中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。四有の1つで、生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。また故人が亡くなって49日間のこと。
浄土真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので、中陰法要は、追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺った者も阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝する。【浄土真宗辞典】
私の中陰
大切な方が亡くなられた時、その事実を受け入れることができない感情もあります。そのような状態で、これから私の人生を歩むことができるでしょうか。
自分自身が受け入れることができない悲しみや苦しみを、自分の時間で受け入れていくこと、心を整えることが、大切ではないでしょうか。
受け入れがたい悲しみや苦しみを受け入れたからといってその悲しみや苦しみは消えるものではありません。その悲しみや苦しみと共に人生を歩むことの中で宗教の「み教え」が私に響いてくるものだと思います。
浄土真宗の「み教え」は、大切な方が亡くなられても、「往生」(往って生まれる)することができ、諸仏の1人となり、遺った私を見守ってください存在になる。教えです。 また、私もその「み教え」にうなづくことができるなら、私も「往生」することができる存在となる教えです。
大切な方が先に往った世界に私もまた往くことができることで、心が安心することもあります。
「亡くなったらそれで終わり(しまい)」と考えることからは決して生まれない想いです。