お寺とは⑧

お寺とは⑧
お寺とは⑦までは、「伝える」ことについて考えていたことを記載しました。
今回は、私(住職)が生活者がお寺に求めていることの変化として感じたことを記載します。
妙華寺は、江戸時代の久居藩が造った新しい町(久居)にできたお寺です。檀家制度の中で寺院活動をしています。2030年には創建350年を迎えようとしています。
お寺と檀家さんの関係は、江戸時代には、身分証明に関わることもありましたが、今は、以前よりゆるやかな檀家(家制度)としての関係が続いています。何代も続く檀家さんが、菩提寺としてのお寺に葬儀や年忌法要などの依頼があったり、お寺の行事(報恩講や彼岸会・千部会・盆)に参加され、お寺を維持されてきました。これは今も続いているのですが、これまでの家制度のような家族関係はなくなりつつあり、それに伴いこれまでの檀家としてお寺を支えていると言う意識に変化が起きています。
以前に、葬式をしないで火葬をすることや、お墓の事情もありお骨を引き取らない遺族のことは、都会のできごとかと思っていましたが、地方都市の私のお寺でも出てきました。
最近は、お寺に何を求められているか個人によってそれぞれです。
「既に亡くなられている方のお骨を納骨したい」「お寺で亡くなられた方の永代供養をお願いします」などの連絡をこれまで以上にいただきます。
まず、お寺が真宗高田派寺院であることを説明しますが、連絡をされた方にはそのような情報には関心がなく、ご自身の目の前にあるお骨が納骨できるかどうか。その後のことを任せること(永代供養)ができるかどうかが関心事なんだと感じます。

私(住職)から見ると、大切な人の死から、「いのち」についての思いや、関係性の捉え方は人それぞれですが、亡くなった方に対する、これまで、遺族が共有していた追慕や感謝の気持ちをあらわすことは少なくなっているように感じます。
生活者とお寺の関係も、生活者の求めるお寺として変わらなければいけない部分と、寺院として、伝えていかなければいけない「み教え」(教義)をこれまで以上にわかりやすく、生活者に伝える努力を惜しまないことしかないのかもわかりません。