報恩講をお勤めしました

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妙華寺の報恩講を組内の法中様とお勤めしました。今年から12月第1日曜日に変更になりました。例年ですが前日の午後からお非時の準備に婦人会の方がご奉仕されています。必要なものを覚えているつもりですが買い忘れたりするものもありご迷惑をおかけしています。今年は初めてご奉仕をしていただく方も少し増えて大変うれしく思うのと、大変ではありますが、これからも続けられる体制を調えたいと思っています。当日は雨も心配されましたがあまり寒くなく風も穏やかで11時からお非時を多くの方に召し上がって頂きました。報恩講のお非時がいつから続いているのかはっきりはしていませんが、母の話では、母(昭和6年生まれ)が物覚えがある頃からあったようで、母が小学校の時は、通っていた小学校の生徒がお非時をいただきにきたようです。(戦前は学校給食がなかったので楽しみであったようです)昭和20年前後(何年間かは今は思い出せないようです)はお非時をお出しする余裕はなかったそうですが婦人会の方々のお力添えで今まで続いていることに大変敬意を称しています。食材はその時のお同行様が作られた野菜を中心に用意されたと思われます。今のお非時の飛竜頭・麹味噌・ご飯は、高田本山のお非時もその形ですので、日本の昔のハレの食事の形だと思われます。それに大根とニンジンのなます(酢の物)や里芋の煮っ転がしや白菜の漬け物などお同行様が作られた食材を持ち寄っていただいています。お非時の場所は以前は庫裡の三間を使用していましたその頃は、報恩講の前に大掃除と称して庫裡の畳なども境内で叩いてきれいにしていました。現在の会場の妙華寺会館も今回からテーブル席になり足腰のご負担を少し軽減させていただけたと思います。
お勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の三段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。ご法話は、正太寺の大河戸悟道師に初めてお願いしました。私(住職)がお非時をいただいている時に総代様が昭和20年代に大河戸○○師(住職が聞き忘れました)のご法話をご聴聞されたそうで今回の布教使様と同じ名字ですがご関係はと尋ねられました。ご法話の後、控室で大河戸様にお尋ねしましたら正太寺の前々住職(祖父)とのことで布教使として全国を回られていたそうです。また大河戸様には「妙華寺」のハンコいただきました。お寺からの郵便物に使用したいと思います。ご聴聞されました総代様は、「今日のご講師は板書の使い方がとても良かった。お話しも懐かしい気持ちになりました」をおっしゃられお帰りになりました。
ご法話の後、ご聴聞された方々に、親鸞聖人像を内拝していただき、余間の絵伝も近くで見て頂きお帰りしていただきましたが、準備不足で、それぞれの場所で説明ができませんでしたので来年の課題になりました。
行事が終わり次の日にお供えを下げて、小分けしながらお手伝いしていただいた方々へお礼(後礼)とおすそ分けをさせていただいています。それが済み今年も報恩講を無事お勤めさせていただいたと喜んでいます。
また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々を頼りにしています。行事の30分前に梵鐘を鳴らして案内をしていただきます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。行事が終わりますと、仏旗や幔幕・案内看板・帳場の片付けなど手際よくしていただきます。報恩講では既に紹介しましたが婦人会の皆様のお力でお非時のご奉仕をしていただいています。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。
お寺の行事は毎年同じ形であります。果たして行事が同じ形で次の世代に伝わるのか私(住職)には想像がつきません。私が知り得る中でも終了した行事もありますし、復活した行事もあります。その時代の中でお寺とはどのような存在なのか、お同行様が何をお寺に求めているのか。お寺としてできることとできないこといろんなことを配慮しながら次の世代のことも考えますが、今できることをしていくしかないと思っています。
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