【報告】7月のお盆

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【報告】7月のお盆
妙華寺では地区を分けて7月と8月にお盆勤めをしています。今年は6月中に梅雨明けでしたが7月のお盆は、例年と同様に雨を気にしながらのお盆でした。

7月のお盆勤めをお手伝いしていただいています3名の僧侶がいてくださることで例年お盆お勤めができることに感謝しています。

今年のお勤めの後の話題は、やはり新型コロナウィルス感染症のことでした。お盆中に三重県のこれまでの感染者数の更新もあり感染拡大の傾向ですが、2年前や昨年とは違い、それぞれが感染対策や新しい生活様式の実践もされていますので、やみくもに怖がることはなくなっています。高齢者の4回目のワクチン接種もはじまりましたので、もう一度感染対策などしっかりと実践していきましょう。

また今回は、お盆中に葬儀が入り、一部の方に例年の時間にお勤めができずご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。

1年に一度の訪問してのお勤めですが、対面でお会いできる貴重な時間であることを感じています。
毎年でありますが、お仏壇を何代にも渡りその家で大切にされてきたことに頭が下がります。

地区を区切って日にちを指定してのお盆のお勤めですのでその日の予定でご都合がつかない場合は、前もってお知らせいただきますと、お墓でお盆勤めをさせていただいています。お盆の期間中は、ご遠方のお同行様へも出向くことが難しい為、ご連絡をいただきますと前後の日になりますが、本堂やお墓でお勤めをさせていただいています。
ご都合のつかなかった方の墓前で12日の午後から時間がある時にお勤めをしております。

 

【報告】お世話会

【報告】お世話方会 親睦会
斎米料を集金していただきお礼も込めて親睦会を開催しました。6月にしては蒸し暑くエアコンを今年初めて使いました。
その中でお世話方様同士でいろんな意見を出し合っていただくことになり、住職はお聞かせいただくだけの形を取りました。お世話方様のいろんな思いや、意見をお聞かせいただく貴重な時間でした。

お世話方さんの役割についてや、今後、これまで通り、お世話方様の役を引き継ぐことができていくかが心配ごとの1つであります。
この15年間ほどで、お世話方様がいらっしゃった地区が28から21に減っています。
お世話方様の役割を、自治会の役員様の活動と同じように捉えていますのでコミュニティの希薄さからくるものだと考えています。
ただ、自治会の活動とお寺のお世話方の活動(役割)が違うとのご指摘もあり、考えて見ますと、自治会では隣人同士の地区のご奉仕ですが、お寺では隣人同士へのご奉仕にプラスして仏様(阿弥陀さま)へのご奉仕が含まれていることが違うのかと感じました。

また、多くの場合、お世話方様を経験された方が亡くなられると、次の代の方にお引き受けしていただいています。これはこれまでの家制度があって成り立っていたものとのご指摘もあり、今の家族形態では今後お引き受けしていただくことが難しいとのことも頷くことでした。
※3世代家族が1つの家で生活する中でお仏壇のお給仕やお寺とのつながりを祖父母や両親の背中を通して引き継がれていましたが、核家族の生活では、実家に帰られた時だけお仏壇に手を合わされているだけではお寺とのつながりは育まれません。

これまでの家制度の上で運営しているお寺の活動は、お世話方制度を含めて組織的には破綻すると思われます。かと言って個人単位に移行ができるかと言うと相当長い時間の単位が必要であると思います。

また、私たちの人間関係は人格(キャラクター) によって合う合わない・好き嫌いは対人関係としてはどうしても存在します。お寺の中の人間関係(住職・寺族・お同行)もそうであっても、お寺の本来の役割は、仏さまと私(人間)の関係であろうと思います。仏さんの教えを人間関係の人格によって合う合わない・好き嫌いに置き換えることではないと考えます。信じる教えが合わない・嫌いと感じるのであれば、そこには、信仰の自由が保証されていますので、お寺を離れる選択肢はあって当然だと考えます。

