【報告】お世話会

【報告】お世話方会 親睦会
斎米料を集金していただきお礼も込めて親睦会を開催しました。6月にしては蒸し暑くエアコンを今年初めて使いました。
その中でお世話方様同士でいろんな意見を出し合っていただくことになり、住職はお聞かせいただくだけの形を取りました。お世話方様のいろんな思いや、意見をお聞かせいただく貴重な時間でした。

お世話方さんの役割についてや、今後、これまで通り、お世話方様の役を引き継ぐことができていくかが心配ごとの1つであります。
この15年間ほどで、お世話方様がいらっしゃった地区が28から21に減っています。
お世話方様の役割を、自治会の役員様の活動と同じように捉えていますのでコミュニティの希薄さからくるものだと考えています。
ただ、自治会の活動とお寺のお世話方の活動(役割)が違うとのご指摘もあり、考えて見ますと、自治会では隣人同士の地区のご奉仕ですが、お寺では隣人同士へのご奉仕にプラスして仏様(阿弥陀さま)へのご奉仕が含まれていることが違うのかと感じました。

また、多くの場合、お世話方様を経験された方が亡くなられると、次の代の方にお引き受けしていただいています。これはこれまでの家制度があって成り立っていたものとのご指摘もあり、今の家族形態では今後お引き受けしていただくことが難しいとのことも頷くことでした。
※3世代家族が1つの家で生活する中でお仏壇のお給仕やお寺とのつながりを祖父母や両親の背中を通して引き継がれていましたが、核家族の生活では、実家に帰られた時だけお仏壇に手を合わされているだけではお寺とのつながりは育まれません。

これまでの家制度の上で運営しているお寺の活動は、お世話方制度を含めて組織的には破綻すると思われます。かと言って個人単位に移行ができるかと言うと相当長い時間の単位が必要であると思います。

また、私たちの人間関係は人格(キャラクター) によって合う合わない・好き嫌いは対人関係としてはどうしても存在します。お寺の中の人間関係(住職・寺族・お同行)もそうであっても、お寺の本来の役割は、仏さまと私(人間)の関係であろうと思います。仏さんの教えを人間関係の人格によって合う合わない・好き嫌いに置き換えることではないと考えます。信じる教えが合わない・嫌いと感じるのであれば、そこには、信仰の自由が保証されていますので、お寺を離れる選択肢はあって当然だと考えます。

ここからは、私(住職)の勝手な思いです。
お寺についての思いや意見をお聞かせいただきながら、
ただ、その前に本当に私自身が、「み教え」を聴いてきたのかを省みたいです。
お寺の行事のご法話を1度や2度ほど聴聞したけれど何を言っているかさっぱりわからない。親鸞さんの書かれた本の解説本を何冊も読んだけどさっぱりわからない。
ご法話をお聞かせいただきたいけど、お寺の敷居が高くて入っていけない。
それらが重なり合って、お寺に行くよりは、もっと楽しいことが他にもいっぱいあるのでお寺には行かなくってよい。
悲しいけれどそれが現実かもわかりません。1度や2度真剣にご法話を聴いても、親鸞さんの本を読破しても、「み教え」はわからないと思います。現代の学びのような形態(知識重視)ではなく、自分の人生をかけて聴いていく、読み続ける。そして、同じことを学び合う同朋(とも)と語り合うことがあって、「み教え」が私のなかで働き、育まれて、はじめて私の心境が変わっていくのだと思います。その中で自分が信頼できる師に出遇うことができれば、さらに喜びがわいてくるのではないかと感じています。