法事

法事
法事は、冠婚葬祭の一つで、日本仏教の寺院活動として、僧侶を招き、故人を偲び、供養するお勤めをすることとです。
私(住職)がお寺のお勤めの手伝いを始めた20代の頃(今から40年以上前)は、家の先祖の年忌(法事)では、自宅のお仏壇でお勤めする時、近所の方や親戚も集まり、家族と共にお勤めをしていました。お勤めが終わると、食事の席も設けられことも多く、亡くなられた方を偲びながらも、賑やかな時間でした。その為、法事をつとめることは、家族の負担も多かったと思います。今は、地域や親戚との関係性が希薄になってのことも関係すると思いますが、家族だけであったり、近い親戚とのお勤めが大多数です。

法事とは、故人の為か遺族の為にお勤めするのかと議論があります。私(住職)は、「法事」と言われるのは、信仰している仏(み教え=法)を伝え聞くことと感じますし、信仰している仏(み教え=法)への讃歎と捉えることもできると思います。
故人の命日(近く)に、遺族が、信仰して関係するお寺の僧侶を招き、故人を偲び、安穏を願うことで、信仰するみ教え(法)や仏を讃歎する場ではないかと感じています。

しかし、現実には、あまり寺院や「み教え(法)」について関心がなくても、家族が亡くなられた場合のお別れの場(葬儀)や遺骨をどうするか(埋葬する場所が確保されているか)を考えなければいけない時に、寺院や僧侶に関わる場合が出てくるのではないでしょうか。そう考えると、故人の思い出や関係性はあまり重要視されなくなり、故人の残ったお骨を埋葬する(預ける)先が、お寺や墓地と考える場合もでてくるのでしょう。
※中川個人の感想です。

※今後、超宗派のグループで「法事」について考える機会があるようです。関心をもって、議論を考えていければと思っています。