真宗入門講座③

真宗入門講座③
1月から続いている真宗入門講座の3回目は、「伝絵」の二段「吉水入室」のお話でした。
高田本山の「伝絵」は、13の場面から成り立っています。今残っている「伝絵」としては一番古い時代に成立しています。最初の段の「出家得度」の場面は親鸞聖人9歳の時の場面です。そして、今回「吉水入室」は、親鸞聖人29歳の時の場面です。場面としては現れない20年間は比叡山で修行をされていました。「吉水」とは今の京都の円山公園あたりに法然聖人(上人)が隠遁されていた住まいがあり、多くの民衆が法然聖人の選択本願の教えを聞きにこられていた場所です。親鸞聖人もそこで初めて法然聖人に出遇われました。
何故、法然聖人に遇うことになったのかも考えさせられます。
そこには、親鸞聖人の内なる悩みが比叡山の修行では解決できなかったからでしょう。
親鸞聖人の悩みを、私自身の悩みと自分事で考えることができるかが問われているようです。

今回の講座に、ありがたいことに、お同行の方が参加していただき感想もいただきました。

次回は。「伝絵」の「六角夢想」の段の話になります。ご興味のある方はご参加ください。※事前申込制ですので、詳細は高田本山のHPをご覧ください。」

法友の死

安藤章仁先生のご往生

彼は私より一回り若いのですが、仏教や真宗のことそして日本文化にも詳しく多くの学びをいただいた1人です。
出会いは27年前の「京都で学ぶ高田派学生の集い」でした。平松先生や京都輪番が高田派の大学生の学びの場を用意し、当時学生をまとめていたのが彼でした。その中に40歳の私もひよっこり参加させていただいて知り合いました。
彼の行動範囲はとても広いので私との関係は、山内の「古文書を読む会」、「教学院」で学ぶ仲間でした。私は教えていただくばかりでしたが、彼は多くの知識を持っていましたので、仲間と言うより先生と感じることでした。

仏教・真宗以外で茶道への興味で私(住職)と話がはずんだことも思い出します。

妙華寺の行事のでは、平成24年・平成25年の春千部会・平成26年の一光三尊仏御開扉法会に布教使として、皆様に法話をいただきました。平成25年のお寺の研修旅行では彼の自坊へ伺い一光三尊仏に関するお話をお聞かせいただきました。

その彼が往生したと聞き、昨年妙源寺のご住職(父親)が往生し、4月から住職としてこれまで以上に活躍されることを願っていた矢先のことで、とても驚いています。
3月1日に宗務院の玄関で久しぶりに会い一言・二言話したのが最後でした。
通夜・葬儀式でお別れさせていただきたかったのですか、法務が入っていましたので、私(住職)は別の日にお悔やみさせていただきました。衆徒が葬儀式で焼香させていただきました。

東日本大震災から12年

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東日本大震災から12年
日本仏教で言えば13回忌の年になります。また、今年は関東大震災から100年とも知りました。忘れないと思っていても、忘れてしまった事実を振り返りながら、本来なら個々の死を、私(住職)との関係性がない被災者の震災死として捉えていないかを考えさせられます。

いつ来るかわからない災害に、建造物の耐震対策や防災意識の継続は必要ですが、ある時、緊張が薄れてしまうことも現実です。
災害が起きた時に「お寺としてできること、宗教者としてできること」を、いつの時でも「お寺でできること、宗教者としてできること」として考えることも大切だと感じています。

昨年も書きましたが、東日本大震災のこと以外にも、心や身体に影響がおよぶの目の前にある悲しみや苦しみに向き合う事を決して忘れてはならないと思っています。

聖徳太子

聖徳太子
高田本山の5月の奉讃法会で聖徳太子1400年御遠忌がお勤めされます。

聖徳太子は、仏教興隆の祖として鎌倉時代に信仰が広まったと聞いています。
親鸞聖人は、観世音菩薩の化身してい崇め「和国の教主」とも讃仰されました。「正像末法和讃」の中に皇太子聖徳奉讃11首、皇太子聖徳奉讃75首、大日本国栗散王聖徳太子奉讃114首を和讃されました。
真宗寺院の多くは、16歳孝養(きょうよう)太子像を余間に安置しています。
美豆良(みずら)を結い、右手は胸前で柄香炉を執り、左手は右手の下で布をつかむ姿は、聖徳太子が16歳の時に、父用明天皇の病気平癒を祈願したという伝説に基づく姿です。