ここからは、私(住職)の勝手な思いです。
お寺についての思いや意見をお聞かせいただきながら、
ただ、その前に本当に私自身が、「み教え」を聴いてきたのかを省みたいです。
お寺の行事のご法話を1度や2度ほど聴聞したけれど何を言っているかさっぱりわからない。親鸞さんの書かれた本の解説本を何冊も読んだけどさっぱりわからない。
ご法話をお聞かせいただきたいけど、お寺の敷居が高くて入っていけない。
それらが重なり合って、お寺に行くよりは、もっと楽しいことが他にもいっぱいあるのでお寺には行かなくってよい。
悲しいけれどそれが現実かもわかりません。1度や2度真剣にご法話を聴いても、親鸞さんの本を読破しても、「み教え」はわからないと思います。現代の学びのような形態(知識重視)ではなく、自分の人生をかけて聴いていく、読み続ける。そして、同じことを学び合う同朋(とも)と語り合うことがあって、「み教え」が私のなかで働き、育まれて、はじめて私の心境が変わっていくのだと思います。その中で自分が信頼できる師に出遇うことができれば、さらに喜びがわいてくるのではないかと感じています。

【報告】6月のTemple Morning

【報告】6月のTemple Morningは19日でした。前日とは打って変わって朝から暑さを感じる中で5名の方にご奉仕していただきました。ありがとうございました。次回のTemple Morningは、9月18日に予定です。

残念な気持ち いやがらせ? マナー知らず?

残念な気持ち いやがらせ? マナー知らず?
お寺の境内の美化にご協力いただく皆様がいらっしゃると同時に、最近、境内に犬のフンをそのままにされている方がいらっしゃいます。
寺社の境内は神聖な場所として、ペットなどは入らないという伝えがありますが、今の時代では、そのような考え方に凝り固まるのもどうかと思っていますので、ペットと一緒にお墓詣りをされる方をとがめることもしていません。
ただ、最低限のマナー(犬のフンは持ち帰る)はお守りいただきたいと思います。

これまでも、お墓のお花を処分するのにお困りの方は、庫裡(くり)近くに備えてありますゴミ箱に入れていただければ、お寺の方で処分をしています。ただ、残念なことにお墓や水屋、境内の出入り口近くに置いていかれる方もあります。

他者に対する配慮が足らないたった一人の行為が、境内の美化にご協力いただく皆様の目にどのように映し出されているのか考えてしまいます。

今年に入り、お墓のお地蔵さんのさい銭を、自分のサイフに入れる方がいらっしゃるようです。いろんな事情があると思いますが、浄財として、お地蔵さんに手を合わせられた方々のお気持ちも察していただくことができれば有難いです。

【報告】法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会 

【報告】22日の法苑院 妙華寺の親鸞聖人ご誕生850年、並びに立教開宗800年の奉讃法会は、無事お勤めさせていただくことができました。ご賛同をいただきました皆様・テント設営や、五色幕・幔幕など力仕事をご奉仕されました総代・世話方様。畳掃除や境内の清掃にご奉仕していただきました婦人会の皆様・お同行の方々、当日のご奉仕いただきました総代・お世話方・婦人会の皆様、そして当日長時間お聴聞をいただきましたお同行様のお力をいただきましてお勤めすることができましたこと重ねてお礼申し上げます。

また、ご講師先生も大分県から、コロナ下で3年越しにお越し下さいました田畑正久先生。栃木県から5年ぶり2度目の井上広法先生、高田派で近くではありますが、およそ3年間、妙華寺の「選択本願念仏集」掛軸を調査していただきました、清水谷正尊先生の3方の先生に出講していただき、豊かな時間をすごさせていただきました。

早速、メールにて感想をいただいたり、心地よい疲れの中で、余韻を楽しんでいます。

当日、ご参詣いただけなかった方々に、今回の行事は、ライブ配信の動画が「妙華寺TV」に
残っています。編集もしていませんが、当日の一部をご覧いただけます。

 

