8月のお盆お勤めしました

今年も8月のお盆のお勤めが終わりました。夕立や雨の日もありましたが、例年より暑い日が続いていました。津市ではインターハイ開催の為、例年の一週間遅れの12日に久居の花火大会(サマーフェスティバル)がありお盆期間と重なりなんとなく気ぜわしく感じました。8月のお盆では、親御様が施設などに入り留守になっているご実家に、遠方の息子さんがお盆のお勤めの時間(日)にお待ちくださったり、小さな子供さんがおじいさん・おばあさんと一緒にお勤めをしていただくお姿を拝見しながら住職が幼かった頃のことを思い出させていただきました。今年はお盆の最後のほうに伺いましたお宅で「住職さんずいぶん焼けましたね」と仰せられたのが、今年の夏をよく表しているように思いました。

またお寺のお墓へも、ご遠方からお盆参りにお見えになられるご家族が多くいらつしゃるのは8月のお盆ならではの光景と感じます。事前にご連絡いただいたりして、住職がお会いできましたらお墓でお勤めをさせていただくのですが、出かけている場合が多く、その時は、後ほど住職がお墓や本堂でお勤めをさせていただいています。また、遠方からお盆参りにお見えになるのが困難な場合もご連絡いただきましたらお墓でお勤めをさせていただきます。

真宗でお盆の法会を歓喜会(かんぎえ)というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだとお聞かせいただきます。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。