オンラインと対面(参詣)

オンラインと対面(参詣)
関東のご家族とこの2年間、オンラインでお勤めをしています。
今年のお盆に納骨を兼ねてお寺にお越しいただく予定が、7度目の感染拡大で、お盆のお勤めのオンライン(納骨は後日)になりました。

大阪の親戚家族は、お寺にお越しいただくことで、オンラインと本堂で対面(参詣)されるスタイルになりました。
全てがオンラインであったこれまでは、PCの画面に映る場所は限られていますので、本尊がはっきり見えるようカメラを内陣の中央に設置し、

住職のお勤めの場所にマイクとPCを設置してお勤めをしていました。
今回は、本堂にお越しいただく(対面)方のことも考えると本尊の前にカメラも設置やお勤めの前の経机前にマイクやPCを置くのも考えもので、カメラの設置位置やマイクやPCの置き場を考えていました。
大間の焼香台横にカメラを設置して本尊を映し、お勤めの声は、本堂のスピーカー前にPCに接続したマイクを置く方法を選びました。PC本体のスピーカーでオンラインの皆様の声を聞くことにしました。
本堂でのお勤めが終わり、私(住職)は、参詣者とお墓詣りに行きました。
お勤め中は、参詣者には本堂でお焼香もいただき、オンラインの皆様のお顔は拝見できませんでしたが、一緒にお勤めしていただいているお声も聞こえ、離れていてる中、同じ想いに満ちている時間でした。

引退 卒業 引き際

引退 卒業 引き際
先日、長年境内の樹木の剪定をしていただいていました庭師さんから「高い所に登れんようになったので、剪定に伺えません」と電話をいただきました。

少し病院通いにもなったそうです。齢も80歳を超えられ、大きな脚立やはしごを持つのも以前より苦労されていましたので、「本当にお疲れさまでした」と感謝を伝えました。
これまで私(住職)が知っている限りでも庭師さんは3回替わっています。その時、その時のご縁で境内の樹木の剪定を引受ていただく方がいらっしゃりこの景観が守られていること有難いですね。さて、これからのことを考えないといけません。

お寺の住職に定年はありませんので「いのち」終わるまで活躍されている住職もたくさんいらっしゃいます。しかし、住職としての責務ができなくなれば、次にバトンを渡すことも必要です。その判断をどのようにするのかがお寺のこれからの課題のように感じています。

※先日「フォークの貴公子」と呼ばれていた吉田拓郎さんの最後のTV番組を見ました。番組内では引退と言うのではなく卒業と話されていたと思うますが、人生の中の1つの引き際と感じました。私(住職)の青春時代もタクローさんの歌に夢や背中を押されたようなことがあったなと懐かしく思い出しました。私(住職)の引き際もそう遠くないことも感じながら、次にバトンが渡せるよう考えていきたいです。

【案内】8月15日 津 平和の鐘

【案内】8月15日津・平和の鐘
今年5回目になる、「津 平和の鐘」を8月15日に開催します。「津がつながる津ぅりずむ」が主催し、津市内にある鐘を撞き「戦没者の追悼と世界平和を祈念する」ことに賛同した寺院が正午に黙祷をしてから鐘を撞きます。
妙華寺も趣旨に賛同して終戦記念日の15日(日)正午から30分間、一分間の黙祷の後、鐘をつきます。
昨年同様、コロナ禍の中ですので呼びかけはしませんが、新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をしています。8月15日正午から30分の間にお墓参りにお越しの場合、鐘をお撞きいただく機会もあります。

※妙華寺の鐘は、お寺の行事の案内の時だけ撞いています。

親戚寺院の葬儀

上宮寺住職の葬儀
私(住職)の祖母方で母の従兄弟にあたる津市の上宮寺の住職の葬儀で焼香をさせていただきました。第二次世界大戦中、津市内への空襲で本堂など全て焼失した寺院を立て直されました、高田本山の維那(いのう)職も勤め、本山の行事で活躍されていました。お預かりされていた上宮寺は歴史があり、地名である「阿漕」が有名になった「阿漕平治」のお寺でもあります。
従兄弟にあたる私の父(前住職)や母(前坊守)にも親しくしていただいていました。私が小さかった時の思い出は、上宮寺の住職が中学生くらいでしょうか、お父様と自坊に来られた時の制服姿が新鮮でした。私(住職)とは、共通の趣味の骨董を通して、本山の歴代の法主殿の掛軸などから学びをいただいていました。

法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の報告書

法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の報告書が出来上がりました。3年前の令和2年か本堂東附属屋の改修から始まり、本堂一部床下の補強工事、墓地水屋の改修、選択本願念仏集掛軸(3幅)の修理、本堂音響設備の新設や照明器具の改修内陣のイス席の導入、境内北側の樹木の伐採、境内墓地位置掲示板の改修、新しい生活様式への対応など多くの事業にご賛同いただきありがとうございました。法会も5月22日にお勤めできましたこと改めて感謝申し上げます。
当初12月にお同行の皆様に配布できればと考えていましたが、秋彼岸会の案内時に配布させていただきます。
親鸞聖人の「み教え」をよりどころにしている私たちは、改めて親鸞聖人と出遇いなおす機会でありました。
50年前の高田派の本に「高田の流れは南無阿弥陀仏の流れであります。南無阿弥陀仏の流れはお仕えする心の流れであります」と表現されていました。
奥深い表現で一言では言い表せませんが、「南無阿弥陀仏」を中心に私が生きていくことのように感じています。

