余韻を楽しむ

余韻を楽しむ
茶道の冊子の巻頭に「余韻を楽しむ」と題したエッセイを拝読しました。地区大会や茶席に参加した後の楽しみが「余韻」として表現されています。また、茶事の中立の時、亭主の打つ銅鑼(どら)の音を聞き、その音が消えていく中で、席入りをする場面を「余韻」は消えていくことでなく、新しいものを生み出すものだと紹介されています。余韻や余情・残心の言葉から、今の生活で忘れてしまった何かを感じています。
時間に追われて生活をしていると、1つのことが終われば、すぐ次のことに取りかかることが現状です。終わったことの反省も必要ですが、楽しみとして時間を過ごすことは、次のことに追われているような状況では難しい課題です。
過ぎ去ったことを思いやる時間は大切にしないと何も残らないような気持ちです。
1つのことが終わってもその「余韻」をかみしめる時間を大切にしたいと感じました。