『仏教とAI』浄土真宗 唯 yui 47号より
私(住職)にとってAIのことはわかっていません。
そのような状態で、『仏教とAI』(浄土真宗 唯 yui 47号)のコラムを読みました。
仏教の膨大な知識も持ち得ない私(住職)にとって、AIは、ネットで検索すると瞬時に、知りたいことに関することを示してくれる頼もしい存在との認識です。そのAIの進化はめざましく対話AIも搭載した人型ロボットも存在するようです。AIが仏教の教えを説くようになると、「仏教はどのように変化するか」をAIに質問された時、AIが客観的に人間とAIの限界があることを指摘されるようです。
また、AIには人間の苦悩を体験できないことで、仏教の始まりがなく、悟ることができないのではないか。との議論もあるそうです。
だからAIより人間がすぐれているかというのは短絡的な考えですが、人間が客観的にものごとを見ることができているかとを問わないといけないような自分がいます。
『AIという鏡』 佐々木 閑・佐々木 斎生著 法蔵館 が、今年出版されました。まだ「積ん読」状態なので内容がわかっていません。(拝読しても、哲学と数学の世界の話で理解できそうもありません)、あとがきに、哲学や数学は閉じた世界であるので、AIは人間を超えていくのではないかとありました。
お釈迦様の説いた仏教と言う教えが自己を見つめなおすための「鏡」であるように、AIもまた、人間を映し出すもう一つの「鏡」として認識するのがよいのかもわかりません。
※中川個人の感想です。
