死後について
人口減少・既存の家族観の限界など、お寺を取り巻く環境も大きく変化しようとしています。新しい技術のAI故人も出現してきたそうです。
死後について考えると、身近な方の死も「二人称の死」から「三人称の死」に遠ざかるようなことも考えられます。一人称の私から離れた「三人称の死」は、寂しいことだけど、どこか人ごとのようなイメージです。そこに、戦争や自然災害での「死」であれば、不条理の死として、少し、感情移入できるかもわからりませんが、「二人称の死」のような感情がたかぶることはないように思うのは、私(住職)だけでしょうか。見えない「死者」の死後についてどのように捉えようとしていくのか問われているようにも感じます。
※中川個人の感想です。