【案内】8月の日曜学校は、8月3日の朝7時30分から8時頃までです。
暑さがピークを迎える時期です。体調管理にご注意ください。。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

【案内】8月の日曜学校は、8月3日の朝7時30分から8時頃までです。
暑さがピークを迎える時期です。体調管理にご注意ください。。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

外見評価と内面評価
「ルッキズム」 外見に基づいて人を評価したり、差別する考え方や社会現象。
私は、外見で人を評価しているのか。内面の評価が正しいのか。難しい問題です。
「あなたの好みの人はどんな人」なんて聞かれた時、どう回答しますか。
私(住職)は学生時代俳優の岡崎友紀のファンクラブに入っていました。
50年以上のことで、ファンとタレントの距離は今に比べてとても離れていましたが、今で言う「推し」になるのでしょうか。 いつしか、ファンクラブも退会していました。
人と関わる中で、ずーと友達付き合いをしていたのに、その人の内面(本心)を垣間見る時もあります。そして、距離を取ってしまうことも経験しました。
ただ、私の都合でのことかもわかりません。
本当の内面(本心)など他者にわかるはずがないのではとも思っています。
「学生として」「社会人として」「●●として」のイメージは、全て私の中の「学生」「社会人」「●●」のあり方があり、それと比較しながら「今の学生」「あの社会人」「●●らしくない」など判断してしまう私がいます。
対面して話をする時も、外見を評価し、内面も自分に都合の良い評価する私がいます。
仏教では、あらゆる「いのち」は平等と説かれています。外見や内面を気にする私(住職)にあらゆる「いのち」を平等と捉えることができるのかとても考えさせられます。
※中川個人の感想です。

【報告】 初盆総回向
7月の初盆のお勤めが終わりました。妙華寺では初盆の最後のお勤めを初盆を迎えられましたご家族の皆様と一緒にお勤めしています。
例年に比べ少ない初盆でしたが、暑い中、お集まりいただきました皆様にはお礼申し上げます。
お勤めの後、、「高田派の平素のお給仕」のビデオを視聴していただいています。今回、器具の不具合で視聴していただくことができず、資料を配付してお話させていただきました。ご自宅のお仏壇の作法を改めてご確認していただいています。
また、いつも初盆の方の法名を余間に安置しています。その余間には、「南無不可思議光如来」の九字名号と「帰命無量盡十方無碍光如来」の十字名号が掛けられてあります。
共に「南無阿弥陀仏」の名号の別号でありますので、「倶会一処」のお浄土に、一緒にいらつしゃるお姿と見ることもでき、可視化の一方法であるようにも感じています。

仏徳讃嘆
何時の時代でも、争い事が絶えません。それぞれの主張は正義であっても、対する立場から見れば、正義では無く争うことになるのだと感じます。冷静に、落ち着いてと言っても、双方が他者の立場を理解できなければ、かわることはないように思います。
私が生きていく上の欲望は無くなることはありません。
取り巻く状況は同じでも、「私とは」と内面を省みることができるのであれば、もう少し、他者のことも考えることができるのではないかと希望的な思いがあります。
私は、仏(阿弥陀如来)が(私に成り代わり仏の修行をしてくださいました)徳で往生できる身になることができました。仏徳讃歎する生活を送ることが、心平穏になることとなりました。このような言葉を聞くと驚かれるかもわかりませんが、仏法を聴聞していくと、自分自身が変わっていくのだと思います。いつも、自分の「ものさし」からしか考えられない私が、仏様の「ものさし」によって変わっていくことができる。とても有難いことです。
このことから、真宗寺院では、お寺の行事や法要の場で仏徳讃嘆しています。
「おかげさま」であったり「有難い」の言葉は、仏の徳をいただいて初めて感じる世界ではないでしょうか。
※中川個人の感想です。

六曜
今もカレンダーに記されている「六曜」があります。
「六曜」を冠婚葬祭の日で気になさっていますか?
私が生まれた昭和の時代では、葬儀は「友引」にしないことが共通認識でした。その為、火葬場の休日であったり、僧侶の参加する会議などが、「友引」の日に設定されることが多かったような気もします。平成から令和の時代になると急速に「友引」に葬儀をしないことを、あまり気にされることではなくなってきました。今では、多死時代に入ったようで、火葬場も年末年始を除いて稼働しているところが多く、火葬の時間を決める(押さえる)ことから葬儀の日時が決まってくることも影響しているのかもわかりません。
もちろん「六曜」を気になる方もいらっしゃいますので、対応はしています。
冠婚の部門ではまだ「六曜」を気になさる方は多いように感じます。
※中川個人の感想です。

