ひとくち法話

煩悩具足のままで(ぼんのうぐそくのままで)
人間の心の中には、さまざまの欲望が渦巻いています。食欲・性欲・睡眠欲は、動物としての生きる本能でしょう。これに人間だけがもっている金銭的な欲望と他人に対する優越感や虚栄心から起こる名誉欲があります。これらをひっくるめて『貪欲(とんよく)』といいます。
次に自分の思惑と違って誤解されたりすると腹の虫がおさまらない、いわゆる「怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心」が湧いてくる。これを『瞋恚(しんに)』といいます。それに、もろもろの不平不満やいつまでも執着してあきらめきれない心を『愚痴(ぐち)』といいます。
以上の三つのものを総合して、「三毒の煩悩(さんどくのぼんのう)」といっています。
これを細かくわけていくと実に多くの煩悩がでてきて、昔から「108の煩悩」とか「8万4千の煩悩」とかいってきました。一般に「仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)」というときは、その煩悩を退治するための修行のことをいいます。きびしい修業によってひとつひとつの煩悩を断ち切って仏の悟りにいたるのです。これは聖者(しょうじゃ)の道であります。
しかし今、私たちは、親鸞聖人のお導きで、阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願のお力を聞信(もんしん)することによって、煩悩のままで救われていくという、他力念仏のみ教えをいただきました。煩悩具足の私たちにとっては、これがほとけになる唯一の道なのです。そして生きながらにして仏に等しい位につくと教えられ、これを『平生(へいぜい)往生』といい、また『現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)』とも『不退の位』ともいいます。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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