3年前(2020年)妙華寺の本堂東楽の間の改修時に、裏面に「大正10年(1921)3月 聖徳太子御遠忌 志」と記載されている戸帳(とちょう)が残っていました。

【戸帳】とは、宮殿・厨子の前面と左右両側の三方に垂らした装飾布。
戸帳を巻き上げず、礼拝の対象を拝することができるよう戸帳の中央を切り抜いた形のものをを用いている。(浄土真宗辞典)

妙華寺の聖徳太子像は厨子に納められているのでその厨子のサイズに合う戸帳のような気もしますし、妙華寺の本尊の戸帳のサイズのようでもあります。
大正10年3月に聖徳太子(1300年)御遠忌の志として寄進されたことは確かです。
妙華寺でその当時に、聖徳太子(1300年)御遠忌のお勤めを厳修したと考えられます。

聖徳太子(574-622)厩戸(うまやど)皇子、上宮(じょうぐう)太子とも言われる。父は用明天皇。高句麗の慧慈(えじ)に仏教を学び、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立した。『法華経義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』を制作したと伝えられ仏教の興隆に尽力した。政治の世界では推古天皇を助け冠位12階や憲法17条を制定し、遣隋使を派遣した。

 

高田本山の新宝物館

高田本山の新宝物館
3月に入り、着々と建設が進められています高田本山の新宝物館を拝見する機会をいただきました。まだ足場はとれていませんが、外構と内装の工事が進んでいました。4月末には引き渡しが予定されています。5月21日からの奉讃法会にオープンの運びです。
5月21日から6月18日は「知られざる専修寺の至宝」展が予定されています。
併設されます文化財活用室(VR)も最新の技術が導入されていますので注目していただきたいと思います。

新宝物館建設にあたって高田本山からご寄付の依頼もあり、妙華寺では124名の方のご賛同(2月末現在)がございました。感謝しています。高田本山では、ご賛同いただきました方のご芳名を宝物館に献納し、2万円以上のご寄付の方のお名前は新宝物館内の廊下の壁面に銘板に刻銘されます。新宝物館に足を運んでご確認ください。

いのちの日

いのちの日
京都府では、(平成28年から)毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。

また、京都では、この趣旨に賛同した宗教者の活動の一つが「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」があります。どなたでも参加できるようですので時間が合いましたらお申し込みをして参加してください。

行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、全国に「いのちの日」が広がることを願っています。

三重県こころの健康センター主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】三重県自殺対情報センター
059-253-7821(平日8:30-17:15・祝祭日・年末年始除く)

自死遺族サポート ガーベラ会主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】mail miegabera@gmail.com
HP http://www.miegabera.jp

 

真宗入門講座②

真宗入門講座②
先月からの真宗入門講座の2回目は、「伝絵」の最初の「出家学道」の段のお話です。
詞書と絵相によって親鸞聖人の生涯を伝える「伝絵」ですが、私(住職)は、どうしても絵相に目がいってしまい、詞書をゆっくり読むことはしません。と言うより読めないので飛ばしてしまうと言うのが本音です。日本語の古文が読めないのは残念なことです。
幸い、講座では、原文と現代語訳の資料がありますのでありがたいです。

詞書は、聖人の家系と出家の時と比叡山での話です。絵相は、出家の場面です。
私たちは、あらためて人物を紹介する時は、その人物の家系から語られる(記載する)ことは、今も変わらないように思ったりします。また、格調高い文面になるのも、当然かもわかりません。しかし、幼い9歳で、叔父に付き添われ得度をすること。他の史料などから確認すると聖人の兄弟が全員得度出家していることからみえてくるものは、飾り立てられた言葉とは違う一面を見極めることも大切なことと思います。それは絵相にもあてはまります。高貴な方として描かれることで普通と違うことを強調するのは尊敬の念だけではないのかもわかりません。

次回は。「伝絵」の「吉水入室」の段の話になります。ご興味のある方はご参加ください。※事前申込制ですので、詳細は高田本山のHPをご覧ください。

 

