂後の法要の際の「聖覚法印表白」(専修寺に聖人の書写本を蔵する)に只今の恩徳讃のところがでてきます。
「つらつら教授の恩沢を思うに、まことに弥陀悲願と等しきものか。骨を粉にしてこれを報ずべし。身を砕きてもこれを謝すべし。」
これを聖人は、京都へお帰りになってご覧になったものと思われます。「骨を粉にしてこれを報ずべし。身を砕きてこれを謝すべし。」「骨」と「身」が逆になっておりますが、大体そのままおうたいになっております。この言葉にはもう一つもとがあるのです。そのもとを2つとり上げて申します。善導大師の『法事讃』を拝見いたしますと「砕身慚謝(さいしんざんしや)」、「身を砕いて、釈迦の恩を慚謝する」。「慚謝」というのは、恩をいただきながらその恩を充分生かしていないとあやまる。「身を砕く」というのは、その尊いお心をいただきますと、私のつまらない心のあり方、あさましい私の我執というものが砕けてまいります。「慚」というのは、はずかしい。「謝」というのは、頭が下がることです。更に同じく善導の『観念法門』のなかに、「粉骨砕身・報謝仏恩」と出ております。この一首の和讃が詠いだされますについては、善導にそのもとがあり、直接には聖覚法印の表白文があるわけです。これだけの背景があるのですから、われわれに重味が感ぜられるのは当然なわけです。
以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV