人手不足

人手不足
私(住職)が社会人として働いていましたのは、大学卒業後34歳まででした。その後は、お寺の僧侶として、住職となり対面してお話をする方は、檀家さんの年配の方が多く、今の時代を語ることも、高齢者視点の話題がほとんどです。

先日、生活者(現役サラリーマン)と話す機会を得ました。話題は、人手不足でした。
人手不足について新聞やテレビから得た情報しかありませんでしたが、企業にとってはとても深刻な状況だそうです。確かにスーパーのレジでセルフレジが増えたことや、チェーン店などでのパネルタッチの注文、順番待ちの案内もAIが担当など私(住職)も経験したことがあります。他にも、ビジネスホテルでは、オンライン予約で支払いも完結し当日現地(ホテル)のチェックイン・チェックアウトは無人のホテルや、機械が全て作業する無人の工場もあるそうです。最先端の銀行窓口受付では業務内容が複雑でも無人の店舗もあるそうです。以前は、集客を前提にしていた店舗展開も、今は、集客を前提にしない店舗づくりであったり、完全予約制で、人手不足を補っているそうです。
人手不足から発生する企業のM&A(企業合併・買収)も活発であるようです。
今の日本社会の一面を教えていただきとても刺激をいただきました。

宗教法人としてのお寺で感じるのは、お寺の行事に参加される方が少なくなっていることは、お寺に関心を持つ方が少なくなっていることが1つの要因でもあります。
魅力的な行事であれば参加される方が増加することは確かではありますが、企画や運営を一寺院だけの寺族や檀家さんだけで運営することにこれまで可能であったことが難しくなってきたようにも感じます。お寺に関心をもつ賛同者(生活者)を育てていく必要があるように思ったりします。
また、人手不足の一面から論じることは不適切ですが、法人としての経営がなりたたない寺院が多く、宗教法人の解散であったり、合併については真摯に向き合っていかなければいけないと感じました。

※中川個人の感想です。

真宗入門講座③

真宗入門講座③
今期の真宗入門講座は、高田本山専修寺の「一光三尊仏絵伝」の紹介です。
3月25日は、第3幅の紹介でした。
第3幅は、本田善光(よしみつ)が主人公で、難波の川底に捨てられた仏(一光三尊仏)を、居住する信州へ運び、息子の死など苦難に遭いながら、一光三尊仏のはたらきで、息子が生き返ることや天皇に認められるなどして、善光寺を創建することができた場面です。

全国に流布する「善光寺絵伝」としては、この3幅の物語で終わるわけですが、高田派では、時代が下って、親鸞聖人が、善光寺式の一光三尊仏を本寺の本尊とする物語が続きます。

善光寺の一光三尊仏と親鸞聖人の関わりについて史料は見つかっていません。
しかし、親鸞聖人の流罪が許されてから関東に赴いた行動に、善光寺(聖)の関わりを指摘する歴史学者や真宗史研究家もいらっしいます。特に高田派の本寺の本尊が一光三尊仏であることに想像力がはたらくのかと思います。

史料がなく、親鸞聖人の生涯のわからない部分を伝承で補って語ることをどのように捉えるかはそれぞれの意見があると思いますが、私(住職)は、豊かな表現と感じます。

※中川個人の感想です。
※次の一光三尊仏御開扉法会は2030年。後4年後に近づいてまいりました。

読書

読書
私(住職)の読書は、中学校時代から始まりました。純文学や歴史文学にはあまり興味なく、中高は、海外ミステリを好んで読んでいました。大学生から30代頃は、日本のミステリや五木寛之氏の本を読んでいました。僧侶としては、真宗関係の書物を拝読していました。大好きなミステリでも、手に取らない本と手に取って読む本があるのはどうしてか。真宗関係の書物も手に取る書物を無意識に選んでいるのはどうしてか。

他にも関心がある、心理学やエッセイなども選別しているのはどうしてか。
とても気になります。一度手にして読むことで、心がうれしく感じられた作者の本は、次に出版する本も手に取ってしまうことが多いです。
自分の中にある考え方に刺激を与えてくれたり、賛同できる本を求めているのだろうか。

