住職の投稿
今回、私(住職)が投稿した一文を掲載させていただきます。投稿先は、『教学院報』と言う高田本山の研究機関の会報です。もう20年前のもので、寺報に掲載した文書より照れくさいものですがおつきあい下さい。(注は今回記載)
『教学院報』1997年5月発行 第5号
「私の出合った一冊」
「対治」と「同治」の世界観
昨年の伝灯奉告法会(注 平成8年で今の前ご法主殿の伝灯奉告法会)の時、五木寛之氏に本山で「慈のこころ悲のこころ」という特別講演をしていただきました。氏は、私が中学生時代(今から20数年前 注・1997年の時)以前からの著名作家で、当時毎日新聞の日曜版に随筆が毎週掲載(後『ゴキブリの歌』として出版)されて気に入って読んでいました。氏の講演を聞き、私の中の若さのもどかしさ、心の揺れを落ち着かせるために、氏の多くの本を読んでいたことをなつかしく思い、講演の中で「ともに悲しむ」ということを「慰め」と言われたと思いますが、その時、頭をよぎったのが『「対治」と「同治」の世界観』です。『「対治」と「同治」の世界観』は、平成元年(1988)4月に日刊ゲンダイ掲載の随筆です。実際私が読んだのは、『流されてゆく日々(抄)』で平成7年(1995)です。『生きるヒント3』にも『「対治」と「同治」について』と掲載されています。
医師の駒澤勝氏が、医学という科学の根本の姿勢に、仏教という立場から光を当てて、疑問を提出されている「医学と私と親鸞」という文章を五木氏が読んだ時の随筆です。
今の医学が、健康が幸福で病気が不幸、生が善で死が悪として、どちらからを否定するところから出発する思想を「対治」として示し、そこには救われない何かがあり、あらためてすべてを肯定する思想を「同治」として駒澤勝氏の考え方が変わってゆかれたことを、五木氏自身も考え方が変わってきた中で描かれた随筆です。
医学と仏教に関心が寄せられる今、他人事でなく自分の問題として、私も若い時には気付かない事が、時間がたたないと気付かない事があるという自分の変化の中で読みました。同時に駒澤勝氏の「医学と私と親鸞」(昭和58年『日本医事新報』に収載)という論文を是非読みたいと思っています。尚、この随筆は、「午後の自画像」(角川書店1992)にも、『「医と私と親鸞」駒澤勝』として掲載されました。
※まったく内容が薄く読みにくい文章で赤面しています。私の好きな作家の五木寛之氏の考え方を変えた、駒澤勝先生の「医学と私と親鸞」を読みたい。と言うことを言いたかったのと、親鸞聖人のみ教えが医師(科学者)にも伝わっている素晴らしさを確認したかったのだと思います。この文章を読んでいただいきました愛知県の東仙寺の稲垣舜岳先生から、駒澤勝氏の「医学と私と親鸞」をお送りいただきましたこと大変驚き感謝いたしました。何も分かっていない若い私に勉強しなさいと言うメッセージをいただいたと思いました。稲垣先生のご著書もその後、拝読させていただきました。その後駒澤勝先生は、高田本山の仏教文化講座にも出講されました。また先生のご著書も拝読させていただいています。寺報30号(平成23年12月発行)の読書雑感で、『目覚めれば弥陀の懐』法蔵館を紹介させていただきました。