布教

布教
宗教法人は、そのお寺の教え(宗祖)を広く伝えることを目的として活動しています。
教えを伝えることを「布教」「伝道」「教化(きょうげ)」活動と言っていますが、そのほとんどが、お寺の行事であったり、檀信徒さんの年忌法要の時の法話などです。

時には、市内を僧侶の姿で歩るくのも布教活動の1つであると好意的な言葉をいただくこともありますが、はたしてどうでしょうか。
また、法話などの布教活動でなくても、非日常のお寺の境内や本堂の静けさ(環境)に心が癒やされると聞くこともあります。言葉(法話)を使わなくても、その環境がその方に布教として届いていることも考えられます。

私の「伝える」言葉は、他者に「伝わる」かは、他者に委ねられています。
毎日、多くの情報が私の前を通り過ぎていきますが、どれだけの情報に、私は興味をもって、共感できるかとなるとどうでしょうか。一日に1つあるかないか。1ヶ月にいくつあるか。1年を振り返ってどれだけ共感した情報が残っているのか。数えたことはないのですが、ほとんどは忘れ去れているようにも思います。
私の「伝える」情報が、他者に自分事として捉える情報となるには、どれだけ、その方の関心を捉えなければいけないか想像するだけで、気が遠くなりそうですが、それでも「伝える」ことを止めてはいけない。「伝え」続けなければいけないものが、仏教の教えなんだと改めて気づかされています。