そう思うと、自分の嗜好のものしか受け付けない状態なんだろうか。
同じことは、色んな情報を得る時にも感じます。自分の考えている(好んでいる)情報を選び取りながら自分の考えの中に取り入れている状態をどう考えたらいいのでしょうか。

少し、考えさせられます。
ただ、最近は、関心がある本を手にしても読み切るのに時間がかかるようになりました。
「積ん読」書物が増えることは避けなければいけないのにと思いつつ。

※中川個人の感想です。

TV「ようこそ 地獄ワンダーランド」

TV「ようこそ 地獄ワンダーランド」
先日、TV番組で「ようこそ 地獄ワンダーランド」を拝聴しました。
私(住職)は、「地獄」について、理由があるわけではありませんが、関心があります。
2017年に龍谷ミュージアムで「地獄絵ワンダーランド」展があり、2025年三重県総合博物館で「地獄へようこそ」展があり共に拝観していたこともあり興味深い番組でした。
日本古来の死後の世界観は、生きているこの世と同じように、善人も悪人も一緒の場所である黄泉の国の世界観から、悪人だけが行く地獄(六道輪廻)へ変化することや、どうして、地獄図のリアリティが、時代が下ることで、コミカルに変貌していくのか、また仏教の地獄とキリスト教の地獄の違いの紹介もありとても有意義な時間でした。
キリスト教の煉獄思想が生まれた頃、牢獄が生まれたことや、「免罪符」についても初めて聞くことでした。
どうして、私たちは、「浄土」や「天国」より「地獄」に関心を示すのか、識者の意見にもなるほどと思うこともありました。
もう一度、仏教の「地獄」を通して「浄土」を考えてみたいと思っています。

※中川個人の感想です。

【報告】春彼岸会 

【報告】春彼岸会
今年も20日は、穏やかな日になりました。
遠方からお越しいただく方、歩くのがご不自由でタクシーで駆けつけていただく方、初めて法話をお聴きいただく方、毎回の法話を楽しみにお越しいただく方などご参加いただきありがとうございます。毎年のお寺の行事ではありますが、同じことはありません。まさに一期一会の時間です。1つの場を共有して感じる経験は、人生をより豊に感じることと思っています。

お勤めの後のご法話は、浄泉寺の戸田栄順師で「摂取不捨」と題しての法話でした。

「摂取不捨」は、阿弥陀仏が、念仏の衆生を光明の中に摂め救い取って、決して捨てないことです。【浄土真宗辞典】
真宗の大切な教義理解が必要な部分を、ご自身の経験もふまえてお教えいただきました。
真宗の「み教え」を私ごとと捉える縁に遇えることが、とても有難いことですね。
※中川個人の感想です。
まだ、法話を聴く機会が無い方、もし時間に都合がつきましたら、ご聴聞いただければと思います。

古希

古希
振りかえるとあっという間の70年のように感じます。
誕生月に入ると、「健康保険高齢受給者証」が送られてきました。病院で受診する時、保険証(マイナ保険証)と一緒に提示するそうです。
65歳の時は「介護保険証」が送られてきて驚いた記憶があります。
また、調べると、70歳から車に「高齢者マーク」を表示することが努力義務(自転車運転にヘルメット着用と同じ)とあり、どうするか迷っています。

お茶の世界では、還暦や古希に自らお世話になっている方々(師匠や茶友)を招いて茶事(茶会)をすることがあります。私(住職)も10年前の還暦の時は、親しい方々をお招きしました。今年の古希も考えていましたが、昨年夏に変形性ひざ関節症で、座ることができなくなり断念することになりました。

歳を重ねるとできなくなることが増えていくことは承知していましたが、残念な気持ちも残っています。

いつまで、これまでのように活動ができるかわわかりませんが、お付き合いをお願いしたいです。

※中川個人の感想です。

明日20日は、妙華寺の春彼岸会です。13時30分からお勤めが始まり、14時頃から15時頃まで、浄泉寺の戸田栄信師の法話がございます。ご都合がつきましたら、ご参集ください。