※辞書に「仕える」は、「その人のために働く」

お盆によせて

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お盆によせて

お盆といいますと、私たちは、一年に一度家に帰ってこられるご先祖の霊に供養し、なぐさめることと思っています。
しかし実は、お盆は、どれほど厚い孝心をもって亡き母への供養をしても、所詮その心はとどかないものであったことを思い知らされた目蓮尊者の悲嘆に由来している仏事なのです。

つまり、亡き人への供養一つできない身であったことを、あらためて懺悔し、自らが聞法する時なのです。
私たちの日々は、ふりかえってみますと、そうはっきり意識しているわけでないにしても、自分があって父母があり、おのれがあって社会があるという考え方、生き方をしています。

亡き人々への供養といっても、自分の心のままに務めているもので、供養の後は、これで一安心と、自分が満足するものでしかありません。
母親への供養が届かないことを悲嘆する目蓮に、釈尊は、安居(あんご)のとき衆僧供養することをすすめられます。安居とは、虫たちがもっとも活発に歩きまわる季節をいいます。無駄な行動をして虫たちを踏み殺さないようにつつしみ、専ら聞法につとめる期間です。
お盆は、亡き肉親をはじめ、こんなに多くの人(多くの命)とのつながりのなかに賜っている我が身の命を、今一度いただきなおし、その尊さを聞きひらいていくべき時であったのです。
そしてもし、私が、賜っているこの私の命を歓び、尊ぶということがなければ、ご先祖への供養も、遂に形だけの気安めに終わるばかりです。
宮城 顗
【法苑院妙華寺資料】

妙華寺では、7月12日から15日までと8月11日から15日まで、地区を分けてお盆のお勤めをさせていただいています。
お盆の期間、お釈迦様の弟子の目蓮尊者の母親の話から「いのち」について考えさせられることがあります。
当日、お盆勤めのご都合が難しい場合は、ご連絡ください。他の日時やお墓でのお勤めも可能です。

仏教の旗印

仏教の旗印

世間一般では、特別、宗教を信じているとは考えない人が多いですが、

「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆苦(一切行苦)」と言う言葉を聞いたり、感じたりしたことはありませんか。

私(住職)は、自分の身体の変化や大切な方が亡くなられた時、「諸行無常」や「諸法無我」を感じることがあります。亡くなられた方がいらっしゃると「涅槃寂静」に入ったと思う時があります。人生で思い通りにならなければ「一切皆苦」と感じたりします。

私(住職)が、お寺で生まれ育った一面もありますが、学校でも社会人になってからも生活者と対話する時にどちらからとなく話題に上がることです。それは、日本で長い時間に育まれた仏教の教えに基づいたものと思っています。しかし、それ以上のことまでは思うことがないのが世間一般の考えなのかもわかりません。どうしてそのような考えに行き着いたのかを考えてみるのも人生の中で大切なような気もします。

 

三法印
仏法の旗印の意で、仏教の根本真理を3つにまとめたもの。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」 これに「一切皆苦(一切行苦)」を加えたものを、四法印と呼ぶ。

「諸行無常」は、因縁によって作られたものは常に変化してとどまることがないということ。
「諸法無我」は、すべてのものは永遠不変の実体ではない、すべてのものに永遠不変の実体は存在しないということ。
「涅槃寂静」は、煩悩の火か消された状態(涅槃)は究極の安穏の世界(寂静)であるということ。
「一切皆苦(一切行苦)」は、あらゆる存在はすべて苦しみであること。

願い

仏の願い

私の願いは、自分の欲望からくるものが多い。その願いが叶うよう、自己が努力することもあるし、他者を頼ることもある。そして最後は神仏に願う。
その願いが、成就すれば喜ぶプラスの感情が沸き起こり、かなわなかったら悲しんだり、恨んだりするマイナスの感情になることが多い。
そのような私の願いを、神仏はどのように見ているのだろう。

仏の願いを、『浄土真宗辞典』で調べると、
仏の願(がん)
目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意味で、誓願ともいう。
仏は、因位の菩薩の時に願をたてるが、すべての仏に共通する願を総願といい、それぞれの仏の固有の願を別願という。総願とは、四弘誓願のことで、別願については、釈迦仏の500願、薬師仏の12願、阿弥陀仏の48願などが代表的である。

そして、仏の総願(そうがん)と呼ばれる、四弘誓願(しぐぜいがん)は、

四弘誓願 4つの広大な誓願
①衆生無辺誓願度 一切の衆生をさとりの岸にわたそうとする誓願
②煩悩無尽誓願断 一切の煩悩を断とうという誓願
③法門無量誓願学 一切の教えを学びとろうという誓願
④仏道無上誓願成 このうえないさとりを成就しようとする誓願
この4つはすべての菩薩に共通する願であるから総願といわれる。
なお、経論釋によっては示される願文に若干の異同もみられるが、意味は同じである。

