炭
火を熾す(使う)ことができたことは、人類が今の生活を手に入れてきた一つの要因であるでしょう。
私が小さかった昭和30年代前半は、日常生活で、ご飯はかまどで薪を使って焚いていました。煮物や焼物は、練炭コンロを使っていました。お風呂も薪を使って沸かしていました。
居間には、火鉢に鉄瓶がありお湯を絶えず沸かすのに炭が使われていました。暖を取るのも炭でした。その生活から、徐々に、ガスや電気を使う生活になり、今では、薪や炭などは、野外キャンプ場や、専門店でしか使われなくなっています。
その中、茶道では、いまだ炭を使っています。(電熱ヒーターを使用することもあります) 炭を熾して、茶釜でお湯を沸かして、お茶一服差し上げるのですが、差し上げる時が一番お茶に適した温度になるように炭をつぐのが炭手前になります。
火種になる炭から炭をついで、お湯が沸くまでの間、お茶をおいしく召し上がっていただくのに時間がかかりますので、炉の時は、初炭の手前から逆算して、お米を炊き出す時間を決めて、汁を温めたりしなが、一汁三菜の懐石をお出しします。
今の感覚では時間がかかるのを否定的に捉えがちですが、実際経験してみると客様もやるべき役割があって時間を忘れさせてしまいます。
徐々に炭が熾り、炭が灰に変わるまで、炭のつぎ方に決して同じではないこと、人生にも似ているように感じます。
※中川個人の感想です。