ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
11一所不住のご生涯(いっしょふじゅうのごしょうがい)
お釈迦(しゃか)さまの究極の目的は、真実の智慧(ちえ)を得ること【正覚(しょうがく)】、心の悩みの炎を消すこと【涅槃(ねはん)】、迷いの世界から抜け出すこと【解脱(げだつ)】、でした。そしてその生活は、み仏の心をいただき、それを人々に説き広めるためのものでした。
毎日の生活も、その目的にそって、朝早く起きて瞑想(めいそう)し、托鉢(たくはつ)し、求めに応じて法を説くことでした。質素な衣と托鉢用の鉄鉢(てつはち)だけで、履き物を用いず、乗り物にも乗らず、雨季の3ヶ月は祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)などに滞在された以外は、町から町へ、村から村へと旅をして、み教えを説き廻られたのです。1カ所にとどまらず、足の赴くままに旅をする、いわゆる一所不住のご生活だったのでした。
しかし、さとりを開かれてからの45年間は、ことに因縁の深かった場所で説法されることが多かったようです。たとえば『阿弥陀経(あみだきょう)』はお釈迦さまが最も好まれた祇園精舎で説かれたと、お経の最初に述べられていますし、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』や『法華経(ほっけきょう)』などは王舎城(おうしゃじょう)、耆闍崛山(ぎしゃくせん)〔霊鷲山(りょうじゅせん)〕で説かれたと、やはりお経のはじめに出ています。
その耆闍崛山は、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』が説かれた王舎城の牢獄(ろうごく)から歩いて3、40分のところにある岩山でした。
こうしてお釈迦さまのご生涯をたずねてみますとき、親鸞聖人(しんらんしょうにん)もまた、京都から越後へ、越後から関東へ、そして帰洛(きらく)へと一所不住のご一生であったように思います。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より