造花
お仏壇やお墓の花を「造花でもよろしいですか」とおたずねが増えています。
造花について、調べると外国でも日本でも随分以前から考えられていたようです。
切り花は、育てるのに手間がかかるのと、愛でる時間が限られていること(はかなさ)から、手間がかからず、見た目も長い間良好であることが、技術的に可能になり今は手軽に楽しめることから増えてきているのだと思います。
また、切り花として栽培することも難しい植物は、造花は貴重な存在になっているのでしょう。
自宅や公共施設・ショッピングセンターなど多くの場所で観賞用として私たちの目を楽しませています。
私たち人間の願いから生まれてきたものです。
お仏壇やお墓の花もその延長上で考えれば、造花でも良いのではと個人的には思います。
ただ、お仏壇にお花を供える意味を考えるとどうでしょうか。
私たちの目を楽しませる為にお供えをしているのでしょうか。
お仏壇の荘厳の1つである花は、三具足の1つです。三具足は、燭台・香炉・花瓶で、燭台のローソクは、仏の智慧(光)・香炉は仏の教え・花瓶の花は仏の慈悲を象徴しています。私たちは、感覚として、仏様にローソクや香・花を手向けていますが、
本当は、仏様から私たちへ手向けられたものが三具足であります。
本来の意味を理解しながら、考えてみようと思います。
三具足の1つローソクも今は、電気式や電池式も多くなっていますね。
※中川個人の感想です。

【報告】7月のお盆
妙華寺は地区を分けて7月・8月にお盆勤めをしています。
7月はお寺に近い地区をお手伝いの方を含めお盆勤めをしています。
今年は、既に梅雨明けをしていましたが、14日の午後から台風の影響の雨が降りだしました。どしゃぶりの中、衣服が濡れ、お勤めに行くことができないご自宅が2軒あり、ご迷惑をかけました。また、私(住職)は、6月から老化による変形性ひざ関節症の治療中で。お手間をとらせましたが、イスをお借りしてのお勤めでした。これまで座る(正座)は苦もなかったのですが、初めて膝が痛いのが大変であることが経験してわかりました。これまで座りつづけた影響(職業病)などお気遣いの言葉をいただきました。

大裏方様のご逝去
高田本山から連絡がありました。
7月7日に大裏方様がご逝去されました。
仮通夜は、7月10日午後6時からお対面所 密葬式は7月11日午前11時から如来堂にて執り行われます。
本葬儀につきましては、後日案内があります。
長年、高田本山専修寺のお裏方様として、高田派の婦人会、坊守会、小袖会などで活動されていらっしゃいました。また、学問への関心も高く、高田学報にも論文を発表されていました。専修寺に伝わる宗旦古流の歴史(伝来)や茶道具の保存にもお力添えをいただいてことが思い出されます。
※中川個人の感想です

学びなおし
一般的に、仏教について学ぶのは、高校の日本史だと思います。私(住職)も日本史で仏教が日本の中でどのように受容されてきたか学んだ記憶があり、それが私の仏教理解の根底にあるものだと思います。考えて見ると40年前の学びから、仏教理解が更新しているでしょうか。
当時「鎌倉新仏教」として、取り上げていた概念も今は違うようです。
『日本史を宗教で読み直す』山川出版社が手元に届きました。
学校の教科書は、学習指導要領の枠組みで、仏教は、日本史の中で説明されているようです。もう一度、教科書の「日本史」を宗教から読み直すことで、学生当時の仏教理解が更新されるような気持ちです。夏が近づいてきた今、学生時代の夏休みの課題のようにこの1冊を拝読できればと思っています。
※中川個人の感想です。

孤独
多くの友人がいて楽しく生活をしていても、「孤独」を感じる時はあります。
「孤独」は、対人関係ではなく、私の中にあるものだと思っています。
『佛説無量寿経』に「独生独死独去独来」(人は独りで生まれ独りで死に、独りで去り独りで来る)の言葉があります。人生における根源的な孤独を表して、生まれてくる時も死ぬ時も、誰にも代わってもらえないことです。また、他者に依存しないで、自分自身の足で人生を歩むことの大切さを示しています。
だからと言って、独りだけで生きていくことなんてできません。
「孤独死」の話題をよく耳にするこが増えてきました。
亡くなって何日もたってから亡くなっていたことがわかるとして、独居の課題としても取り上げられます。周囲との関係性を深めて「見守り」体制を十分機能させることの大切さも叫ばれます。
お寺にも、地域の方々やお同行の「見守り」ができる活動もあるようにも感じています。実現できる取り組みを考えていきたいと考えています。
※中川個人の感想です

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