和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土和讃 弥陀経意1首

十方微塵世界の 念仏の衆生を見そなわし
摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけ奉る

全宇宙の中の念仏する人々を照覧なさって、その人々を救い取って決して捨て去ることがないから、その仏の名を阿弥陀とお呼び申し上げる

微塵は、微塵の数のように数えることもできぬ多くの世界
念仏の衆生は、他力の信を得て称名念仏する人々
阿弥陀は、梵名アミターバは無量光仏の意、光明は摂取の光明
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

念仏する衆生であるならば、ありとあらゆる世界のどこに埋もれていようとも、それをよく照覧して、おさめとってすてることがないから、阿弥陀と呼んでその仏をたたえるのです。
この1首は不思議なところで、もちろん『弥陀経』には「舎利弗、彼の仏の光明無量にして十方の国を照らすに障碍するところ無し。是の故に号して阿弥陀と為す」とあるのをうたったように見えるけれども、実は『観経』の「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」の文の方が近く、更に善導の『往生礼讃』の「唯念仏の衆生を観(みそなわ)し、摂取して捨てざるが故に阿弥陀と名づく」に、ぴたりと依っていられる点によくよく心を注ぎたいと思います。これは「観経意」と両方にまたがるところで、是非ともうたいあげずにおれなかった1首と見ます。阿弥陀の名を実に成立せしめるには、念仏の衆生がなければならぬというかねあいです。
摂取の左訓は、先の「大経意」第6首にも見えますが、ここはここでよく表現のできたものかと驚嘆を禁じ得ないところです。「おさめ、とる。ひとたびとりて長く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追わえ取るなり。摂はおさめとる、取は迎えとる」ものは衆生です。衆生自身は逃げているとの感知のもちようはないが、如来から見れば背き逃げているそのありようがあわれなのです。逃げるから追わないのではなしに、逃げるから追っかけて、ついにだきしめるのです。追っかけてゆこうではなしに追わえ取ったところです。どこまでも唯除の機の自覚をはらんでいます。

以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
※お寺勤めの時によく勤める和讃です。

【事前案内】5月18日午後3時から「お寺の講演会」を開催します

【事前案内】
1ヶ月後の5月18日(金)の「お寺の講演会」のご案内
5年前の平成26年5月18日に第1回の「お寺の講演会」を開催しました。未来の住職塾の松本紹圭塾長をお迎えして「これからのお寺」についてお話していただきました。平成27年は、ワークショップ「死の体験旅行」のファシリテーターの横浜市のなごみ庵の浦上哲也師にお越しいただき開催させていただきました。平成28年は東京浅草の緑泉寺の青江覚峰師にお越しいただき、「暗闇ごはん」の一部を体験させていただきました。昨年平成29年は宇都宮市光琳寺の井上広法師にお越しいただきました。そして今回は、京都の大行寺の英月(えいげつ)師をお迎えすることになりました。
【聴講無料】でどなたでもご参加いただけます。
多くの皆様のご来場をお待ち申し上げます。詳細はお寺にお問合せください。

【ご講師英月師の最新情報】
英月師の新刊が明日4月19日春秋社から『その悩み親鸞さんが解決してくれます 英月流「和讃」のススメ』が出版されます。

ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
05苦行の末に新しい道を(くぎょうのすえにあたらしいみちを)
すっかり衰弱しきったお釈迦(しゃか)さまは、「いま自分は、人の世の苦しみをのり越えるまことの道を求めて修業してきたが、こんな弱った体では到底その願いを成就(じょうじゅ)することはできない。体力をつけて健康を回復せねば、真理に到達することはできない。」ということに気づかれました。
そこでお釈迦さまは、6年にわたった苦行(くぎょう)を捨てて、新しい道に進もうと決心され、尼蓮禅河(にれんぜんが)に入って沐浴(もくよく)をし、体を癒して菩提樹(ぼだいじゅ)のほとりに休まれました。ちょうどその時、村長の娘スジャータが通りがかりました。スジャータは衰弱(すいじゃく)しきった中にもおごそかなお姿のお釈迦さまを見て、牛乳で炊いたお粥(かゆ)をささげられました。
そのおかげでお釈迦さまの体力は徐々に回復し、心の疲れも次第にとれて落ち着きがでてきました。そして、お釈迦さまは、今までの長い苦行を振り返りながら、ひとり静かな森の中へ入っていきました。
時代こそ違いますが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)もよく似た体験をしておられます。比叡山で20年間修業に励まれましたが、修行すればするほど煩悩にまどわされて、安心の生活ができませんでした。そこで、山を降り、六角堂に参籠(さんろう)され、その結果、吉水(よしみず)におられた法然上人(ほうねんしょうにん)を尋ねられ、「念仏より他に往生の道はない自分」に気づかれました。
お釈迦さまも、親鸞聖人も、いよいよ人間苦悩の世界を乗り越え、真実の道へと進んでいかれたのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

