布教伝道大会

布教伝道大会
年に1度の布教伝道大会に今回も遇うことができました。
講師は、布教伝道研修講座を立ち上げられました最初の講師の本願寺派布教使の葛野(かどの)洋明先生です。葛野先生は、妙華寺の報恩講でも2年に1度ご法話いただいている先生でもあります。
「現生正定聚」についての学びでした。今年は、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の法会も控えており、立教開宗についてもお話がありました。
親鸞聖人は、法然聖人との出遇いにより法然聖人の念仏の教え(選択本願念仏)を拠にして、教えを伝えていかれましたので、親鸞聖人自身には、「立教開宗」の意識はなかったのですが、後の親鸞聖人の教えを拠として念仏道を歩んでいる私たちから見ると、親鸞聖人が「浄土真宗」を開かれたとしています。
今、「浄土宗」「浄土真宗」と宗派の名前のように使っている「浄土真宗」ですが、親鸞聖人の中では、法然聖人の伝える「浄土」の教えが「浄土真宗」なのだと言う意味でありました。

また、法話などで、阿弥陀さまの視点からか、私たち凡夫の視点からの説明(話)なのかも注意しながら伝えていかないと混乱していまいます。

後半では、先生が「現生正定聚」を感じたことをお話されました。
私たちは、なんとなく、「浄土」は将来の「場」のように捉えがちですが、念仏道を歩んでいることが「浄土」の因であることを考えさせられました。

中々頷くことが難しいのは、まだまだお聴聞ができていない証拠にようでしたが、法話をお聴かせいただく機会は大切だと感じています。
※中川個人の感想です。

多くの方々は、仏教に出遇うことなく人生を終えていくとしても、豊かな人生であると思われていると思います。しかし、本物の仏教に出遇うと、自分自身の考えが我執にとらわれていることを気づかさせていただきます。そこから初めて教えを請う歩みがはじまるのではないでしょうか。
仏教の教え(仏法)に出遇うことで人生がさらに豊かになることも実感しています。そして仏教の教え(仏法)に出遇うことの1つに聞法(もんぽう)があります。いつからでも始めることができる出遇いです。生活する中で、聞法する時間がとりない場合も承知していますが、是非一度お試しください。

お寺(妙華寺)の年5回の行事でもご法話がございます。そこから始められるのはいかがですか。

 

お裏方様の一周忌

お裏方様の一周忌
命日の3月27日に高田本山専修寺の如来堂にてお裏方様の一周忌の日中に焼香させていただきました。本山の桜も今年は開花が早いようできれいです。
1年が過ぎるのは本当に早く感じます。御法嗣殿も大学を卒業され4月からは大学院で学ばれるそうです。お裏方様も楽しみにされていました新宝物館も完成が近づき、親鸞聖人御生誕850年の奉讃法会も近づいてまいりました。

親鸞聖人を学ぶ機会

親鸞聖人を学ぶ機会

今年は、親鸞聖人誕生850年にあたり、高田本山では5月に奉讃法会が開催されます。また、真宗教団連合の各本山でも記念法会があります。およそ10年前の親鸞聖人750回御遠忌の時もそうでしたが、親鸞聖人のことを学ぶ機会が多いの時間でもあります。
次回となると、後40年後の親鸞聖人800年御遠忌の頃になると思うと、私(住職)にとっては、最後の機会と感じています。

これまでもHPで何度か紹介しましたが、私(住職)が楽しみにしている催し物を新しい情報も加えてあらためて紹介します。
京都国立博物館で「親鸞 生涯と名宝」展(3月25日から5月21日)が開催されます。
親鸞聖人の生涯は、日本の時代が大きく変わる時代でもあり、自分の出遇えた教えを多くの人々に伝えられる生涯でありました。今を生きる私たちが親鸞聖人の教えに出遇うことは、私(住職)には大きな喜びであると感じています。
また、真宗教団連合が特別協力する展覧会ですので、親鸞聖人の著書の『顕浄土真実教行証文類』の板東本・西本願寺本・高田本を同時に拝観できることは初めてのことのようです。開催への期待が膨らんでいます。

三重県総合博物館の「親鸞と高田本山 専修寺国宝からひろがる世界」展(4月22日から6月18日)では、高田本山に伝わる親鸞聖人の直筆の「西方指南鈔」・「三帖和讃」・「消息」・「親鸞伝絵」・「顕浄土真実教行証文類」を始め、高田の寺院に伝わる貴重な法宝物も展示されるようです。