 

【挨拶】

本日はご多用の中、法苑院妙華寺の親鸞聖人ご誕生850年、並びに立教開宗800年の奉讃法会にご参詣いただきましてありがとうございます。
ちなみに真宗高田派の本山では、来年(令和5年)5月にお勤めされます。

親鸞聖人がお生まれになられたことをお慶びする法会を、お釈迦様のお生まれを喜ぶ法会と同じように降誕会(ごうたんえ)と呼んでいます。

また、親鸞聖人のご著書『顕浄土真実教行証文類』を著された元仁(げんにん)元年(1224)を立教開宗の年と定めて800年になりますことも共にお慶びさせていただきます。
私たちが、親鸞聖人のご誕生を喜ばしていただくことは、親鸞聖人が阿弥陀如来の願いに、法然聖人の教えを通して、出遇われたからです。
古い時代では、それほど生まれた日(誕生日)に重きをおかなかったと思いますので、誕生(お生まれ)をお祝いをすることは少なかったようですが、明治時代から降誕会としてお勤めが始まっています。

親鸞聖人が法然聖人に面授し、阿弥陀如来の願いに出遇われ、その道を歩まれたことは確かです。
法然聖人の著された『選択本願念仏集』(浄土宗の立教開宗の書)の書写を許された喜びは大変なものでありました。

その後、法然聖人の教えから『顕浄土真実教行証文類』を著し、晩年まで推敲を重ねておられました。

そして、大きく時代は下がりますが、法然聖人の『選択本願念仏集』を絵画で表し、掛軸として、多くの方々に説かれる場があったことを想像しながら、法苑院妙華寺の親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年の奉讃法会を皆様と一緒にお勤めさせていただきます。

令和4年5月22日
法苑院 妙華寺 中川 和則

前住職の13回忌


前住職の13回忌を、命日の14日に相導師様・親戚法中様と共にお勤めさせていただきました。
前住職が往生した日、私(住職)は、高田本山の御影(みえい)堂の落成慶讃法会の初日で、高田本山に着いて間もなく病院から電話があり、急遽戻りました。ちょうど、本堂の改修時で仮本堂の妙華寺会館での葬儀になり、多くの皆様に窮屈な思いをさせてしまったことを思い出していました。あれから12年、前坊守も往生し、前住職の娘(私の妹)・前住職の姉兄や従兄弟も浄土へ往かれました、浄土が賑やかなようにも思います。

普段、ゆっくりお会いできない親戚の方々と思い出話ができましたこと貴重な時間でした。

【報告】春千部会お勤めしました

【報告】春千部会
昨年に続いて、今日は、あいにくの雨で足もとの悪い中でしたが、ご参詣いただきありがとうございました。法話は義明寺の高藤英光師で、高田の千部会についてお話いただきました。お寺が続く限り往生された方の法名を西余間に掲げてお勤めさせていただいていますが、どのようにお感じになりますか。この世でいのち終わった時、直ちに往生(浄土に生まれる)する身ですので何も心配はありません。この私が往生できる身であるか心配されているのです。お念仏申すことの本当の意味を、「聞法」を通して我が身にいただいていく機縁であります。

引き続き、お世話方様にはマスク着用・手指の消毒・検温にご協力いただきながら、妙華寺会館も感染防止対策としてテーブルに仕切り板を設置し、世話方会も開催させていただきました。
集うことを通して、これからのお寺についてお世話方様から直接お声をきくことができることはありがたいことですが、年1度の総会の中で意見交換ができることほんの少しのことであります。
もう少しカジュアルな場も考えて、ご意見交換ができるように考えていくことにすることになりました。