法事

法事
法事は、冠婚葬祭の1つ先祖を祀ることと考えられています。
真宗では、故人を縁として仏法に遇い、阿弥陀仏の恩徳に報謝し、お勤めをする。と意味づけしています。
今年は、前住職の17回忌・前坊守の7回忌の年です。

檀家さんの法事の形も、時代によって変わってきていますので、私(住職)が紹介する法事のあり方は、前住職や前坊守から伝えられた昭和の最後の頃の姿と考えてください。

法事は、故人を一緒に偲ぶ場に集っていただく方々がいらっしゃることが前提になると想います。もちろん私一人が故人を偲ぶことになる場合もあります。

法事を迎えるにあたっていろいろな準備があります。
一番最初に日時を決めることですが、命日に近い日で土曜日・日曜日で考える場合、親戚寺院には、それぞれの寺院の予定もありますので、案内状を発送する前にお伝えしたほうが良いと思っています。
当日にお越しいただく方の控室の準備や接待(おもてなし)する湯茶道具などの準備があります。
大人数でありますと、家族以外で、手伝っていただく方を依頼したりします。
また、集まっていただいた方へ手落ちがないよう「志」の準備や、食事の準備などしていますが、当日を迎えると予期せぬことが起こったりするのが現実です。

30年以上前の法事では、このような形が多かったと思いますが、家族(遺族)の負担や、親族との関係性の変化(希薄化)から、家族(遺族)が、ゆっくり故人を偲ぶことを選ぶと、今の形に変わってきているのだと感じます。

※昨年5月5日のブログでお寺のHPでも「法事」について、今回とは違う視点で取り上げています。

※中川個人の感想です。

年忌 真宗では、故人を縁として仏法に遇い、阿弥陀仏の恩徳に報謝し、お勤めをする。【浄土真宗辞典】

愛でる

愛でる
季節を感じる
3月も中旬を迎える頃は、暖かい日も増え、花粉症の症状があると厳しいですが、外出する機会も増えてきます。また、卒業・就職などの準備や、年度末であわただしい時期でもあります。一ヶ月前の2月はまだ寒くて、年に一度くらいの雪が積もったりしていたのに、不思議ですよね。久居で生まれて70年にもなるのに毎年季節を感じているのですが、季節を楽しむ力は衰えているように思えます。

寒い時期の雪を楽しんだり、暑い夏を楽しんだりできたのは、10代や20代の頃が一番楽しんでいたように思うのは、歳を重ねたせいでもありそうです。

私(住職)が「愛でる」の言葉を知ることになったのはいつからだったか定かではありません。10代や20代の頃は、そのような言葉を知らなかったのは確かです。歳を重ねて感じる言葉なのかもわかりません。
季節の花を愛でる。自分の感性にかなった物を愛でる。そこには、対象を大切に思う心があるように思います。毎年、咲く梅や桜は、毎年同じではないと感じるとはかなさにも心が動きます。「一期一会」を年々感じることで、生きている意味をもう一度振り返りたいと思います。

※中川個人の感想です。

【案内】春彼岸会は20日午後1時30分からです

【案内】
讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」とおっしゃってみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。

法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

3月20日(祝・金)午後1時30分からお勤めをいたします。
浄泉寺の戸田栄信師のご法話がございます。
 妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

 

東日本大震災から15年

東日本大震災から15年
年々、時間が経過するのは早いと感じます。今年も3月11日になると東日本大震災を思い出します。遠く離れた場所で起こった地震災害ですが、当日の私(住職)の行動は覚えています。自分の中で、テレビで初めて見た状況に言葉はでることはありませんでした。
多くの方が被災地でボランティア活動を開始する頃に自分に何ができるのだろうと考えるととても無力であることに気づかされていました。

被災者の皆様が過ごした15年の思いと私(住職)の過ごした15年の思いは、時間が経過していく中で、思いの距離が離れていていくような感じもあります。
それでも、忘れないことと、念じること。そして、これからの備えは続けていきたいです。

※中川個人の感想です。