高田本山の新宝物館でも「知られざる専修寺の至宝」展(5月21日から6月18日)も予定されています。こちらも多くの法宝物に出合えることを楽しみにしています。

また、京都の龍谷ミュージアムでは「真宗と聖徳太子」展(4月1日から5月28日)が予定されています。親鸞聖人は聖徳太子を篤く敬われていたことはご承知と思いますが、真宗寺院では聖徳太子を余間に荘厳しています。高田派では、聖徳太子1400年御忌も併せていますので聖徳太子についての学びも深まりそうです。

6月までの3ヶ月間、親鸞聖人について学ぶ機会がたくさんありとても楽しみにしています。ご興味・ご関心のある方は是非ご都合をつけて足をお運びください。

真宗入門講座③

真宗入門講座③
1月から続いている真宗入門講座の3回目は、「伝絵」の二段「吉水入室」のお話でした。
高田本山の「伝絵」は、13の場面から成り立っています。今残っている「伝絵」としては一番古い時代に成立しています。最初の段の「出家得度」の場面は親鸞聖人9歳の時の場面です。そして、今回「吉水入室」は、親鸞聖人29歳の時の場面です。場面としては現れない20年間は比叡山で修行をされていました。「吉水」とは今の京都の円山公園あたりに法然聖人(上人)が隠遁されていた住まいがあり、多くの民衆が法然聖人の選択本願の教えを聞きにこられていた場所です。親鸞聖人もそこで初めて法然聖人に出遇われました。
何故、法然聖人に遇うことになったのかも考えさせられます。
そこには、親鸞聖人の内なる悩みが比叡山の修行では解決できなかったからでしょう。
親鸞聖人の悩みを、私自身の悩みと自分事で考えることができるかが問われているようです。

今回の講座に、ありがたいことに、お同行の方が参加していただき感想もいただきました。

次回は。「伝絵」の「六角夢想」の段の話になります。ご興味のある方はご参加ください。※事前申込制ですので、詳細は高田本山のHPをご覧ください。」

法友の死

安藤章仁先生のご往生

彼は私より一回り若いのですが、仏教や真宗のことそして日本文化にも詳しく多くの学びをいただいた1人です。
出会いは27年前の「京都で学ぶ高田派学生の集い」でした。平松先生や京都輪番が高田派の大学生の学びの場を用意し、当時学生をまとめていたのが彼でした。その中に40歳の私もひよっこり参加させていただいて知り合いました。
彼の行動範囲はとても広いので私との関係は、山内の「古文書を読む会」、「教学院」で学ぶ仲間でした。私は教えていただくばかりでしたが、彼は多くの知識を持っていましたので、仲間と言うより先生と感じることでした。

仏教・真宗以外で茶道への興味で私(住職)と話がはずんだことも思い出します。

妙華寺の行事のでは、平成24年・平成25年の春千部会・平成26年の一光三尊仏御開扉法会に布教使として、皆様に法話をいただきました。平成25年のお寺の研修旅行では彼の自坊へ伺い一光三尊仏に関するお話をお聞かせいただきました。

その彼が往生したと聞き、昨年妙源寺のご住職(父親)が往生し、4月から住職としてこれまで以上に活躍されることを願っていた矢先のことで、とても驚いています。
3月1日に宗務院の玄関で久しぶりに会い一言・二言話したのが最後でした。
通夜・葬儀式でお別れさせていただきたかったのですか、法務が入っていましたので、私(住職)は別の日にお悔やみさせていただきました。衆徒が葬儀式で焼香させていただきました。

東日本大震災から12年

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東日本大震災から12年
日本仏教で言えば13回忌の年になります。また、今年は関東大震災から100年とも知りました。忘れないと思っていても、忘れてしまった事実を振り返りながら、本来なら個々の死を、私(住職)との関係性がない被災者の震災死として捉えていないかを考えさせられます。

いつ来るかわからない災害に、建造物の耐震対策や防災意識の継続は必要ですが、ある時、緊張が薄れてしまうことも現実です。
災害が起きた時に「お寺としてできること、宗教者としてできること」を、いつの時でも「お寺でできること、宗教者としてできること」として考えることも大切だと感じています。

