見えないもの
見えないものの喩えとして、ラジオやテレビの電波や、病院でのレントゲンの放射線を取り上げることがあります。また、古代から神仏も見えないものとして捉えられていました。私たちの死後についても、霊魂や霊界などの言葉で、見えないものと考える場合もあります。
平素は、見えないものを気にしなくても、何かのきっかけで、恐れたり、有難かったりと心が揺れ動くこともありませんか。
その時の私のものの見方によって生じているのではないのでしょうか。
よくよく考えていくと、私自身の気持ちや考えも、わからないもの(見えないもの)として考えることもできると思います。
「私」とは、一体何者か。時間があれば、丁寧に考えていきたいと思います。
※中川個人の感想です。

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