【報告】Temple Morning

【報告】4月17日は今年最初のTemple Morningでした。始める前に記念撮影をするとパラパラと雨を感じましたが、少し経つと止みました。3日前から雨が降ったり風が強かったりで境内のクスノキの落葉が多い中、参加者6名の皆様できれいにしてくださいました。ありがとうございます。
次回は、5月15日の午前8時からおよそ1時間です。大きな行事の一週間前です。よろしければお手伝いください。

メリー釈迦

今年のメリー釈迦(花祭り)は風も無く暖かい春うららかな2日間でした。
毎年、お花をお持ちいただく方が最初に、誕生佛に甘茶を濯いでいただいています。
昨年まで、新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止の為、甘茶をお飲みいただくことは控えていましたが、今年はご希望の方へお飲みいただくようにしました。

紀元前560年ごろの春、父をカピラバストウ国釈迦族の王スッドーダナ、母をマーヤー妃として4月8日朝、生まれられたのがシッタルダー太子、後のお釈迦様であります。
マーヤー妃は当時の習慣により、お産のため実家に帰る途中、保養に立ち寄ったルンビニーという美しい果樹庭園で急に産気付き、太子を出産されたのですが、このお産に無理があったのか、太子を生んでわずか7日後に、母マーヤー妃は世を去り、太子はマーヤー妃の妹であるマハージャパテイに養育されました。
このマーヤー妃の不幸と、生母を知ることなく生まれ育つことになった幼い太子の心を痛んで、清らかな伝説が生まれました。
それは「マーヤー妃が今を盛りと咲き誇る 無憂樹(むゆうじゅ)の赤い花を手折ろうとその手をあげたとたん、妃の腋の下からお釈迦様が誕生された」と言う伝説です。
 この伝説と共に、もう一つ有名なのが、お釈迦様は生まれてすぐに右手を上げて天を指し、左手を下げて地を指して真っすぐに立って、そのまま東・西・南・北・上・下の六方向に向かって7歩進み、「天上天下唯我独尊」と言われたという伝説です。
この伝説も又、信仰心のゆえに後世の仏弟子達によって創られた話でしょう。
しかしながら現在、この「天上天下唯我独尊」の意味を取り違えている人が意外に多いのです。
それは「唯我独尊」という文字をそのまま受け取って、他人と自分をくらべて「自分ひとりがこの世で1番尊い」ということではありません。
「天上天下唯我独尊」の本当の意味は、「他人であれ、自分であれ、人間としてこの世に生まれ出て来ることができて、しかも生命が今自分に宿っているということは、何ものにも代えがたい尊い事実である」と言う意味で、ひいては、「この世のすべての生きとし生けるものすべてにやどっている生命1つ1つが等しく尊い」ということをお釈迦様は2500年前にさとされたのであります。

 

【報告】春彼岸会お勤めしました

【報告】春彼岸会
昨日まで寒さが戻っていましたが、21日は、少し暖かい一日になりました。今回の春彼岸会は三連休の最後の日。遠方からお墓参りに見える方にお聞きしますと3日間ともそれほどの混雑はなかったようです。今回も遠方からお越しいただきました方や、私(住職)の代になって初めて、3代(お母さん・お嫁さん・娘さん)で、法話の最後までお聞きくださった家族もあり、とても有難い時間でした。
13時30分からお勤めの後、ご法話を浄泉寺の戸田栄信師が「死んだらどうなるの」と題して、ご自身の体験を通してご法話をされました。
お釈迦様は、どのような「死」に方もそのままを認めています。「死後」については何も語られてはいません。
私(住職)も「死後」については不安であったり、どうしてお釈迦様は何も語らなかったのか不思議でもあります。
浄土の教えでは、阿弥陀如来が、私の「いのち」を必ず救うと誓(願)われ、「まかせよ」と仰っています。そのことに頷くことができれば、必ず「往生(おうじょう=往って生まれる)」することができるのです。私の「死後」の不安はなくなるのです。
そのようにお聞かせいただきました。
※中川御仁の感想です。