昨年も書きましたが、東日本大震災のこと以外にも、心や身体に影響がおよぶの目の前にある悲しみや苦しみに向き合う事を決して忘れてはならないと思っています。

聖徳太子

聖徳太子
高田本山の5月の奉讃法会で聖徳太子1400年御遠忌がお勤めされます。

聖徳太子は、仏教興隆の祖として鎌倉時代に信仰が広まったと聞いています。
親鸞聖人は、観世音菩薩の化身してい崇め「和国の教主」とも讃仰されました。「正像末法和讃」の中に皇太子聖徳奉讃11首、皇太子聖徳奉讃75首、大日本国栗散王聖徳太子奉讃114首を和讃されました。
真宗寺院の多くは、16歳孝養(きょうよう)太子像を余間に安置しています。
美豆良(みずら)を結い、右手は胸前で柄香炉を執り、左手は右手の下で布をつかむ姿は、聖徳太子が16歳の時に、父用明天皇の病気平癒を祈願したという伝説に基づく姿です。

3年前(2020年)妙華寺の本堂東楽の間の改修時に、裏面に「大正10年(1921)3月 聖徳太子御遠忌 志」と記載されている戸帳(とちょう)が残っていました。

【戸帳】とは、宮殿・厨子の前面と左右両側の三方に垂らした装飾布。
戸帳を巻き上げず、礼拝の対象を拝することができるよう戸帳の中央を切り抜いた形のものをを用いている。(浄土真宗辞典)

妙華寺の聖徳太子像は厨子に納められているのでその厨子のサイズに合う戸帳のような気もしますし、妙華寺の本尊の戸帳のサイズのようでもあります。
大正10年3月に聖徳太子(1300年)御遠忌の志として寄進されたことは確かです。
妙華寺でその当時に、聖徳太子(1300年)御遠忌のお勤めを厳修したと考えられます。

聖徳太子(574-622)厩戸(うまやど)皇子、上宮(じょうぐう)太子とも言われる。父は用明天皇。高句麗の慧慈(えじ)に仏教を学び、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立した。『法華経義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』を制作したと伝えられ仏教の興隆に尽力した。政治の世界では推古天皇を助け冠位12階や憲法17条を制定し、遣隋使を派遣した。

 

高田本山の新宝物館

高田本山の新宝物館
3月に入り、着々と建設が進められています高田本山の新宝物館を拝見する機会をいただきました。まだ足場はとれていませんが、外構と内装の工事が進んでいました。4月末には引き渡しが予定されています。5月21日からの奉讃法会にオープンの運びです。
5月21日から6月18日は「知られざる専修寺の至宝」展が予定されています。
併設されます文化財活用室(VR)も最新の技術が導入されていますので注目していただきたいと思います。

新宝物館建設にあたって高田本山からご寄付の依頼もあり、妙華寺では124名の方のご賛同(2月末現在)がございました。感謝しています。高田本山では、ご賛同いただきました方のご芳名を宝物館に献納し、2万円以上のご寄付の方のお名前は新宝物館内の廊下の壁面に銘板に刻銘されます。新宝物館に足を運んでご確認ください。

いのちの日

いのちの日
京都府では、(平成28年から)毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。

また、京都では、この趣旨に賛同した宗教者の活動の一つが「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」があります。どなたでも参加できるようですので時間が合いましたらお申し込みをして参加してください。

行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、全国に「いのちの日」が広がることを願っています。

三重県こころの健康センター主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】三重県自殺対情報センター
059-253-7821(平日8:30-17:15・祝祭日・年末年始除く)

自死遺族サポート ガーベラ会主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】mail miegabera@gmail.com
HP http://www.miegabera.jp

 

真宗入門講座②

真宗入門講座②
先月からの真宗入門講座の2回目は、「伝絵」の最初の「出家学道」の段のお話です。
詞書と絵相によって親鸞聖人の生涯を伝える「伝絵」ですが、私(住職)は、どうしても絵相に目がいってしまい、詞書をゆっくり読むことはしません。と言うより読めないので飛ばしてしまうと言うのが本音です。日本語の古文が読めないのは残念なことです。
幸い、講座では、原文と現代語訳の資料がありますのでありがたいです。

詞書は、聖人の家系と出家の時と比叡山での話です。絵相は、出家の場面です。
私たちは、あらためて人物を紹介する時は、その人物の家系から語られる(記載する)ことは、今も変わらないように思ったりします。また、格調高い文面になるのも、当然かもわかりません。しかし、幼い9歳で、叔父に付き添われ得度をすること。他の史料などから確認すると聖人の兄弟が全員得度出家していることからみえてくるものは、飾り立てられた言葉とは違う一面を見極めることも大切なことと思います。それは絵相にもあてはまります。高貴な方として描かれることで普通と違うことを強調するのは尊敬の念だけではないのかもわかりません。

次回は。「伝絵」の「吉水入室」の段の話になります。ご興味のある方はご参加ください。※事前申込制ですので、詳細は高田本山のHPをご覧ください。