8月のお盆

 

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8月のお盆勤めも終わりました。今年は天候が不安定で、7日の初盆は台風の影響があり、11日12日は夕立があり、15日も午後から雨でした。8月のお盆勤めは、夏休みの関係で子どもさんも一緒にお仏壇の前で手を合わすご家庭が多いのは7月のお盆勤めではあまり見かけない光景です。最近は生活空間の中で坐る機会が少ない中、ご両親や、御祖父祖母様と子どもさんが一緒に正座をされている姿を見るとほほえましく思います。お仏壇の前で家族と共に手を合わせられたことをずーとは覚えていなくても、子どもさんが成長され、子どもさんにもご自分のお子さんと一緒に手を合わせる頃にきっと思い出されることと思います。また8月のお盆は、ご遠方からお墓参りに多くの方がお見えになります。今年は暦で13日が日曜日でした、この日は終日お寺の駐車場がいっぱいで迷惑をおかけしました。また、住職は、お同行様宅でのお盆勤めでお寺にいない時間が長く、お墓参りに一緒にお勤めをできませんが、後日お墓でお盆勤めをさせていただいています。
また今年は、知人のお寺のご住職様が作られた「おぼんのおはなし」の冊子をお配りしながら、都会の仏教に親しんでない方は、「お盆=休み」としてとらえられている方もあるようでお盆の由来を分かりやすく紹介してあります。そのことを踏まえて、真宗のお盆のとらえ方もご案内したいと思いました。
真宗でお盆の法会を歓喜会(かんぎえ)というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだとお聞かせいただきます。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。