【高田本山山門の釈迦三尊仏】

4月のおてらおやつクラブ

4月は、昨年もご寄付いただきました「神戸スイーツ学会」からのバウムクーヘンが届きました。
・本企画は、普段洋菓子を食べる機会のない子どもたちに、美味しい洋菓子を食べてほしいというものです。お渡しするのは「子ども」限定とありました。
こうした企画が企業からおてらおやつクラブに持ち込まれるのは非常に有り難く、
いつにも増して子どもたちに笑顔を届けることができると思います。
このようなおてらおやつクラブの活動に賛同いただける企業様が増えることも大切なことと思っています。

妙華寺にもバウムクーヘンが届きましたのでお寺のお供えと共に、一人親家族様と支援団体様におすそ分けしました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

七高僧絵像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
七高僧絵像 1幅 江戸時代

本堂向かって右余間に掛けてあります。平成23年親鸞聖人750回忌御遠忌の時に修復しました。

七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)といいます。

龍樹 『十住毘婆沙論』の「易行品」・『十二礼偈』
天親 『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞 『無量寿経優婆提舎願生偈註』
(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)・『讃阿弥陀仏偈』
道綽 『安楽集』
善導 『観無量寿経疏』・『法事讃』・『観念法門』・『往生礼讃』・『般舟讃』
源信 『往生要集』
源空 『選択本願念仏集』

Processed with MOLDIV

 

【七高僧絵像】

 

天親菩薩②   龍樹菩薩①

 

曇鸞和尚③

 

 

道綽禅師④  善導和尚⑤

 

 

源信和尚⑥  源空聖人⑦

 

 

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)②

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)②
お寺の寺業計画のビジョンを具現化する取り組みとして ②お寺の文化の紹介を掲げました。未来の住職塾を受講した平成25年の4月に隣寺と同じ日に花祭り(メリシャカ)を開催し、スタンプラリーを開催したことからの発想です。これを所属の仏教会に広げて行くことができればと考えていましたが、所属の仏教会は休眠中で、個々のご寺院様へ趣旨を説明しましたが私(住職)の力不足でご賛同いただけずにいます。

Processed with MOLDIV

 

昨年4月から今年の3月までに7回【お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の伝統文化と親鸞聖人のみ教えに触れませんか?】という趣旨で『お寺で体験』と題した講座を日曜日の午前中に開講しました。10名ほどの方が受講されました。7回中1回葬儀が入り住職は参加できませんでしたが、改めて自坊のことを勉強する機会になりました。最終講で受講されました方のご意見をお聞きしましたら、「若い頃はお寺に興味がなかったが、年を重ねてお寺について知りたくなられた」ようです。このような機会を続けることができると良いのですが、住職と坊守の二人だけお寺を支えている今は、法務(年回法要などのお勤め)などのこともあり難しく、一旦休止して来年度に新しいテーマで開講できればと考えています。


また、お寺の文化については、それぞれのお寺にも魅力あるものも数多く存在すると思われます。さまざまな発信方法もありますので、この妙華寺の1回だけの取り組みではもったいないと感じています。地域の行事と連帯できることを含めて、所属の仏教会や組内にこれから働きかけていければと思います。

※3月の具体的な取り組みとして記載しました、お寺の新しいコミュニティへの取り組みは、まだ出来ませんでしたが、他の寺院で取り組まれていることを参考に今後も取り組みたいと考えています。

6日は組内の蓮性寺様の前坊守様の葬儀でした。組内法中として出仕させていただきました。前坊守様は102歳のご往生で多分組内の中では一番のご長寿であったと思います。坊守様としてお寺を支えられ、また長年小学校の先生をされていました教育者でした。組内の最長年のご住職様も前坊守様の教え子でいらっしゃいました。私(住職)は小学生の時に、学年担任ではありませんでしたが前坊守様も先生として学校にいらっしゃり気にかけていただいていたことを卒業後に知りました。また地元の小学校でもお勤めをされておりお同行の皆様も教えていただいた方がたくさんいらっしゃるようで、弔辞を述べられた前総代様も教え子のお一人でした。
40年ほど前から組内の報恩講で蓮性寺様へ出仕させていただくようになってからも前坊守様にお会いさせていただいていました。これまで長くご聴聞され坊守様としてお寺を支えていただきありがとうございました。

