報恩講のご講師様から

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

講師挨拶

この度は妙華寺さまの報恩講にご縁を頂戴しました、大河戸悟道と申します。

報恩講とは恩に報いる講(あつまり)という名称であります。さて、その恩とはいかなるものなのでしょうか。よく「親になって初めて知る親の恩」などと言うことがありますが、親になったからといって親の恩に気づくとも限りませんし、もし「ありがたい」と感じることがあったとしても、それで親の恩を知り尽したとは言えないであろうと思います。

報恩講の恩とは、親鸞聖人がいらっしゃったからこそ、この私はお念仏に出遇うことができたことに違いありません。その恩を私はどれほど頂戴しているのでしょうか。気づかないまま息をしているばかりでは、恩に報いるどころか、恩を恩とも知らずに生きていることになってしまいます。

報恩講は私の人生における句読点のようなものと思っています。ここで一旦立ち止まり、足元から確かめてみることで、大きな恩に気づくかもしれません。

南無阿弥陀仏

 

住職より

※今回の布教使であります大河戸悟道(おおこうど ごどう)師からご挨拶が届きましたのでご披露させていただきます。大河戸師は、豊橋市にあります高田派の正太寺(しょうたいじ)のご住職です。高田本山では勿論のこと宗外でも布教について研鑽されています。

この度ご縁をいただきまして妙華寺の報恩講でご法話をいただくことになりました。

 

私たちは人生の中でどれほどご法話をお聴きすることができるでしょうか。振り返ってみると私(住職)は自坊の年に5回ある行事のご法話も満足に聴聞できていない身であります。多忙であるから聴聞できないのでなくなんとはなしに聴聞する時間をとらない自分自身があるのです。聴聞できる時間をとらないと聴聞できないのであれば365日間、聴聞する訳ではありません。是非とも妙華寺の5回の行事にご参詣いただき、ご法話をご聴聞していただければと思います。

 

大河戸師の正太寺につきましては正太寺のHP(http://shotaiji.com/)がございますのでご覧下さい。

%e6%ad%a3%e5%a4%aa%e5%af%bahp