他人事

他人事
遠く離れた地の戦争や災害に心痛めることがあります。そしてそのことを、自分事であるか他人事であるか考えるのは、自分の関心がこの戦争や災害とどのようにつながっているかを感じるかによって違ってみえるようです。
身近なことで考えるなら、「他者の死」はどうでしょうか。
自分に関係ない他者の死を、毎日ニュース・新聞で目にしますが、「悲しい」「残念」とは思う心だけであれば他人事だと思います。「身近な方、大切な方の死」は他人事ではなく。自分事として受けとめる方が多いと思いますが、最近は、他人事として捉える方も見受けられます。
自分の関心事が、他者にまで思いいたらなく個人的になっているからかもわかりません。

地域社会のことも以前に比べると他人事のように考えてしまうことが多いように感じます。
自分にできることは限られていますが、自分の中でもう少し視野を広めたり、考える実践をしないといけないようにも感じています。

国友一貫斎展

国友一貫斎展
滋賀県では名が知られている、「国友一貫斎」の展覧会が長浜市長浜城歴史博物館で開催されています。

以前も紹介しましたが、妙華寺の本堂の屋根から、久居藩の国友貢が鳥のように空を飛ぶ試みをした伝承が『藤陰記』にあり、国友一貫斎の文書資料から日本最古の「飛行機図」が見つかり、国友つながりで、「飛行機の失敗」を展覧会のコラムとして紹介していただいています。

展覧会では、学芸員の方から展示物の紹介をいただき、深い学びをいただく時間でした。
国友一貫斎は、家業の鍛冶鉄砲を製造し、その技術力をいかし、豊かな発想力で多くの発明品や改良品が紹介されています。それによって多くの人々と交流を深めていました。彼が改良した反射式望遠鏡は今の時代でも使えるようです。その望遠鏡から見た宇宙を1年以上かけて記録してある資料は貴重であると感じました。

 

琵琶湖の北西部の長浜市は、長浜盆梅も有名です。寒い時期ではありますが、ご興味のある方にお勧めします。

公開シンポジウム 岐路に立つ、これからの「お葬式」

公開シンポジウム 岐路に立つ、これからの「お葬式」
浄土宗総合研究所主催の公開シンポジウムが、オンラインでも視聴することができました。5名のパネリストが、専門の領域から提案があり、最後にディスカッション終了まで4時間のシンポジウムでした。

①「日本社会と葬送の変動」として、近世の日本の葬儀を振り返り、生活者の葬送への意識変化と、これからの葬儀・僧侶への期待を提案されました。
②「寺院へのアンケート調査からみるコロナ禍が葬送に与えた影響」としてコロナ禍の3年間、4回のアンケート調査を通して、葬送儀礼の変化、僧侶と檀家のコミュニケーション不足による不信・不満の要因であったり、葬儀社との友好関係の構築など対応が大切であると提案された。
③「本質から葬送を考える」として、葬祭業者からの視点で、これまでの葬儀の振り返りとこれからの葬儀には、遺族へのグリーフケア・サポートが大切である提案をいただいた。
④「コロナ禍における婚礼の現状と「お葬式」との共通点」として、ウエディングプランナーから婚礼(ブライダル)の現状と葬儀の共通点の提案は私(住職)にはない視点からの提案で勉強になりました。
⑤「葬儀の読経と意味」として、葬儀の読経の声に注目しての提案でした。こちらも私(住職)にない視点でした。確かに葬儀式の時間、「お経」を中心に「声」を発するのは僧侶だけです。僧侶の「声」は同心円に、仏と亡き人と遺族・関係者へ届いてき、誰の為の読経であるのか問い直していくことは大切と感じました。

最後のディスカッションは、予定が入り視聴できませんでしたが、生活者の視点と宗教者からの視点から膨大な資料と共に貴重な学びの時間に会えたことを喜んでいます。

妙華寺の「葬儀」も時代で変化をしてきています。そこには、時代に適したより良い「葬儀」を目指して変わり続けてきた証だと思います。今後も、生活者の視点に立った「葬儀」を大切にしていきたいと思っています。

※中川個人の感想です。