と記載されている。

これは、私への願いで、私が仏に願う願いとは向きが違っている。

私が願う前から私を願っている仏がいることに気づく事ができるのだろうか。

高田の宗風

高田の宗風
【高田婦人要典】昭和46年3月15日発行にの中に、高田の宗風として書かれた文章を、中川が一部省略したものを紹介文として掲げます。

・高田派の宗風
①ひたすら聖人のみ教えを忠実に継承する
第17世圓猷上人の御書(5の7)に、「正に今聖人より次第相承の安心(あんじん)、一器
の水を一器にうつすが如く、糸毫(しごう)をへだてずして教化せしむるものなり」

②「念仏高田」の言葉に示されている、信行具足の念仏重視の傾向
「教行証文類」も、行文類の次に信文類を次第されている。
「弥陀の名号となえつつ 信心まことに得る人は 臆念の心つねにして 佛恩報ずるおもいあり」(正像末法和讃 国宝本第5首)に見えるように、

先ず念仏を称えるということがあって信が展開する。高田の宗義はこの「行信」のお心を正しく相承したものである。
※称名念仏を信後の報恩行とする傾向は高田の宗風にそぐわない。
※高田の宗義を「半鎮半天」(半分は浄土宗の鎮西派で半分は天台宗の自力念仏宗)とけなすことがあるが、念仏重視の宗風を表面的に受け取った非難で、このような非難こそ真宗教団の衰弱を意味するもの。
※高田の歴代は法脈相承で、正しい法流を継承することこそ真の血脈相承

③所依の聖典に、(宗教法人真宗高田派宗制)宗祖の撰述の中に「皇太子聖徳奉讃」の名を挙げているのが他派と異なる所。
宗祖聖人は聖徳太子を観音菩薩の化身と仰ぎ、「和国の教主」と讃歎しておられるので、三帖和讃と共に太子奉讃を尊ぶのは当然のこと。
宗祖のお心を反映し、第2祖真佛上人・第3祖顕智上人ともに太子奉讃を書写されて、宝庫に現存している。
高田のお寺は、太子堂を持つ所も少なくない。

④「高田御書」は、1人の上人の著述でなく、宗祖聖人の御書が多く収められていると共に中興上人以下代々上人の御書が集められている。しかも、代々上人の御書には、宗祖や7祖の聖教が引用されている。祖訓に拠ろうとする高田の宗風のあらわれ

常に原点に立ち返り、古きを学んで新しきを尋ねようとする宗風は、保守的と言えましょうが、高田の宗門には何一つタブーがありません。譬え本山に不利になることであっても、真実であるならば堂々と発表するのが高田の伝統。
これまで聖人の御真筆と伝えられた宝庫の数々の御聖教のうち、真筆でないと判明したものは躊躇なく「真筆に非ず」と発表して来たのが高田の学者である。
タブーのない、開かれた教学を持っていることも実にうれしいこと。

宗祖に直参する心は、当然華美なるものをしりぞけます。門跡寺院の格式として、お厨子は、お扉つきの最高のものを依用しながら、供華(くげ)は一本松の簡素さであり、本堂への出仕には履き物を用いない(法主のみ藺草履)など「お仕えする心」に徹した質素な美しさを、尊い宗風として一層仰いで参りたいものであります。

※法の流れ(歴代法主の御事績)の最後にも、「高田の流れは、南無阿弥陀仏の流れであります。南無阿弥陀仏の流れは、お仕えする心の流れであります。(中略)私たちの1人1人が、お仕えする心をもって結ばれたなら、どんなにすばらしいことでありましょうか。これこそ、教団のあるべき姿であり、和合僧の姿であります。1人でも多くの人々が、この流れを汲んで、一味の海に入れるよう、お念仏を申したいものであります」と結ばれています。

相導師寺院の前坊守様の17回忌

6月の終わりに相導師寺院の前坊守様の17回忌にお勤めさせていただきました。今年は6月と言うのに梅雨明けで暑い日でした。今の御住職のお祖母さんにあたります。今の御住職は、前坊守様が亡くなられた16年前は、都会で働いていらっしゃったそうです。その翌年に自坊にお戻りになられたそうです。私(住職)は住職になる年で、妙華寺の住職として出仕させていただいたと思います。前坊守様のご出身のお寺様も、一緒にお勤めされ、ご挨拶の中で(妙華寺の)HPを拝見していただいているようでとても恐縮しました。
また、前住職様の弟さんは、私の出身高校の2年先輩であり、共通の知人の話題など親しくお話をしていただきました。
仏間の床の間に、高田派の真慧上人の「名号」が掛かり、本堂脇壇に、真慧上人の絵像が荘厳されていました。また本堂余間にも真慧上人の「名号」が荘厳されていて、伝えられている宝物を大切に守っていらっしゃることを知ることができました。