また、お同行様の葬儀もありました。ご往生された方は私(住職)と30歳ほど年が離れていましたが、公民館活動で3年間一緒に学ぶ同期の方でした。手先が器用で趣味の1つの伊勢型紙の作品は見応えあるもので市の文化祭などでも賞を何度もおとりになっていました。

また、関東在住の父方のいとこ夫婦が古都への旅行の途中に立ち寄る日でしたが、私(住職)はお寺に居ませんでしたので、坊守や前坊守(母)に迎えていただきました。

「忙」①心が落ち着かない。あわてる。②いそがしい。多くの用事に追われて時間がとれない。

1日にいくつもの大切なことが重なりますと、時間が十分とれませんので、心に余裕がなくなりあわてたりします。お同行様の葬儀を蓮性寺様の葬儀に出仕するので午前中にしていただき、灰葬・初七日を午後3時からにお願いしたり、蓮性寺様には、葬儀が終わるといち早く自坊に戻らせていただいたり、いとこ夫婦には会うこともできず、知らないところでご迷惑をかけている自分でした。

登録有形文化財トレーディングカードについて

登録有形文化財トレーディングカードについて
一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
是非、現地にお越しいただき実物を見て、庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。また、三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
高田派門徒にはとても親しくしている和讃の一つです。

浄土高僧和讃 天親菩薩3首

本願力にあひぬれば むなしく過ぐる人ぞなき
功徳の寶海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

弥陀の本願に出遇うと、かいもなく終わる人は一人もいない。名号には功徳が海水のように満ち満ちているから、欲望に汚れた水も、差別なく同化してしまう。

本願力は、我々を救わねばおかぬという、第18願の広大な働き。
遇うは、『一念多念文意』に「遇は まうあふといふ。まうあふと申すは本願力を信ずるなり」とある。「ぬれ」は完了「ぬ」の已然形。確定条件である。
むなしく過ぐる人ぞなきは、『一念多念文意』に「むなしく過ぐる人なしといふは、信心あらむ人、むなしく生死にとどまることなしとなり」とある。救われない者はなく、必ず浄土へ生まれるということ。
寶海は、名号を宝の海にたとえる。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

如来の本願力をよくみて、これに遇いたてまつる眼を与えられ、信ずることのできた人には、生死にとどまり人生を空過(くうか)することがなくなります。本願念仏の功徳は、宝の海のように満ちあふれて、煩悩の濁った水も、満々たる宝海の中へ、へだてなくきらわず、融かされていきます。
これは『浄土論』の、「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、能く速やかに功徳の大寶海を満足せしむ」に当たりますが、「能令速満足」は次の第4首にまわります。
『尊号真像銘文』には、「観仏本願力遇無空過者といふは、如来の本願力をみそなわす願力を信ずるひとはむなしくここにとどまらずとなり。能令速満足功徳大宝海といふは、能はよしといふ、令はせしむといふ、速はすみやかにとしといふ、よく本願力を信楽する人はすみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人のそのみに満足せしむるなり。如来の功徳のきわなくひろくおほきにへだてなきことを、大海のみづのへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり」と述べられますが、86歳の高齢を考えますならば、信心表現のきわまりでしょうから、重く読みたいと思います。
本願がもし無いということならば、煩悩成就のわれらとしては酔生夢死に終わることもいたし方のないことですが、われらをたすけんがために本願力がこちらへ迫っているのですから、本願に遇わないことは、こちらの罪です。この身が空過するならば、本願のご苦労を徒労に帰せしめます。それこそはからざる大罪となります。『入出二門偈頌』に、「かの如来の本願力を観ずるに、凡愚遇うて空しく過ぐる者なし」と述べますように、遇うのは凡愚です。凡愚こそどうしても本願に遇うべき約束づけられていることを知ります。凡夫のたすかるのには如来の方から大きな力が要ります。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

東日本大震災から7年

東日本大震災から7年
今年は日曜日に当たり朝からお同行の皆様の年忌法会が続きました。
東日本大震災の日のことをお聞きしながら、それぞれの中で忘れられない一日があるようです。13回忌の命日の方のお勤めでは、12年前の3月11日がそのご家族では「忘れられない日」としてあるようです。大切な方とお別れするのはとても悲しく苦しいことです。「忘れられない」現実を直視してどのようにこれからの人生を歩んでいくかすぐには答えはでないと思います。時間の経過の中でこれまで気づけなかった思いに気づいたり、亡くなられた方のお年に近づき気づくことがあったり、大切な方との新しい関係を築いていく時間でもあるように思います。