『仏説無量寿経』

浄土3部経③

「浄土3部経」という言い方は、法然の「選択本願念仏集」の二門章にはじまる。往生浄土を明らす根本聖典三部ということであるが、今はもっと厳密に、浄土真宗の根本教義を示す。『仏説無量寿経』康僧鎧(こうそうがい)訳 2巻 『仏説観無量寿経』畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳 1巻 『仏説阿弥陀経』鳩摩羅什(くまらじゅう)訳 1巻 をいう。【親鸞読み解き辞典】

『仏説無量寿経』2巻 康僧鎧(こうそうがい)訳
浄土真宗の根本所依の経典であり、阿弥陀仏の本願が説かれている。
序文には王舎城のぎしゃくっせん(地名)において、すぐれた比丘や菩薩たちに対して、釈尊が五徳の瑞相をあらわして(五徳瑞現)説いたものであり、如来が世間に出現するのは、苦悩の衆生に真実の利益(りやく)を与えて救うためである(出世本懐)といわれている。正宗分にはいって、第一に法蔵菩薩が発願し修行して阿弥陀仏となった仏願の始終が説かれる。まず「讃仏偈」において師の世自在王仏を讃嘆し、続いてみずからの願を述べる。次いで諸仏土中における選択(せんじゃく)と、それによってたてられた48願が説かれるが、なかでも、すべての衆生に名号を与えて救おうと誓う第18願が根本である。次に48願の要点を重ねて誓う「重誓偈」が、さらに兆載永劫(ちょうさいようごう)にわたる修行のさまが説かれ、この願と行が成就して阿弥陀仏となってから十劫を経ているといい、その仏徳と浄土のありさまがあらわされている。下巻にいたると第18願が成就して、衆生は阿弥陀仏の名号を聞信する一念に往生が定まると述べ、さらに浄土に往生した聖衆の徳が広く説かれる。こうして第二に釈尊は弥勒菩薩に対して、三毒、五悪を誡め、胎生と化生の得失を判定し、仏智を信じて浄土往生を願うべき旨を勧める。最後に、流通分(るずうぶん)にいたって、無上功徳の名号を受持せよとすすめ、将来聖道の法が滅尽しても、本経だけは留めおいて人々を救いつづけると説いておわっている。
親鸞は、「教巻」に「それ真実の経を顕さば、すなわち大無量寿経これなり」、また「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなわち仏の名号をもつて経の体とするなり」と示し、如来の本願が説かれ、名号のいわれがあらわされた真実の教えであるとする。
【浄土真宗辞典】

『仏説無量寿経』の内容は、上巻に「阿弥陀仏の因果」が説かれ、下巻には「衆生往生の因果」が示されている。すなわち、法蔵菩薩の48願とそれに続く修行が弥陀成仏の因であり、その因が完成して、阿弥陀仏となり極楽浄土が建立され、衆生救済のために六字の名号を成就していること、これが弥陀成仏の果である。衆生往生の因とは、阿弥陀仏の名号を聞信すること(信心を賜ること)ただ一つで浄土往生がかなうという、絶対他力の大道である。すなわち私たちに与えられる救済のすがた。往生の果とは、私たちが浄土に往生して得るところの証果である。
またそれらに加えて、釈迦の出世本懐としての教えがこの『仏説無量寿経』であること、釈尊が本願の念仏に導き信後の倫理生活を勧めた「三毒・五悪段」の説、仏智疑惑のものの往生は不完全な往生の胎生であり、正しい往生の化生は得られないこと、教えが滅尽する末法のときもこの『仏説無量寿経』だけは滅びずに存続すること、なども説かれている。

ところで、この三部経の内容は、表面敵に見るかぎり、阿弥陀仏の本願と他力念仏を教える『仏説無量寿経』、定散二善の実践を中心に示す『仏説観無量寿経』、そして自力念仏を勧める 『仏説阿弥陀経』と、必ずしも同一ではない。しかし、『仏説観無量寿経』
と『仏説阿弥陀経』とは顕説と隠彰というふたつの見方があって、表に説かれた内容(顕説)では定散二善や自力念仏を説いてはいるが、表現のおくそこで本意として説いていること(隠彰)は、ともに『仏説無量寿経』に同じく、他力念仏の法であると考えるのである。
このように「浄土三部経」の内容を、それぞれが説き示すものは異なっていると考えのを三経差別門、おくそこではすべて同一の内容を説いているとするのを三経一致門という。親鸞独特の「三部経」に対する捉え方である。
【親鸞読み解き事典】

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